058
おい。なんだこれは。
くそ忙しい一日を終えて、五月蠅い神官共からやっと解放されたと思えば時刻は深夜だ。もうふらふらだ。だが疲労困憊の身体を引きずってでもここへ帰ろうと思うのは、ひとえにユイネの気に直接触れたいからだ。セウンリヒの馬鹿者の言うとおりに仕事を片付けているのも全て、僅かな間だけでもユイネの傍にいたいが為だ。それ以外の理由などない。世界なんぞユイネがいなければどうでも良い。
「……おい。なんだこれは」
口に出して言うが返事はない。当然だ。皆眠っている。寝台の上で仲良く川の字で眠る奴らを無言で睨みつけるが、虚しさだけが込み上げる。
おい。ここの主は俺だぞ。
ユイネの両側にテルと『負』がいて、三人仲良く、腹が立つ程気持ち良さそうに眠っている。
まあ良い。テルを消してやるか。それとも『負』を消してやろうか。思案しつつ寝台に近づいた時だった。
「あ……タロさん。お疲れ様です」
「……ああ」
ユイネが目を覚まし、小さな声で言いながら身体を起こそうとするのでそれを手で制した。
「あの……話したい事があって起きて待ってようと、思ってたんですけど……寝ちゃってました」
「そのまま寝ていろ」
寝台の端に身体を滑り込ませる。見るとテルと『負』は両側からユイネにべったりと寄り添って、そろって寝息を立てていた。……こいつらはどこまでも主をないがしろにするようだ。
「あは。動けないみたいです」
「叩き起こすか。それではお前も窮屈だろう」
「だ、大丈夫です。こんなにぐっすり眠ってるんだから、何だか可哀そうだし」
「ふん」
仰向けの状態で身動きのとれないユイネは、薄暗い闇の中でふにゃりと笑った。俺は横臥して肘をつき頭を乗せ、邪魔なテルの頭ごしにユイネを見下ろした。まあ、眺めているだけでも悪くはないな。
「今日サーシャさんに会って来ました。とっても優しくて可愛くて、明るい人ですね。……どうして苦手なんですか?」
「きゃんきゃんと五月蠅くてかなわん」
「うーん……」
「で、なんの話だ?」
「あ。はい。あの、サーシャさんにふーちゃんの事聞いたんですけど、大丈夫だって言ってもらえて、それで向こうの世界へも一緒に帰って良いって言ってもらえました」
サーシャの奴め。何か企んでいるんじゃないだろうな。あれは昇華せずとも、ガルクループに置いていた方が良いに決まっている。あの世界は力が強すぎる。いずれ歪みを作り出す『負』に戻ってしまう可能性が高い。
「タロさん? どうかしました?」
ユイネが顔だけを俺に向けて、不安げな声を出した。
「いや。……それで」
「はい。あと、守り人様の半身の話とか色々してもらえて、とっても勉強になりました。それで私、何だかやれそうな気がしてきたんです」
そんな訳はないのに、その言葉を聞いて何故か期待をしてしまう。やれそう? 何がだ。
「私、ヨーコさんを説得出来ると思います」
「……なに?」
「あっ。ま、まだ見つける事も出来てないんですけど、ヨーコさんに半身になってもらえるように、多分ちゃんと説明出来ると思うんです」
意気込んでいる相手を見て俺は心の中で落胆のため息をついた。
「おいユイネ」
「はい?」
「そんな小難しい事をせずとも良い方法があるぞ」
「えっ。何ですか」
暗闇に目が慣れて、はっきりと顔の輪郭が見える。俺を見上げる瞳を覗き込むように見つめてにやりと笑い、なるべく冗談に聞こえるように言ってやった。
「お前が俺の、半身になれば良い。それなら今すぐカタがつく」
案の定、ユイネはぎょっとして硬直した。
「くく。面白い顔だな」
「そっ、そん、そんな、自暴自棄にならないでくださいっ。は、は、半身っていうのは魂の伴侶でしょう!? 誰でも良いってわけじゃないんですからっ」
「おい。大声を出すな。こいつらが起きたら面倒だろうが」
「だってっ……。……す、すみません」
じとっと控えめに俺を睨みつけ、それから目を閉じてふうと息を吐き出す。
「……タロさんの魂の伴侶はヨーコさんです。私なんかじゃないんです。私じゃ、ないんです」
「だかお前の魂は気に入っている。お前の気があれば俺は……」
「それはヨーコさんの魂と似てるからでしょう。……私は、一時的に協力してるだけですから」
そうだ。お前の思いなど顧みずに、そのお人好しな性格に付け入って振り回しているだけだ。
ユイネ。お前にとっては迷惑な話だろうな……。
きりりと胸が痛む。
「あ、あの、それでですね、私こっちの世界に来て、やっぱりなって思ったんです」
真っ直ぐに天井を見つめたユイネが口元をほころばせた。
「タロさんは贅沢者です。みんなタロさんの事を大事に思ってくれてます。みんな優しくて、タロさんの事が好きなんです。セウンリヒさんもフティさんも、ここで働いている人達みんな。それに『紅蓮』さんもサーシャさんも、タロさんの事心配してくれてますよ」
ふん。余計な世話だ。
「たしかにタロさんがかみさまで守り人様だから、みんなそうしているのかも知れません。でもそれが何だって言うんです。それでも良いじゃないですか。……私、母や父や妹の事、やっぱり大事なんです。そんなに好きじゃないのかも知れないけれど、でも憎んだりしたくないんです」
静かに語るあたたかな横顔を見つめる。その声音は落ち着いていて心地良く、すんなりと胸の中へ染み込んでいく。
「私は父の連れ子で母とは血が繋がっていなくて、それで寂しい思いをたくさんしたのは本当です。母が私より麗奈を可愛がるのも多分本当で、私がそれで家族になじめなかったのも嘘じゃありません。だけど……それだけじゃないんです」
小さい頃、運動会の時には家族みんなで自分の応援をしてくれた。その時食べたおにぎりはとても美味しかった。数える程しかなかったけれど、父と二人で電車に乗って映画を観に行った事もあった。母親が違うと知らされて少し荒れた妹は、そっけなかったけれど、それでもお姉ちゃんはお姉ちゃんだよね、と一言呟いた。
「辛い思い出ばかりじゃないんです。色々思い出すと、ほんと……ちゃんとあるんですよね。楽しかった思い出が。悲しい事とか辛い事が続くと、ずっとずっと自分は不幸だったって思ってしまうけど、忘れてるだけなんです。ちゃんと誰かが、自分に優しくしてくれてた。それは家族だったり友達だったり……。そういうの、忘れちゃいけないって思うんです」
ユイネは顔を僅かに傾けて俺を見上げた。
「タロさんは一人じゃないですよ。ヨーコさんに万が一振られちゃったとしても、慰めてくれる人達がちゃんといます。支えてくれる人は、なにも恋人や特別なたった一人だけじゃありません。大丈夫です」
そうしてほにょっと笑う。
ユイネ。だからこそお前の魂はあたたかく美しい。闇を知り光を生み出す、しなやかな強さを持つ。
「……お前。俺には堂々と偉そうにものを言うじゃないか」
「はっ。す、すみません。そんなつもりじゃっ」
「前々から反抗ばかりするし俺の言う事はちっとも聞かんしな。俺は神だぞ。この俺に何度も説教するような無礼者はお前くらいだ。お前は俺の下僕だという自覚が足りん」
「ええっ! 何ですかそれっ」
「阿呆。だから大声を出すな」
「……す、すみません」
じっと睨み合い、お互いに笑った。
「明日、帰るんですよね」
「ああ。もう寝ろ」
「はい……おやすみなさい」
この寝台が狭いと感じる事はいまだかつてなかった。それはそうだ。この世界で、神と呼ばれる者が休む神聖なるこの寝台に、どうして何人も横になる事があるというのだ。苦笑がもれる。
唯音……。




