051
儀式を終えた後もこまごまとした仕事を片付け、夜空に月が高く昇った頃にようやく部屋に戻った。
「遅くまでかかったね。もうフティ達には休んでもらったよ」
「ああ……。腹が減った」
「じゃあさ、隣の部屋に用意するからユイネも起こしといてね。ずっと寝っぱなしで晩御飯まだなんだ」
美しい子供はそれだけ言うと、一瞬にしてその場から消えた。大きな寝台の上、ずいぶんと右の隅の方でユイネが静かに眠っていた。
「おい。起きろ」
細い肩を揺すると、ゆっくりと瞼が開かれる。ぼやっとした表情で上体を起こした。
「あ……タロさん。すみませんでした」
ぼやっとしたままユイネはぺこりと頭を下げた。髪留めが柔らかい髪に絡まっていつも以上にぼさついた頭になっている。俺はため息をつき寝台の脇に腰を下ろした。
「謝るような事をしたのかお前は」
「あ、あの、子犬みたいな名前をつけちゃったから、怒ってるんですよね」
「なんだそれは。別に怒ってなどいないぞ。……名など俺にはあまり意味がない」
言いながら髪留めをとってやろうと手を伸ばした。ユイネの髪は細く柔らかいので複雑に絡んでいるようだ。なかなかうまく取れず、少しばかり力を入れて髪留めを引っ張った。
「いたっ。いたたたっ。ちょっ……やっぱり怒ってるんでしょう」
「違うっ。これがうまく取れんのだ。くそっ」
「も、良いですから。自分で取りますからっ。あだ!」
「おい、とれたぞ」
俺の手の中にある髪留めを見つめ、ユイネはぼさぼさ頭に手をやって息をついた。
「……ありがとうございます」
うらみがましい声で言い、そこでやっと俺を見上げて目を丸くする。
「タロさん……か、かみさまみたいです。すごい」
「みたいではなく俺は神だ。どうだ、恐れ入ったか」
「は、はい。……そういう格好をしてるとちゃんとして見えます」
ふん、と鼻で笑い、堅苦しい衣をばさりと脱ぎ捨てた。じゃらじゃらとした腕輪も首飾りも邪魔だ。外して床に転がしていく。俺が豪快に着替えはじめると、ユイネは寝台から降りて俺の脱ぎ捨てた衣やら何やらを拾い上げた。
「高そうな服にしわが寄っちゃいます」
「お前、夕飯まだなんだろう? 着替えて隣の部屋に来い」
「はあ……」
どうやらこいつは慣れない環境に突然放りこまれたせいで、多少疲れているようだ。しおれている。
「あれ。ふーちゃんは」
「ふーちゃん?」
「『負』の女の子です」
「さあ。知らんな。気配はするからどこかにいるんだろう」
そういえば、その『負』も何とかせねばならない。明日こそはサーシャに聞かなくては。
ユイネはきょろきょろとあたりを見回し、しょんぼりと肩を落としてますますしおれていく。ふと思いつき、俺はユイネを見下ろした。
「こっちにもルーウィという名の酒があってな。なかなかウマいぞ」
すると少しばかり目に輝きが戻る。こいつは意外と酒好きで、それに強い。俺はユイネと酒を飲む時間がとても気に入っている。
「すぐに着替えて行きますね!」
ユイネの素直な反応に思わず笑った。
*
まあこれは仕方のない事だ。おそらくはこんな状況になるだろうと予想をしていなかった俺が悪い。
考えてもみろ。突然自分の全く知らない世界に連れて来られて、人見知りする性格だというのに周りには初対面の者達ばかりがぞろぞろといる。一応社会人としての振る舞いは身につけているので、何とか当たり障りなく対処しようと頑張る。だが自分の知らない話を有無を言わさず聞かされて(それも数百年前の失恋話なんていう、陰気な話だ)、悩まされて、心はへろへろに疲れ切っていたはずだ。
ここへきてやっと俺とテルとテーブルを囲み、普段と変わらない夕餉の時間を過ごしたおかげで一気に緊張がほぐれていったのだろう。そこへ美味い酒があるもんだから、酔うなという方が酷である。
「だからー! 私は別に偉くもなんともないんですっ。様とかつけて言われるような人間じゃないんですっ。それにー、どーして私がタロさんのむかぁしの失恋の話を聞かなきゃならないんですかっ」
ユイネはスウェット姿でばしりとテーブルを叩き、ぐいと酒をあおった。珍しく顔が赤い。テルが頬杖をついてくすくすと笑っている。
「ちょっとテル君! きーてるの」
「うん。ごめん」
「タロさん! お酒っ」
「もうやめておけ」
そう告げると恐ろしくすわった目で俺を睨みつけ、グラスをずいと突き出してくる。
「飲ませてくれないなら、もう気をあげませんから! 良いんですかっ。良いんですね!」
完全に酔っ払っている。仕方なく酒を注ぐと、分かれば良いんです、とのたまった。
「こんなユイネ初めて見た。可愛いね」
おい。テル。余裕だな。