006
足りないよりも余るくらいが良いかと思い、Lサイズのピザを二枚。結構高くつく。それがあっという間になくなってしまった。人外様は猛然と、とてつもない勢いで全てをたいらげた。テーブルには空になった箱。向かいの席に不機嫌な表情のまま、もぐもぐと口を動かしている人外様。私の目の前にはピザが一切れ。一応、私の分らしい。……たった一切れ。素晴らしいお慈悲です。
人外様はテル君の飲み残しのコーヒーを一口飲んで、のたまった。
「くそまずい。インスタントなど飲めるか。女、俺はコーヒーよりも日本茶が好きだ。用意しておけ」
日本の事をよくご存知らしい。
空腹が満たされれば少しは機嫌を直してくれているかも知れない。私は身体中の力を総動員して、この身体のどこかにあるであろう勇気を何とか振り絞り、声を出した。
「……あの、かみさま」
「俺はそんな名ではない」
「……人外様?」
「よせ。虫唾が走る」
「じゃあ……も、もりびと様?」
「死にたいのか、女」
泣きそう。
かみさまがこんなに横暴だなんて、ルール違反の気がする。子供の教育上にも良くない気がする。どうしたらコミュニケーションがとれるんだろう。きちんと日本語を話すし、自分の言葉も通じているはずなのに、地球一周分くらい、距離があるみたい。
「あの、じゃあ、お名前を教えてください……」
人外様がぎろりと睨みつけてきた。彫の深い顔立ち。とてつもない目力。……怖すぎる。
「何故お前に名乗らねばならんのだ」
無理かもしれない。会話をしようだなんて。だって、もともと地球人ではないんでしょう。宇宙人なんでしょう。あ……そうか。
よわよわと静かに深呼吸をして、おそるおそる人外様を見つめた。
「ぴぽぽ。ぱぽぽ。ぴ?」
人外様の眉間のしわが、ぐっと深くなる。
「俺を愚弄するか!」
「ち、違いますっ。だ、だって、会話が全然出来ないから、もしかしたら宇宙語とかなのかなあって……」
じわじわと顔に熱が集中してゆく。こんなに恥ずかしい思いまでして歩み寄ろうとしているのに、相手は私の事を「女」よばわり。いまどきそんな風に女性の事を呼ぶ男性なんて、あり得ない。どんなに顔が良くっても、かみさまでも、性格が悪かったら駄目なんだから。
あまりの理不尽さにだんだんと腹が立って来た。
「も、もう良いです! あの珠、きちんとお返ししますから、もう帰ってください。お願いします」
私は席を立ち、リビングのテレビに向かった。いつもの定位置に置いてある漆黒の珠を両手ですくうように持ち上げる。今までと変わらない、軽やかな重み。ひやりつるりとした感触。大事なお守りだった。だけどこれは私のものじゃなかったんだ……。手の中にある珠をじっと見つめる。
最初にこれを返してさっさと帰ってもらえば良かった。
「あのねえ、勝手に僕をひっこめないでくれる?」
優しい声音に勢い良く振り返った。テーブル席に座る人外様の隣に、綺麗な男の子が佇んでいる。
「テル君っ」
また突然現れた天使のテル君に慌てて近づいた。テル君は私を見上げ、にこっと微笑む。その柔らかな表情に、何だかとてもほっとしてしまう。
「ごめんね、ユイネ。びっくりしたよね。可哀そうに。そんな顔しなくて良いよ。こいつ怖いでしょ?」
「テル君……よ、良かった」
「おい、テル」
「分かってるって。ユイネ、こっちで続きを話そう?」
腕を組んでむっつりとしている人外様をそのままに、テル君は私の手を掴んでソファへと足を向けた。テル君の手は白くてすべすべしていて、少しひんやりとして、あのお守りの肌触りに良く似ていた。ちゃんと触れられる。なのに、テル君は存在しない存在。
「僕はね、彼の力の一部なんだ。あいつが生まれた時に生まれ、あいつが死ぬ時に、一緒に消える。今はあいつの力がとても弱っているから、いつになく不安定な状態になってるんだよ。さっきのはあいつの意思が働いて僕を身体に戻したんだ。……かなり弱ってるみたいで、僕を保つ事も危うい」
ソファ越しにそろりと振り返る。人外様は椅子に座って腕を組んだまま、目を閉じている。眠っているのだろうか……。
「でも、お腹はいっぱいになったはずなんだけど……」
「うん。だけど、力が足りないんだ。自分以外の人間の力が必要なんだよ。彼はもう二百年の間ずっと、半身ともいうべき伴侶を持たずにいて不安定なままだ。昔はもっと温和な奴だったんだけどなあ。精神的にも、荒れてるみたい」
人さし指でぽりぽりとほっぺをかきながらテル君はちらりと私を見て続ける。
「ユイネの疑問も無理はないけど」
「え?」
「あいつは今、守り人としての異能の力と生命力が弱ってきてるんだ。だから余計な力は使えない。この世界の均衡と、扉の結界をぎりぎりで保ってる状態だからね。……漆黒の珠がヨーコからユイネに渡った事も気付けないくらいだよ。自分の魂の伴侶として選んだ相手を見失うなんて、滑稽だよね」
本来ならば、一足飛びで伴侶の元に行く事も可能なのだ。けれどその力さえ残っていない。でも、だったらどうして……。
「ふふ。おかしいよね。何百年も生きてる奴が、十八年前に出会った少女を伴侶に選んだんだ。でもね、僕らは時の概念には縛られない。相手の容姿がいくつでも構わないんだ。魂そのものを見つめるから。ヨーコの魂は、あいつのお気に入りだった。
ヨーコも伴侶になっても良いと言ってくれた。だからあの珠を渡したんだ。それにその時すぐに伴侶にしたら良かったんだけど、ヨーコが言ったんだ。大人になったら迎えに来てって」
テル君が綺麗な顔をぐっと近づけて来た。私は少しどきどきしてしまう。つやつやで柔らかそうな茶髪にくりっとした黒目。まつげも繊細で長い。ふっくらとした唇が薄く開いて、声をひそめて囁いた。
「ヨーコはあの時十歳だった。子供の口約束だよ。そりゃ、その場限りのもんさ」
深く考えずに、そんな約束を交わしたのだろう。いや、もしかしたら変なお兄ちゃんだなあ、くらいにしかその当時のお姉さんは思っていなかったに違いない。現に伴侶の命になる漆黒の珠を、私にぽんとくれたくらいだから。私は思わず苦笑した。人外様はその約束を真面目に守ったのだ。
「迎えに来るのが、ちょっと遅かったみたいだ」