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 神殿に戻りスウェットの上下に着替え、ふーちゃんに元の黒のドレスを着せる。ふーちゃんはやっぱりテル君とは違うみたいで、念じて服装を変えたり出来ないようだった。本当に人間そっくりで、人間そのもの。不思議だけれど、あたたかい。


「ぞーうさんぞおーうさん。おーはなが長いのねえ」


 ふーちゃんが覚えたての歌をうたい始めたので、私は微笑んで続きをうたった。


「そぉーよ。かぁさんもなーがいのよぉ」


 ふーちゃんは「歌」をとても気に入ったようだ。嬉しそうに笑っている。


「ユイネ! お待たせっ」


 振り返るとパーカーにジーンズ姿のテル君が扉を開いてこっちに歩いてくるのが見えた。にこやかな笑顔につやつやの茶色の髪。可愛らしくて天使みたいな男の子。ティエルファイス。テル君。タロさんの一部。

 人ではないけれど、テル君もやっぱりとっても優しくて、あたたかい。


「ね。儀式見ててくれた?」

「うん。すっごく格好良かったよ」

「でしょうっ」


 ん? あれ……。


「だ、誰ッ」


 思わず叫んでしまった。テル君だと思っていた男の子は、テル君にすごく良く似ているけれど違う人物だった。だって男の子でも少年でもなく、すらりと背の高い青年なのだ。これは……一体何ごと。


「いやだなぁ。僕だよユイネ」


 モデルのようにすらりとした手足。切れ長の黒の瞳。とても上機嫌なその人はずんずん近づいてきて、突然がばりと抱きついてきた。私より少し背が高く、華奢に見える両腕は意外に力強くてますます焦って身体が硬直してしまう。うわ、良い匂いがする。うわぁ。うわ。ど、どうしよう。

 私の頭は完全に混乱して何が何やら分からず、かあっと顔から火が噴き出そうな程恥ずかしくなって、気が遠くなりかけた。


「あれ。大丈夫?」


 くすりと笑った振動が伝わる。


「あ、あの、あのっ」

「僕はテルだよ」

「……ほ、ほんとに? でもだって、そんな」

「良く見て」


 こわごわ見上げると、恐ろしく整った色白の美しい顔。うっすら桃色の頬につやつやの唇。涼やかな目元は穏やかに微笑んでいる。


「テ、テル……く、んなの」

「うん。そう」

「そんなっ」

「ふふっ。あー嬉しいっ! 僕ずっとユイネを見下ろして抱き締めたかったんだぁ」


 あ……もうだめ。気絶する。


「阿呆。離れろ」


 すっと視界が影になったかと思ったらタロさんが仁王立ちしていた。Tシャツにスウェット姿で、綺麗な黒の髪を一つに束ねている美しい大男。ぐいとテル君の頭を押しやり私とふーちゃんをちらりと一瞥する。


「あ、タロさん。お疲れ様です。あの、テ、テル君が大きくなっちゃってます」


 不機嫌そうに見えるのは気のせいだろうか。タロさんはテル君を睨みつけて少し口を尖らせている。


「これがこいつの本来の姿だ」

「えっ」

「そうだよ。タロちゃんの力が足りなくって、子供の姿しか保てなかったんだもん。はあっ。何百年振りだろう!」


 テル君が嬉しそうに両手を天に向けて大きく伸びをした。

 そうだったの……。な、なんだか複雑な気分です。


「ユイネ」

「は……いっ!?」


 急に手首を引っ張られてバランスが崩れ、どすっ、と厚い胸板に顔面が激突した。


「ったぁ。は、鼻がつぶれちゃいます」

「ふん。どうせそんなに高い鼻じゃないだろう。問題はない」


 ……はい。そうですね。


 悔しくて何か反論したかったけれど、とても平静ではいられなくて何も思いつかなかった。タロさんの腕の中だと思うと心臓が痛いくらい跳ねまわって、息が苦しい。気を送る為なんだからと何度も自分に言い聞かせるのに、どんどん顔や耳が熱くなっていく。頬や肩や背中に、タロさんの体温を感じる。恥ずかしくてぎゅっと目をつぶった。

 タロさんが私の頭の上でふうと大きく息をついた。ずっと忙しかったから疲れているのだろうか……。

 私の背中に回っているタロさんの腕に力がこもった。身体がより密着しそうになって慌てると、余計に力が加わって完全に押さえこまれてしまった。


「あ、あの……」

「まだだ」

「……はい」

 

 いつからだろうか。

 以前のような、ぎゅうぎゅうにされてつま先が地面から離れてしまうような激しい抱擁ではなくなった。だから余計に、勘違いしてしまう。こんな風にされる事に慣れていないから……。

 恥ずかしくてどきどきして死んでしまいそうなのに、そのあたたかさが心地良くて胸が苦しくなる。こうしているとすごく安心出来るだなんて、絶対に言えない。

 まるで守られているみたいに思えるなんて、そんな風に思う自分があまりにも滑稽で……。

 本当にそうなら良かった……。


 だめだ。そんな事考えちゃ。気を、気を送る為だけの事なんだから。

 出来れば最後まで気付きたくなかった。自分の気持ちなんて。

 

「ユイネ」

「は、はい」

「何故、舞台の上にいなかった?」

「あ……」 


 『漆黒』の守り人様。人外様。美しいかみさま。……タロさん。


「な、なんか舞台の上なんて子供の頃の学芸会以来だし、緊張して何かしちゃったら大変だし……」


 強くて弱くて傲慢で、なのに寂しくて優しいタロさん。笑う時は、整った顔をくしゃっとさせて可愛らしい笑顔を作る。魂の伴侶に会う為に、力を振り絞って異世界までやって来た。本当だったら私なんかには出会えない人だった。本当だったらあの時に、ヨーコさんと再会出来ていたはずなのに……。

 私には届かない。


「お前は俺の傍にいろ」


 どうして……そんな事を言うの。胸が痛くて、息が出来ない。


「……気が、必要だからですよね」

「そうだ。あの世界を守りたいんなら、俺の言う事をきけ」


 何でも良い。傍にいたい。タロさんの傍に。

 だけどそれは違うでしょう。ずっとこのままで良いわけないんだ。それは私だけの、我が儘だ。


「下僕ですもんね」

「そうだ。やっと自覚したようだな」


 うふっと笑ったら目頭がかっと熱くなった。どうしよう涙が出てしまいそうだ。落ち着け……。私は震えそうになる息を押さえて、何とか声を絞り出した。


「でも、もう下僕も卒業しますから」

「なに?」

「ヨーコさんがいてくれたら、私が気を送らなくても大丈夫でしょう? お役御免です」


 ふっとタロさんの腕から力が抜けた。

 その時私は涙をこらえるので必死で、ずっと俯いて下を向いたままだった。だからタロさんがどんな顔をしているかなんて、これっぽっちも考えなかった。


「ね。もう良い?」


 見るとテル君がじたばたと暴れているふーちゃんをかかえ上げて、困った顔をしていた。


「ゆいねーっ! ゆいねはあたちのぉっ」


 ぱっとふーちゃんが私に抱きついて、胸のあたりにぐりぐりと頭を押し付けて全身で愛情の意をあわらしてくれる。私は鼻をすすって笑った。


「さっさと帰るぞ」

「えっ。セウンリヒさんや皆さんに挨拶……」

「あいつらが来ると五月蠅いからな」


 ぬっとタロさんの大きい手の平が視界いっぱいに広がる。


「でもっ……」


 またしても、私は最後まで言葉を言わせてもらえなかった。

 もうきっと会えないだろうから、きちんと挨拶をしたかったなぁ……。



*



 どごぉん、と凄まじい爆音(?)とともに目が覚めた。見慣れた天井。見慣れた蛍光灯。起き上がって見渡すと、そこは私の部屋。何だかとっても不思議な気分だ。あっという間に戻って来てしまった。全部が夢だったような気もするし、それでも記憶ははっきりと残っていて、少しふわっとする。いつもと変わらない私の部屋。なのに、どことなくよそよそしく感じる。時計を見ると午後十一時。私はリビングのソファの上にいた。


「ゆいねっ」

「はあー。帰ってきたね」


 ふーちゃんが膝に乗り上がってきて、抱き上げながら横を見るとそこにテル君とタロさんがいた。


「だ、大丈夫ですか?」


 目覚めに聞いた爆音はどうやらタロさんが起こしたものらしかった。壁際にあるリビングボードの手前で脛を抱えてうずくまっている。テル君が呆れたような口調で言った。


「思いっきりぶつかったんだよ」

「くそっ! 痛いぞ! どうしてこんな所にこんなものがあるんだっ!!」


 それは八つ当たりです……。思わず笑ってしまった。するとタロさんが凄みを利かせて睨んでくる。咄嗟に笑いをこらえて質問した。


「タロさんこそ、どうしてそんな所にぶつけたんですか」

「……五月蠅い」


 異世界に行っていた間は三日間。それは私が仕事を休んだ日数と同じだった。現実の自分の世界に戻ってきた途端に私の頭は通常モードで色々な事を思案し始める。旅行から帰った時もそうだけれど、一番にするのは洗濯だったりする。

 洗濯機をナイトモードで回しつつ携帯をチェックすると、やっぱり笹本さんからのメールが何通か届いていた。返信しようとした時、画面の留守電マークに気付いた。


「何だろ……」


 つい呟いてしまった。最近では直接電話がかかってくる事ってあまりない。余程緊急な用件だろうか……。不安になりつつ問い合わせをかけて、伝言を聞いた。


「ねえユイネもお茶飲むでしょ? 今いれたからこっちおいでよ」


 私は洗面所で立ち尽くしていた。携帯を片手に持ったまま、放心していた。


「ユイネ?」


 ふわりと腕に柔らかな感触。テル君の白魚のような指先。視線を向ける。男の子の姿に戻ってしまったテル君の大きな黒の瞳が、私を見上げている。


「どうしたの?」

「あ……」


 かすかすの私の声。別人みたいな声。言わなきゃ。言わなきゃ……。


「あ、ひ」

「あひ? あひる?」


 一度深呼吸をして、覚悟を決めた。じっとテル君の瞳を見つめ返す。


「ヒロさんから留守電が入っててね、今それを聞いたの」

「ヒロさん?」

「あ、うん。ヨーコさんの事を知ってる人。その人から伝言があってね。ヨーコさんと連絡が取れたって。今ヨーコさんはこっちに住んでるんだって……」


 テル君の瞳はじいっと私を見つめていて、その表情はぼうっとしていた。


「それで、今度の週末には会える事になったって」

「……ヨーコに?」

「うん。テル君、ヨーコさんが見つかったんだよ」

「ヨーコが……」

「あ! ヒロさんに電話しなきゃっ。あ、でももう夜遅いから、明日の方が良いね。タ、タロさんにも報告しなきゃね」

「僕が、言ってくる」

「あ……うん」


 ふらりとテル君がリビングに戻っていった。驚かせてしまっただろうか。ずっと会いたかった人と急に会える事になったから、びっくりしちゃったんだろうか……。

 身体が重くて固くて、ここから動けそうもなかった。ごとごと動く洗濯機を呆然と見つめて、それからぴしゃりと自分の頬を叩いた。


 私、今どんな顔していた?

 ちゃんと笑えていた?

 あんなにあんなに、会いたかったヨーコさんに会える。なのにどうして落ち込んでるの……。

 ちゃんと喜べない自分がひどく小さく、卑怯に思えた。これじゃせっかく会ってくれるヨーコさんにも、ヨーコさんとの再会を待ちわびていたタロさんとテル君にも、失礼だ。


「だ、だめ。しっかりしなくちゃ」


 私が関わる事の出来る、最後の事なのだから。ちゃんと役に立ちたい。


「だ、だいじょうぶ。大丈夫。きっとうまくいく」


 大丈夫……。


 無意識に携帯をぎゅっと両手で握り締めていた。



ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


異世界より戻ってきました。次話より、第四部突入致します。

ついに長い事ひっぱりまくったヨーコさんが登場するエピソードでございます。


ではまたお会いできますように。

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