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 これ以上、この世界に留まるのは危険だ。俺自身が世界の歪みの原因となりかねない。


 暗い闇に沈む深夜。ただ一点を見つめている。不思議と恐怖はない。四肢が凍るような孤独が、部屋の隅でうろついているとしても。

 もうおそらくは、俺の世界が色を失う事はないだろう。


 静かな寝息を聞く。


「……ん。かに……」


 寝返りをうつ気配に隣を見やれば、愛しい女の間抜けな寝顔があった。肘をついて顔を覗き込む。ぐっすりと寝入っている相手は起きる気配もなく、柔らかな髪があらぬ方向に行ったりきたりしている。


「ユイネ」


 手の甲で頬を撫でた。


 お前のくれた言葉に何より、俺は幸福を感じた。お前との時が、俺に生きる力を宿した。

 俺は一体お前の為に、何が出来る。



*



「……妙だな」

「うん。何か変だ」


 同じ違和感を感じていたのだろう、美しい子供が俺を振り返った。これの感覚は『負』ではない。だがしかし明らかに何らかの予兆である事は間違いなかった。空間が、微振動を起こしている。

 首を少しだけ傾け、テルが腕を組んで唸った。


「何だと思う? ユイネの周りで何かが起こる?」

「いやそれはない。あいつの周辺はこの俺が守っている。あるわけがない」

「だったらどうして? この近くだよ」


 壁に掛けられた時計を見上げる。昼の十二時過ぎだ。仕事へ出かけたユイネが戻ってくるまでにはまだ時間がある。


「うーん。気にする必要もないのかなあ。最近ユイネのお陰で力が結構戻って来てるから、余計な事にも反応しちゃってるだけかも」

「かもな。少し外へ出る」

「了解」


 この四角い箱の中では気が複雑に流れていて掴みづらい。一歩外へ出ると、粘つくような熱気が全身にまとわりついた。顔をしかめ、邪魔な髪を一つに束ねる。虫の声が幾重にも重なり、耳鳴りのように五月蠅く鳴り響いている。


「五月蠅い虫だな」

「蝉っていうんだって。夏にしかこの世界に出て来られない。だから、命を削って鳴くんだ」

「ふん」


 マンションを出て暫く歩き、細い道を通り抜けて公園に出た。炎天下。容赦なく照りつける太陽の下、誰もいない公園の遊具がぎらぎらと光っている。


「……ここら辺じゃないみたい」

「ああ」


 じり、とうなじの辺りが焼けるような感覚。顔を上げる。その時、世界がぶるりと震えた。

 はっとしてテルと顔を見合わせ一直線に駆け出した。駅前の交差点、その一本手前の道だ。


「くそっ。間に合わない! 飛ぶぞ!」


 その場所へ移動した瞬間、派手な衝撃音が耳に届いた。両目を見開く。


「事故だ! 誰か轢かれたぞっ」

「人がはねられたって」

「うわ……ひどい」


 騒然とする周囲。人々が横断歩道の先に顔を向けている。アスファルトの上に描かれている白と灰色の縞模様。そこを突っ切るように黒々とした不気味な曲線の跡。青色の車が不自然な状態で停止していた。その数メートル先に見える身体。男が慌てて駆け寄っていく。


「だ、大丈夫ですかっ」


 これか。ユイネを守る為に張り巡らせていた俺の網に引っ掛かったのは、その為か。


「あ、の馬鹿者が!」


 テルを身の内に戻し、ぐったりと横たわる男の元に駆けた。一目見ただけでまずい容体だと分かる。


「コーイチ!」


 身体を支え抱き起こす。コーイチの焦点の定まらぬ目が俺を見上げた。力の抜けた身体が、がたがたと震えている。


「お、お知り合いですか!?」


 コーイチが僅かに背中を曲げ、低い呻き声を上げた。口元から大量の血液が流れ出す。それを目にした途端、傍らにいる男が息を飲んだ。


「う、うわ……き、救急車っ」


 ばたばたと走り去る足音。ここから居なくなってくれた方が好都合だ。手をかざし目を閉じる。


「……くそっ」


 怒りやら焦りやら何やらで、俺の感情が暴風雨のさなかのように乱れていてうまく集中出来ない。


「くそっ! なんと不運なっ。なんと軟弱な男だ! こんな男しかいないのか!?」


 ユイネを守る男は。ユイネが慕う男は。


「この阿呆が! 俺はお前が気に食わんが、あいつにはお前が必要だっ。お前はユイネを置いていくつもりかッ」


 強く目をつぶり、言葉を吐き捨てる。急げ。早く処置をしなければ手遅れになる。潰れた内臓に力を叩き込む。内側から熱が爆発した。


「許さん。許さんぞ……。あいつを残して死ぬような事は……決して」


 お前が死んだら、あいつが泣くだろう。

 誰かを失う悲しみを知るユイネは、また、声を殺して泣かねばならんだろう。

 そんな事はあってはならない。俺の見ている前で、そんな事は絶対に許さん。


「ぐっ」


 あまりの激痛に身体が傾いた。冷や汗が全身に噴き出す。手がぶるぶると震え始める。呼吸さえ止まり、頭の中が白く霞んだ。


「ふ、ざけるな……。俺は、神だ!」


 ありったけの力を相手に叩き込んだ。引き換えに、その身の全てが俺の中に一気になだれ込む。


──タロちゃん! もう良い! コーイチは助かったよっ。もうやめるんだっ──


「がっ……」


 弾かれたように身体がのけぞり、仰向けに倒れた。遠く騒がしい物音が聞こえる。複数の人間がこちらに近づいてくるようだ。


──馬鹿! 無茶しすぎだよ。いくらなんでもこれじゃ──


「はっ……俺は、死なん」

 

 死んでたまるか。意地でも死なんぞ。この世界を守る為に、絶対に死ぬわけにはいかない。自分の身体を二つに割るイメージを作り、意思を込める。


「ぐあ、ぁ……」


 呻き声とともに青白い光が閃き、美しい子供が姿をあらわす。


「タロちゃん」

「テル……お、お前はそいつと行け……ユイネに」


 相手が頷いた事を確認して、残る力を振り絞りその場から移動した。


 朦朧とする意識の中で俺はやっと答えを見い出した。今までに味わった事のない程の充足感に包まれる。 


 唯音。

 お前の為ならこの命でさえも惜しくはない。しかしお前はそんな事を望まないだろう。

 俺はお前に、俺にしかしてやれない事があった。それは守り人として絶大な力を有する、神として。その力があるからこそ、誰もお前にしてやれない事が、この俺には出来る。

 これから先、あの軟弱な男が一生を使ってお前にしてやれる事を全て挙げ連ねても、この俺が為せる事には永遠に勝てないだろう。


「ふ……ははは」


 爽快な気分だ。




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