055(神の半身)
その神殿は、森の中にあった。
様々な緑が折り重なり、木々の幹は逞しく命に満ち溢れて、荘厳な空間を作り出している。呼吸をして、大自然の中に「生きて」いる緑の色がこんなに深いものだとは思わなかった。全てがきらきらと輝いているように見える。大地を覆う苔ですら、とっても綺麗だ。
「はぁ……」
「ユイネ。こっち」
涼やかなの声に振り向くと、森の緑を背景に佇む天使がそこにいた。小さな頭を少し傾けて、中性的な顔立ちの可愛らしい男の子がじっとこっちを見つめている。
「きれい……」
「もう。呆けてないで、おいで」
天使が苦笑しつつ私に向かって手招きをした。それでやっと我に返り、慌ててテル君の後に続いた。
「ここは『白銀』の神殿だよ。ガルクループにいる四人の守り人の内の一人で、一番の年長者」
「何歳くらいなの?」
「うーん。もうざっと九百年は生きてる」
すごい。
「本人は留守らしいけど、サーシャが、『白銀』の半身がここにいるんだ。タロちゃんから生まれた『負』の女の子の事が何か分かると良いんだけど……」
『白銀』の守り人様の神殿もタロさんのところと造りが同じだ。長い回廊が迷路のように入り組んで、たくさんの部屋を繋いでいる。
「ふーちゃん、やっぱり今朝もいなかったんだ。どこいっちゃったんだろう」
少し心配だけれどタロさんがどこかにいると言っていたので、消えてしまったわけではないと思う。
「うん。まあだいたい予想はついてる」
テル君が一つの扉の前で立ち止まった。美しいな木の年輪をそのままに、品の良い彫刻が施されている神々しいくらい大きな扉。それが音もなく内側から開かれていった。
「お待ち申しておりました。ティエルファイス様。ユイネ様」
扉の先、その廊下にずらりと女官さん達が両側に控えていて、それが次の扉まで続いていた。片側に……二十人くらいはいるだろうか。壮観な眺めにぽかんと口が開く。
「久しぶり。カエナント」
「お久しぶりでございます、ティエルファイス様。こちらへ。サーシャ様がお待ちです」
「うん。フェルズナックは?」
「『白銀』の守り人様とご一緒に視察巡行に出ております」
一人の女官さんがテル君の半歩先を歩いて先導してくれている。きっとこの神殿の女官長さんだ。雰囲気がどことなくフティさんに似ている。出来る女、という凜としたオーラだ。
私はさっきから緊張と興奮のあまり、少しばかり鼻息が荒かった。何せ初めて会えるのだ。かみさまの半身に。魂の伴侶さんに。一体どんな人なのだろう。色々と聞いてみたい事もある。
元々は真っ当な寿命をもった普通の「人」だったけれど、守り人様の珠を受け取り、永い時を共に歩もうと決めて、それを選択した人だ。きっとたくさん悩んだり迷ったりしたのに違いない。
女官長さんが背筋のぴんと延びた美しい礼をしながら次の扉を開いてくれた。中から暖色系の灯の明かりがもれる。ふうふうと私の鼻息が鳴る。扉が半分まで開かれた時、ものすごいスピードで中から何かがひゅ、と飛び出してきた。残像が目に残る。
「ゆいねっ」
「ぅおっ!!」
あ、と思った瞬間には私の身体に黒い塊が激突。驚いて男らしい声を上げる私の膝辺りに、ふーちゃんががっちりとしがみついていた。
「ふーちゃん! ここにいたの!?」
「ゆいねゆいねゆいねゆいね」
両脇の下に手を入れて抱え上げる。小動物系の可愛らしいふーちゃんの重みに、頬が緩んだ。ちっちゃな手で私の顔をぺちぺちと叩く。良かった。また会えて。
「うふふ。一足お先にお借りしちゃった。可愛いわね! ふーちゃんって言うの」
その声に顔を上げた。部屋の窓辺にある重厚で幅広のカウチに身体を預けていた小柄な女性が、ふわりと立ち上がった。
無造作にまとめあげた薄茶色の長い髪がゆるやかなカーブを描いて肩にかかる。身ごろのゆったりとした薄桃色のワンピース。チワワのようにくりっとした瞳に、白い肌。ふっくらとした頬に色の薄いそばかすが散っていて、それがとってもチャーミングだった。
「やあサーシャ。久しぶり。元気そうだね」
テル君が柔らかな声で言うと、その女性がぱっと花が咲いたような華やかな笑顔を作って両手を広げる。
「ティエル! 久しぶりぃ。元気だったぁ!? もうちっとも遊びに来てくれないんだから!」
きゃっとテル君に飛びついて、ぎゅうぎゅう抱き締めている。私はぼうっとしながらその光景を眺めていた。『白銀』の半身であるネディ・サーシャさんは私よりも少しだけ背が低く、ちんまりとした外国の美少女みたいな女性だった。……間違ってもうん百年生きているお方だとは思えません。
「それでこの子が、ユイネちゃんね! 初めまして! 私がサーシャよ。よろしくっ」
飛びつくように私の両手を握り締めて、ぶんぶん振り回して、力いっぱい歓迎の意をあらわしてくれた。どうして私の名前を知っているのか、とかそんな疑問も吹っ飛ぶ程の元気オーラが全身から溢れている。ものすごい至近距離に可愛らしいお顔が迫り、私は赤面しながら笑顔を返した。
「は、初めまして。倉田唯音です」
「まあまあまあ! 素敵……。とっても綺麗!」
「え……」
「あなたの魂の音色」
「……あ。ありがとうございます」
お礼を言うとサーシャさんは一瞬だけきょとんとした表情になって、こう付け加えた。
「もっと喜んで良いのよ? 容姿を褒められる事なんかより、よっぽど価値があって本当の事なんだから」
一瞬、どきっとした。
「さあ! 私に聞きたい事があるのでしょう? ここ何日かダーリンがお仕事でいないから、ちょっと退屈してたの。何でも聞いてね。私、ユイネちゃんとたくさんお話したいわっ」
語尾にハートマークがつきそうなうきうきした口調のサーシャさんが、テーブル席を勧めてくれる。そこには優雅なティータイムセットが既に用意されていた。
サーシャさんの圧倒的な明るいパワーに多少面食らっていた私だけれど、時間が経つうちに心がほこほことあたたかくなっていった。
「ええ~! 『漆黒』の事をタロちゃんっていうの!? とっても素敵! 私もこれからそう呼ぼうっと」
かみさまの半身で、人よりも永い時を過ごして様々な経験をしてきているだろうその人は、おとぎの国のお姫様みたいに可愛らしくてお菓子みたいに甘い雰囲気で、女の子、という言葉がぴったりの女性だった。