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「いいですか!? くれぐれも落ち着いて、冷静にっ。お願いします」

「分かっているっ。さっさと入れろ」


 廊下で腕を組んで仁王立ちしている美しい大男に向かって、私は何度も懇願してから、おそるおそる玄関の取っ手を掴んだ。そうっとドアを開くと、腰をがっくり折って頭を下げた状態のヒロさんが見えた。


「ヒロさ……」

「ごめんっ。唯ちゃん、ほんっとうにごめん!」


 私はヒロさんの後頭部を見つめて、なんだかとても申し訳ない気持ちになってしまった。


「そんな、ヒロさん。顔を上げてください」


 だけどヒロさんは腰を折った状態のまま続けた。


「あいつから連絡あったんだ。もうばれてるよって言われて。最初からこんな事するべきじゃなかった! 申し訳ないっ」

「良いんです。何か事情があったんですよね? と、とりあえず中に……」


 次の瞬間、私は自分の耳を疑った。というか、驚きすぎて耳がもげるかと思った。


「ヨーコ!」


 それはタロさんの声だった。心底嬉しそうな声。


 ……はい? 今なんて?

 

 私の横をすっと大きな影が通り過ぎる。


「ヨーコッ!」

「うがっ」

「ヨーコっ。ほんとにヨーコだぁっ」


 ちょ、ちょっと待って……。

 私の頭は目の前の光景を見て、どっと慌てふためいてぐるぐるとパニックに陥った。

 何。何が起こったの。

 モデル並に恐ろしく容姿の整った大男が、いかつい身体をした男性を思い切り抱き締めている。


 タロさんはヒロさんよりも背が高かった。ヒロさんの太い両腕が、わたわたと空を切ってもがいている。その上テル君までもが、ヒロさんのおなかのあたりにぎゅっと抱きついていた。


 まさか、そんな。


 ヒロさんは両手に力を込めて、よいしょとタロさんを押しやり、なんだなんだと言いながら顔を上げて、それから驚愕の表情でぴたりと固まった。


「あ! うわあぁっ!? お前っ。おまっ! ええっと……カラス!?」


 タロさんが顔をくしゃっとさせた嬉しそうな笑顔で頷いている。

 そんな、ちょっと待って。だってヨーコさんは……。


「う、嘘だろっ!? えっ。テ、テル!? な……なんでっ」


 わなわなと肩を震わせるヒロさんをじいっと見上げていたテル君が、ぽつりと呟いた。


「ヨーコって男の子だったんだね」


 なっ……!?


「なんでっ……どうしてお前ら唯ちゃんのとこにいるんだよ!? ちっとも変ってないし!」

「ああ……ヨーコ。覚えていてくれたのか? また会えて嬉しいぞ。……それにしても随分と逞しくなったな」

「僕、昔のヨーコのが良かったなぁ」

「おいっ! その名前で呼ぶのやめてくれっ。とりあえず離れてくれよっ」


 そこでようやく三人は私の方を振り返った。全員の顔色がさっと青ざめる。


「……ユイネ?」

「唯ちゃん、あの」


 握り締めていた拳がぶるぶると震えている。何とか冷静さを装って声を絞り出した。


「……ど、どういう事か、説明、してくれますよね?」


 タロさんが目を見開いて、まばたきを何度か繰り返す。その表情はどこか間が抜けていて、可愛らしいものだった。




*



 柏木紗枝かしわぎさえ

 それが、私がヨーコさんだと思っていた綺麗な女性の本名だった。ヒロさんとは大学時代からの友人で、今回の件で急遽助けを求めたのだという。何でも当時から大の親友であり、ヒロさんに将来奥さんとなる女性を紹介したのもこの紗枝さんだったのだそうだ。そして唯一、ヒロさんの家族以外でヒロさんの「とある事情」を知っている人物だった。だからこそ「ヨーコさん騒動」の折り、ヒロさんはこの昔からの親友に、土下座せんばかりの勢いで「身代わり」を頼んだのだった。


「紗枝はさ、さばさばした性格で何でも話せる男友達みたいなもんなんだよ。あいつに言ったら失礼だって言われるけど。あの事を話したのはこっちの大学に行ってた頃だったなあ。あいつが俺んちに遊びに来て酒飲んでて、たまたま引き出しの奥にしまってあった写真を見つけちまったんだよ」


 それはワンピース姿の美少女が一人映っている、古ぼけた写真だった。


「俺ね、その事はだーれにも、ぜーったい、ひとっことも言った事なかったんだよね。あんまり思い出したくもない事だったからさ。写真だって全部始末したと思ってたんだから。だけど何でかなあ、酒飲んでたからかもしんないけど、ついぽろっと言っちゃったんだよね」


 うわ。なにこの美少女! しかもふっるーい写真。こんなの後生大事に持ってるのあんた。何、初恋の人? とにたりと笑いながら、からかい気味に聞いてきた紗枝さんに対し、ヒロさんはその時ばかりは何故だか胸を反らせて自慢げに、こう答えたのだそうだ。


 ああ? そりゃ、俺だよ俺! かわいいだろう!


 私は大きく息を吐き出して椅子の背もたれにゆっくりと身体を預けた。めまいすらも感じて、無意識に額に手をやった。


「ヒロさんが、ヨーコさんだったなんて……」


 それじゃあ私は随分最初の段階で、目当ての人と会っていた事になる。それこそタロさん達がやって来る前からヒロさんと交流があったのだから、私はずっとヨーコさんと時を同じく生活していたのだ。

 テーブルを挟んで向かいに座っているヒロさんが、大きな身体を縮めてしゅんとする。


「……ごめん。もう本当に、ごめん」


 ヒロさんがどうして子供の頃、女の子の格好をしてヨーコと名乗っていたのか。


 ヒロさんのお父さんは古き良き日の昭和そのままの、あの農村で喫茶店を営んでいた。お母さんもいて、ヒロさんの上には三人のお兄さんがいた。ヒロさんは末っ子である。兄弟たちは年が近く、上の兄はよく店の手伝いもしていたのだそうだ。しかし末っ子ともなると常に自分中心で、また活発だったヒロさんはちっとも親の言いつけを守らない子供だった。悪ガキである。宿題をせずに学校に行くのもしょっちゅうだし、友達に悪戯したり、店で扱うものをつまみ食いする事もあった。お母さんはそのたびにヒロさんを叱り、ヒロさんはそのたびにもうしませんと誓いを立てた。しかしその誓いはもって数日。あっさりと破られてしまう。

 そんな日々の繰り返しの中、お母さんがある時こう言った。


「ふう……そういや私、本当は女の子が欲しかったのよ。全くぜーんぶ、男が生まれてきちゃったんだから」


 唐突の言葉にヒロ少年はぼんやりとお母さんを見上げた。今も学校の連絡帳に記されていた、『元気があるのはいいが授業中も騒がしい』という先生の指摘をネタに叱られている最中だった。

 お母さんがにひひと笑った。嫌な予感がして逃げ出そうとしたところを、捕まえられる。うわーだのやめろーだの、ヒロ少年は必死になって抵抗したがあえなく失敗。


「これから言いつけ守らなかったら、こうするからね!」


 そう言って鏡の前に立たされた自分。そこにはスカートをはいた女の子がいた。




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