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067(さよならとヨーコの真実)

 帰りたい。家に帰りたい。ふーちゃんが待ってる。ふーちゃんに会いたい。


  どこをどう歩いたのか分からない。だけどもくもくと下を向いて歩き続けるうちに、混乱していた感情がだんだんと落ち着いてきた。すると苦々しい後悔の思いが広がっていく。

 どうしよう……。


 失礼な事をしてしまった。ヨーコさんを置き去りにして、逃げ出してしまうなんて。

 最後まで少しでもタロさんの役に立ちたいって思ってたのに。タロさんの幸せを願ってたのに。

 最後まで笑顔でいるって決めてたのに。逃げ出すなんて、私は弱虫だ。

 戻らなきゃ。ちゃんと話をしなきゃ。


 心を決めて顔を上げる。辺りはすっかり夜になっていて、ひんやりとした風が吹き抜けていった。左右を見渡して呆然とする。

 

 あ……まずい。ここ、どこ。


 雑居ビルが林立する薄暗い路地。私は完全に迷子になってしまっていた。駅前はどの方向だろう。少し歩いて遠くに目を凝らすと、明るいネオンの光が見えた。あっちの方だろうか。私は光に吸い寄せられる虫のように、都会のネオンへとふらふらと向かっていった。

 ぶー、と鞄の中からくぐもった音がした。携帯を取り出して、ぎくっとする。

 ちゃんと謝らなきゃ。通話ボタンを押してそっと耳に押し当てた。


「はい」

『唯音、今どこ?』

「ヨーコさんごめんなさい。急にいなくなったりして」

『ほんとよもうっ。びっくりしたんだから! まだ家じゃないよね? とにかく戻ってきて』

「あの、ええと……そ、それが迷ったみたいで。どこにいるか分からないんです」

『ええっ』

「す、すみませんっ」


 あはは、とヨーコさんの楽しそうな笑い声が聞こえた。


『あーもう唯音らしい。そこから何が見える? お店とかある?』


 細い路地から出て、横断歩道の先にある全国チェーンの有名なレストランの看板を見つけた。ヨーコさんは駅周辺を熟知しているようで、私がレストランの名前とそれがある場所を告げると、あー、と声を上げた。


『また遠くまで行ったわね。説明しづらいからそっち行くわ。待ってて』


 それから十分ほどしてやって来たヨーコさんに、私は慌てて駆け寄った。


「ヨーコさんっ。色々、本当にすみません」

「もうっ。世話が焼けるわね」


 恐縮しまくる私を見て、ヨーコさんは朗らかに笑いながら許してくれた。


「あの……」

「二人なら先に帰ったよ」

「えっ」

「あ。こっちのが近道」


 人通りのない道に入っていくヨーコさんを追いかけて、隣に並んで見上げる。街灯に照らされた美しい横顔。表情は柔らかく、口元には微笑が浮かんでいた。

 どうなったんだろう。話は全部終わったのかな。半身になってくれるのかな。

 ヨーコさんのこの表情……。きっと上手くいったんだ。そうだとしたら、いつガルクループに帰るんだろう。

 タロさんとテル君は……どこに帰ったの? 


「ヨーコさん、あの」

「詳しい事は二人から聞いてね」


 私の顔を覗き込むように見つめて、ヨーコさんが綺麗に微笑んだ。優しい目をしていた。

 私はそれ以上聞く事が出来なくなって、はい、と小さな声で返事を返した。


「……ヨーコさん」

「うん?」

「ありがとうございます」

「なあに急に」


 私はヨーコさんと目を合わせて、えへへと笑った。胸いっぱいに色んな思いが込み上げてきて、また泣きそうになる。良かった。


 これでもう、タロさんは一人じゃない。


 タロさんの隣にヨーコさんがいてくれるなら、もう大丈夫だ。ヨーコさんの明るい笑顔が、冷たくて恐ろしい孤独を溶かしてくれる。長すぎる時だってヨーコさんがいてくれるなら、二人でいられるなら、もう辛くない。ヨーコさんの優しくてあたたかな魂の旋律が、タロさんを包んでくれる。これからはずっと、二人は一緒にいられる。良かった。

 これで良いんだ……。


 そこまで考えて、ふと思い出した。サーシャさんに伝言を頼まれていたんだった。私がヨーコさんに声をかけようと顔を上げた時、向かい側から若い男性がふらふらと千鳥足で近づいて来るのが見えた。

 何だろう。良くない感じだ。ヨーコさんと私は相手を避けるように道の左側に寄った。


「え……なにあれ。危ない」


 緊張したヨーコさんの声に、ふらつきながら歩く男性の姿を見やった。だぶだぶのズボンに派手な柄のシャツを着た若者。痩せているせいで顎が尖っている。その男性の手元を見て、ぎゅっと心臓が縮まった。右手にあるものが不気味で恐ろしい存在感を放っている。酔っ払って歩いている若者の右手に、抜き身のナイフが握られていた。

 怖い。危ない。近寄っちゃ駄目だ。本能が危険を感じた、その時だった。

 うつろな表情で遠くを見ていた若者の両目が、一瞬でこっちを向いた。血走っていてどこかおかしい。その目が、私とヨーコさんを見た。全身に緊張が駆け抜ける。


「うらぁ!」


 男性にしては異様に甲高い声。その声を聞いた瞬間、私は走り寄ってきた若者に肩を押されて突き飛ばされていた。


「唯音っ」


 足がもつれて転びそうになる。何とか踏ん張って、咄嗟に相手を見た。若者は私を見ていない。どく、と心臓が鳴った。ぞっと全身に鳥肌が立つ。私の頭の中に、不気味な単語が弾けるように浮かんだ。


 通り魔。


 若者は肩で息をして、ヨーコさんに向かっている。じり、とヨーコさんが後ずさった。右手のナイフが不気味に光っている。奇妙なうなり声が聞こえた。


 うそ。だめ。なんで!


「ヨーコさんッ!」


 無意識に身体が動いていた。肩にかけていた鞄を振り上げて力いっぱい相手に叩きつける。衝撃に若者の身体ががくんと揺れた。


「くそぉッ!」


 若者が叫びながら腕を振り回す。後ずさった私の腰に相手の蹴りが当たった。


「うっ」

「きゃあっ! 唯音っ」


 思い切り転んで、膝と両手に鋭い痛みが走る。それでも慌てて顔を上げた。若者の全身はヨーコさんの方を向いている。血走った目はヨーコさんを睨みつけている。恐ろしい凶器はヨーコさんを狙っている。

 どうして。なんで。なんでよ。やめてよっ!


「ヨーコさん逃げてっ」

「しねぁああぁぁ!!」


 駆け出したヨーコさんの背中。それを追って若者も走り出す。二人の背中。全てがスローモーションのようにゆっくりと動いていく。私の荒い息の音。心臓の音。片手を地面につく。ざらついたアスファルトの感触。


 だめ。だめだめ。そんなの、だめ。

 ヨーコさんは、タロさんの大切な人なんだから。ヨーコさんはタロさんの半身になるんだから。やっと出会えたんだから。これからずっと一緒にいるんだから。

 こんな奴に、何かされてたまるもんか! そんなの絶対、だめなんだ!


「こ、のぉっ!」


 大声を上げて、私は全力で走った。何がなんでも、ヨーコさんを守るんだ。ヨーコさんを傷つけるなんて許さない。絶対に!



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