071
あの時、ユイネの隣にいたあの女はヨーコではなかった。
ヨーコの魂を間違えるわけがない。いくら年数が経とうが外見が変わろうが、この俺が間違えるわけがない。あれはヨーコではなく、全くの別人だ。ユイネのそれと全く似ていなかったのだから。にもかかわらずユイネに自らをヨーコだと名乗ったあの女の素性が掴めず、何を企んでいるのかも解せなかった為に、ともかくユイネを遠ざけようとあの場を下がらせたのだ。
「だ……だってヨーコさんは、自分がヨーコさんだって言ってた……」
「でもねユイネ。本人がそう言っただけで証明するものは何もなかったでしょ?」
「それは……そうだけど、でも」
「ヨーコを知っているという男がどういう理由からかは知らんが、わざわざ偽物を仕立て上げてお前と引き合わせたんだ」
「ヒロさんが!? どうして」
「ふん。そいつを締め上げれば答えが出るだろう」
「ま、待って下さい……きっと、何か事情があるんですよ。そんな締め上げるだなんて」
「阿呆かお前は。当然の報いだ」
「でもっ」
「ストーップ。もう晩御飯にしよ。ユイネも熱出してるんだし、その話は後にしようよ」
テルが呆然とするユイネに向かって、とびきりの微笑を向けた。
*
もう……何が何だか分からなくて、熱が上がってしまいそうだ。
あの人はヨーコさんじゃない? ヒロさんが嘘をついた? どうして? そんな……。
「はい。ユイネ。無理しないでね」
美味しそうな匂いに顔を上げる。テル君が器によそってくれた雑炊は土鍋で作ったもので、鮭ときのこが入っていて上にネギが散らしてあった。途端に私のお腹はぐるると鳴いて唾液が出て来る。
「うわあ美味しそう……ありがとう。テル君」
あたたかそうな湯気の奥に、綺麗な男の子の笑顔が見えた。ああ……天使だ。天使がいる。またテル君の作ってくれたご飯が食べれるなんて……すごく嬉しい。うん。今はとにかく食べよう。
リビングのテーブル席に、タロさんとテル君と私が座っている。私の隣には一つの空席。つんと鼻の奥が痛くなったので無心になってレンゲを口に運んだ。すると口の中が熱くなって、丁度良い塩加減の、うまみのぎゅっとつまっただしの味が広がった。柔らかなご飯と少ししょっぱい鮭の身。しゃきっとしたネギの感触と優しいきのこの触感。飲み込むとあたたかな熱が喉を通って身体の中心に落ちていった。じわりと全身に熱が行き渡る。
「う……おいしい」
私は片手で涙をぬぐって、はふはふしながら美味しい雑炊をもぐもぐ食べた。
「おいユイネ。泣くか食べるかどっちかにしろ。せわしない奴だ」
「だ、だって」
タロさんは艶やかな黒髪を一つに束ねて、大きな口を開けて雑炊を食べている。あつあつなので、少し顔が赤い。箸でおかず(甘辛い味付けのお肉で、これもとっても美味しい)をぽいと放り込んですごい勢いで次々と美味しい料理をお腹におさめていく。テル君がにこにこと笑っている。私はまたこうしてタロさんとテル君と食事が出来た事が嬉しくて、でもここにはふーちゃんがいなくて、嬉しいやら寂しいやら美味しいやらで、泣きながら雑炊を頬張ってうふふと笑った。
ヨーコさんにはやっぱり何か重大な事情があるんじゃないだろうか。本当のヨーコさんは、どこにいるんだろう。ヨーコさんではなかったあの綺麗な人は、本当は何ていう名前なんだろう。ヒロさんは何を知っているんだろう。
もう少しヨーコさんの事について色々話したかったのだけれど、熱が出ているんだからさっさと寝ろと凄まれて、私は大人しく横になった。目を閉じてヨーコさんを思い浮かべる。
茶色の長い髪が風になびく。あの古ぼけた人外様の神社を背景に、花柄のワンピース姿の少女がいる。この姿は私の記憶にあるヨーコさんではなく、タロさんの記憶の中のヨーコさんだ。あっけらかんと明るくて、優しい少女。ヨーコさんは大きな笑顔を向けて、私に向かって手を振った。
会えそうで会えない。きっと会えると思っていたのに……。
「どこにいるの……ヨーコさん」
けれどその疑問の答えは翌日になって唐突に、想像もしない形であらわれた。
日曜日。熱はすっかり下がっていて、私はその日、ヒロさんの喫茶店がある母の故郷へ行こうと朝から身支度を整えていた。電話で話す事も出来るけれどやっぱり直接会って話した方が良い。
「あの。私に任せてもら……」
「馬鹿を言うな! お前はまた騙されるに決まっている!」
憤慨しているタロさんは、今回ばかりは一緒に行くの一点張りで、私の言葉を聞いてくれない。それはそうだ。私は自分の頼りなさに落ち込みそうになった。うぅっ。いかんいかん。
「えと、じゃあなるべく穏便に」
こわごわ提案するけれど、じろりと私を一瞥するだけでタロさんの怒りオーラは鎮まる気配がない。ど、どうしよう。かみさまが怒っている。ヒロさんは無事で済むんだろうか……。何とかしないと。
「もう行ける?」
テル君が玄関に続く廊下に立って振り返った時だった。
ピンポーン。
「誰だろう……」
こんな時間に、インターホンが鳴るなんてかなり珍しい。勧誘だろうか。私のすぐ傍、壁にかかっている電話を取り上げるとモニターにぱっと光が入る。その白黒の映像を見て、びっくりした。
大きくていかつい身体を少しだけ丸めて、きょろきょろと左右を見ながら手に持ったハンカチで額を拭っている。外は朝だというのに夏の熱気でもう暑いに違いない。今日も太陽はさんさんと輝いている。五分刈りの髪に太い眉毛。このモニターの映像はそれほど鮮明ではないけれど、よく見知っている人物を見間違うはずもなかった。私はその名前を、無意識に叫んでいた。
「ヒロさん!?」