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「ユイネ様。本日執り行われます『豊饒の儀』は民に開かれた神事となっております。ご見学なされてはいかがでしょう?」


 おそらく来賓の間であろう場所で、私はふーちゃんとお絵かきをして遊んでいた。もっぱらふーちゃんがクレヨンに似た筆記具で、大きな用紙に思う存分、ぐりぐり模様を書きなぐっている。勢い余ってぴかぴかに磨かれたテーブルの上にはみ出してしまう事、数回。一緒についていてくれる女官さんは笑って構いませんよ、と言ってくれた。私はふーちゃんから出されるお題に従ってぞうさんやねこさんを描いたりしている。


「へえ。そうなんですか」

「ええ。人の王や王族の皆さまも参列なさいますし、その時は神殿につとめておりますわたくし共も全員参列致します」


 年若い女官さんはにこりと上品な笑みを浮かべて説明をしてくれた。


「国土の平安と繁栄、豊かなる大地を祝う儀式で、民は守り人様に日頃の感謝と先々の平和をお祈り申しあげます。雅楽の奉納や舞もあって、とても華やかな神事なのですよ」



*



 その儀式はとても盛大で厳かで、神秘的なものだった。

 神殿の北の端にある真っ白の大きな舞台に、神官さんや女官さん達が正装をしてずらりと整列している。立派な来賓席にはこの土地を収めている王様らしきおじさまとその関係者の人達が座っていた。らしき、というのは遠目から見てもその身なりが豪華であるのが分かったからだ。私は舞台の上ではなく、岸辺の人ごみの中からそれを見つめていた。この儀式を見に集まって来た大勢の人々はガルクループに生を受けて生活している、いわゆる庶民の方々。みんな着物に似たつくりの服を着ている。神殿でみかけたようなものではなく実用的な生地でしつらえてあるそれに、私も袖を通している。老若男女の人々が目をきらきらと輝かせて舞台を見つめていた。


「ゆいね。みえないっ。だっこ」


 目立つといけないからと同じような服に着替えたふーちゃんを抱き上げると、隣で立っていたおじさんが気付いて声をかけてくれた。


「こっちの方ならまだ前が見やすいよ。ほら」

「ありがとうございます」

「珍しいね。黒の髪だなんて」

「まあ! 本当っ。『漆黒』の守り人様と同じなのね」

「うわあすごいなぁ」


 周りの人達がふーちゃんの髪の色を見て、興奮した面持ちで盛り上がる。なるほど。見渡してみても、ふーちゃんやタロさんのような黒髪の人はまずいない。わっとおおごとになりそうになった時、


「あ! 始まったっ!」


 ごおおん。


 大きな鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。ぴりりと空気が震えて、人々がじっと固唾を飲む。


 ごおおん。ごおおん。


 二回続けて鐘の音が続き、それから弦楽器のような美しい音色がするりと大地を駆け抜けていった。

 舞台の端に弦や打楽器、吹奏の楽器を操る人々が並ぶ。その背後から一人の女性が、ゆっくりと舞台の中央に歩み出ていく。それと同時に澄み切った歌声が全てを包み込んだ。その声は清らかで伸びやかで、はじめは楽器の奏でる音なのだと勘違いした程に美しかった。神に奉納する為に紡ぎだされる音楽。それがこんなに綺麗だなんて知らなかった。


「うわぁ……」

「ゆいねすごいねっ。とってもきれいだねっ」


 ふーちゃんがその音楽の素晴らしさに興奮して大きな声を上げて、私は慌てて、しいっ、とポーズをとる。すると今度はひそひそ話の音量で、ふーちゃんが言った。


「あたちあれ好き。あれなあに」

「あれは歌。音楽だよ。綺麗だね」

「何。君達初めて?」


 隣に立つおじさんが私達の会話を聞いて同じ音量で話しかけてきた。


「あ。はい。そうなんです」

「すごいだろう? 豊饒の儀はずっと延期になってたんだが、無事に出来てよかった」


 ぎくり。

 それはタロさんがずっと私の世界にいたせいだからで、今回急に神事をどっと終わらせるような強硬スケジュールになってしまったのも、タロさんがまたガルクループを留守にするからで。

 こんな立派な儀式だって準備するのも大変なはず……。


「あ、あの……この土地にいる『漆黒』の守り人様ってどんな方なんでしょう」


 私は隣にいる優しそうなおじさんにタロさんの好感度調査を行う事に決めた。


「え? 知らないの?」

「あっ、あの、最近引っ越して来たばっかりで」

「へえ。それじゃずいぶん山奥かどっかで暮らしてたんだね。この地におられる『漆黒』の守り人様はね、いつも神殿を留守にして帰って来たらほとんど寝てて、それはそれはぐうたらな神様だよ」


 すごくショック……。もうそのまんまじゃないですか。どうすんですかこれ……。


「ひ、ひどいかみさまですね」

「ああ。でも守り人様は守り人様だよ。それ以外の何者でもないし、『漆黒』の守り人様は昔っからぐうたら神様だって有名だ。昔話だってあるよ。知らないのは君くらいじゃないかなぁ。四人の守り人様は私達の生活には欠かせない神様だよ。これっくらいの愛嬌があった方がかわいいじゃないか」


 そうか。タロさんのぐうたらぶりは、今に始まった事ではなかったのだ。それは多分、失恋をしてしまった何百年も前から。だからこの土地に住む人達もそりゃあ寛容になるわけだ……。

 このガルクループには、私のいる世界ではもうとっくに忘れ去られてしまった純粋な何かが息づいている。

 

「ほら。守り人様のお出ましだ」


 舞台に視線を戻すと、ちょうど歌が終わって雅楽の伴奏も静かに波が引いていくように、終わりを迎えていた。

 整然と並ぶ神官さんと女官さん達の中央が割れ、正装をしたテル君があらわれる。すると舞台にいる全員が足を折ってひれ伏していく。一拍遅れて、漆黒の衣装をまとったタロさんの大きな身体があわられた。いつものように髪を結わえず、肩にかかる黒髪。その長身からはこの場にいる全ての人達を無言にさせるような、ものすごく強いオーラが放たれている。私は緊張のあまり息を止めてその姿に見入っていた。


「不死なる大地の豊饒を。絢爛の未来への光芒を。我らの命と生死を。全ての帰結を司る力。偉大なるガリオレス一族へ、我らの清廉な忠誠と祈りを献上致します」


 凛々しい壮年の声音。王様が堂々と宣誓をして『漆黒』の守り人様の前へ出て跪いた。ゆっくりと厳かな動作でタロさんの右腕が動き、頭を垂れた王様の上へとかざされる。

 静寂の空間をさいて、雄々しく力強い声が大気を震わせ、世界に響いた。


「特別な力を与えられし一族の末裔、『漆黒』がこの地を導きゆかん。全ては世界の均衡と秩序の為に。善なる民らとの誓約を果たさん」


 分かっていた。本当は。

 タロさんの孤独は、私が考えるものなんかより遥かに重く、計り知れないものなんだ。だってそれは何百年も生き続けてみないときっと分からない。その孤独は、とても苦しくて悲しい。

 だけど言わずにはいられなかった。


「この地より、災いよ去れ。嘆くなかれ。次なる生を与えん」


 一人だって、思って欲しくなかった。

 悲しい思いをして欲しくなかった。

 自分は化け物なんだって言いながら、涙を流して欲しくなかった。

 とても傷ついて辛くて怖くて、真っ暗で……。

 そんな思いを、もうタロさんにはして欲しくなかった。

 もうタロさんに傷ついて欲しくなかったから、私は言ったんだ。「タロさんは一人じゃないですよ」って……。


 ああどうしよう。


 胸が苦しくて、目の前がぼやぼやとして良く見えない。


「ゆいね。ないてる……。どうしたの? かなしいの?」

「う、ううん。大丈夫。タ、タロさんがすごく立派だから……。感動しちゃったんだ。大丈夫だよ」


 女官さん達が私も舞台の上に参列するようにと最後まで誘ってくれたけれど、それを頑なに拒んでしまった。だって本来、私はそこにいて良い人間じゃないから。

 私にはこの場所が、やっぱり合ってる。

 どっと歓声が上がり、煌びやかで華やかな音楽が鳴り出すと舞台では舞が始まった。今まで厳かに見守っていた人達も振る舞われたお酒を手に、わいわいと賑やかになる。


「う……」


 ぐずぐずと私が泣いていたら、ふーちゃんが頭をなでてくれた。だから余計に涙が止まらなくなった。

 私の魂が綺麗だって褒められるのはとても嬉しい事だ。なのに、素直に喜べなかった。私はひねくれ者だ……。

 美しい魂だと言われるたびにヨーコさんの事が頭をよぎって、どうしても違う、と思ってしまう。

 違う。

 本当に美しい魂は、綺麗な魂は、ヨーコさんが持ってる。私のはちょっとそれに似てるだけ。

 ヨーコさんがタロさんの本当の半身で、見た目だってその魂に見合った美しさを持ってる。

 きっとあの舞台の上に立てるのは、ヨーコさんなんだ。私じゃない。分かってた事だ。最初から……。


「あ、ありがとう。ふーちゃん。もう大丈夫」


 私は涙目のまま、心配そうに顔を覗き込むふーちゃんに笑ってみせた。


「ほんと?」

「うん。大丈夫」


 もうタロさんには傷ついて欲しくない。

 

 好きな人には、幸せになってもらいたい。


 少しでも何かで役に立てれば、それで良い。

 その為だったらきっと頑張れる。


 

 


 

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