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 タロさんは風邪を引いて具合が悪い状態なのに、私がうきうきそわそわと出ていったもんだから、きっとへそを曲げてらっしゃるのだ。

 うーん。帰りにお土産を買って帰ろう。



*


 

『いい加減、良い子ぶるのを止めたらどうだ』


 あの時、私はタロさんのその言葉にとても傷ついた。目の前が真っ暗になってしまうくらい、ショックだった。それと同時に分かってしまった。

 私は全然、自分の過去を乗り越えられていなかったのだと。きちんと消化出来ていなかったのだ。

 もう成人して自分で稼いだお金で生活をして、一人暮らしにも慣れていたから。勘違いしていたのかも知れない。自分は強くて、どんな事があっても何ともないよ、という顔で乗り越えられていると思っていたのだ。本当はちっともそんな事はなくって、ただ目をつぶって逃げていただけ。

 とても弱くて情けない、小さいままの自分だった。

 あの時はタロさんに言われた事が悔しくて、これ以上傷つきたくなくて怒りの感情で自分を守ろうとした。だけど……。

 

 たしかに私は、良い子ぶっていたのかもしれないと思う。

 それは、自分が選んで歩いて来たはずの人生を、あたかも周りの人達の幸せを願っているから、周りの人達の為にそうしてきたんだと言わんばかりの、思いあがった無責任な考えの事だ。


 嫌なら嫌だと言えば良かった。

 苦しいなら苦しいと言えば良かった。

 それを言えなかったのではなく、言わなかったのは、自分だ。


 本当に強い人は、自分が嫌だと思う事をしないようにする為にはどうすれば良いかと知恵を絞って考える人の事だ。うんと悩んで自分が出した思いに、責任を持てる人の事だ。

 他人の思いに乗っかって生きる人生は、どこかひとごとで、少し楽ちんなのだと気付いた。



*



「いやあ! 面白かったですね!」

「ほんとっ。私、最近観た中で一番かもしれません」

「ほんとですか!? 実は俺もそう思ってたんです」

「やっぱり!?」


 前を歩いていたカップルが私達の興奮した大声に振り返った。私は恥ずかしさに赤面しつつ、小声で提案をする。


「あの、もうお昼にしません? 色々話したくって……」

「そうしましょう」


 笹本さんと観た映画は、ずっと以前に映画化もされているアクションヒーローもののリメイク映画だった。今シーズン話題のそれは、とてもハラハラとして面白くて、『正義』という信念の為に主人公が選び取る道の厳しさに胸がつまる思いがした。正義も悪もあいまいで、なのに人の綺麗な心が描かれていた。本当に素晴らしい作品で、私はこれを笹本さんと一緒に観る事が出来て、すごく良かったと感じた。


 それからお昼を食べながら話し込んでいる間も、普段なら顔さえ向けないゲームセンターでクレーンゲームに興じている間も、雨はずうっと降り続けていた。

 念の入った事に私達が屋内にいる間には止み、外へ出て歩き出そうとした矢先にまた降り出すという具合で。なんて嫌味な雨なんでしょう。

 ……タロさん。もう降参です。ごめんなさい。


「今日はとっても雨に好かれる一日だったなあ」

「ほんと。不思議な事もあるもんですね」


 うふふ、と変な笑い方になってしまう。帰りの電車から見える町並みは、濡れた屋根がぴかぴか輝いている。そう。雨は止んでいる。今は、だけど。


「俺のバイトがなきゃ良かったんですけど……すみません」


 珍しく憂い顔をした笹本さんが、ふう、とため息をついたので私は慌てた。


「そ、そんなっ。笹本さん忙しいのに、ほんとにありがとうございましたっ」

「あ、いえっ。そういうつもりじゃなくてっ……すごく楽しかったから、このままバイトに行くのは名残惜しい気が……」

「あ! ま、また行きましょうっ」


 勢い込んで口走ってから、一気に恥ずかしくなってしまい、私は猛烈にあわあわした。笹本さんがきょとんとした顔をしたので、一層恥ずかしくなる。


「あああ! その、あの、お暇な時にでもっ」


 もうだめ。なんかもうだめ。


「……ええ。もちろんです。是非、また」


 少し背の高い笹本さんを見上げると、穏やかに笑っていた。その柔らかい表情にほっと一安心する。

 車内のアナウンスが聞き慣れた駅名を告げ、電車を降りて改札へと向かった。


 もう驚かないぞ。改札口を一歩出れば雨が降る。もう分かってるんだから。いつでも来なさいっ。


 私は心の準備をして傘を広げるスタンバイをしながら改札を出た。


「うわあ。すごい」


 一足先に外へ出ていた笹本さんが立ち止まって空を見上げている。不思議に思っていると、周囲の道行く人達も同じように空を見上げながら歩いていたり、立ち止まったりしていた。つられるようにして私も頭上を見上げる。


「あ……」


 西日が傾き始めた空に、綺麗な虹がかかっていた。


「すっごく綺麗ですね……。こんなにはっきり見えるの、あんまりないですよね」


 誰かがケータイで撮影をしている音が聞こえた。それくらい、見事なアーチを描く虹だった。

 もくもくの白い雲と灰色の雲は両脇に押しのけられ、薄青い空に鮮やかな色彩の虹。赤、橙、黄色、緑、青……。まるで夢の中で見ているみたいに幻想的で、美しくて、ぎゅっと胸が苦しくなる。感動して、泣けてしまいそうになる。


「ほんとに、綺麗……」


 夢中で空を見つめていた。ただこの美しい景色を、心に刻んでおきたくて。

 なんて綺麗な空。

 素敵な虹……。


 端正な顔をくしゃっとさせて笑う、かみさまの可愛らしい笑顔が脳裏に浮かんだ。

 鼻の奥がつんと痛くなる。


「こんなにすごい景色、唯音さんと見れて良かったです」

「え……」


 夢中すぎてぽかんと口を開いていた私は、笹本さんに視線を戻す。また柔らかく笑っていたので、私も笑顔を返した。

 笹本さんと駅前で別れた後、足早に家路を急いだ。タロさんの最近のお気に入りであるメルバースのプリンを手に。








 

 





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