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031

 テルが動揺しているユイネを何とか席につかせ、そのこじんまりとした手の上に白魚のような手を重ねた。


「何があったの?」

「さ、さっき電話があって。あの、もうこっちに着いてて、もうすぐうちに来るって言うから……」

「誰か来るの?」


 刹那、言い淀む。


「ユイネ」


 ユイネは俯いたまま、息をととのえるように一度深呼吸をして口を開いた。


「い、妹が……。私の妹が、こ、ここに来るから」


 テルはじっとユイネの顔を見つめている。

 なんだ、そんな事かと俺は大きく息を吐き出した。身内が来るというだけで、どうしてそこまで血相を変えて慌てなくてはならんのだ。


「だからその、タロさんとテル君の事、何て説明したら良いか分からないし、あの……」

「そんなもの何とでも言えば良いではないか。俺は腹が減っているのだ。何も食わずに出ていけというのか」

「す、すみません。でも」

「勝手にやって来る方が悪い。迷惑千万この上ない」

「……タロちゃん。僕らも勝手にやって来て居候してるんだけど」

「俺は良いのだ。神だからな」


 ピンポーン。


 それ程大きな音量ではなかったのだが、ユイネの肩がぴくりと反応した。怯えているようにも見える。


「あ、あのっ。とにかくお願いしますっ」


 テルが無言で俺に顔を向けた。美しい子どもの真剣な目つきに、何かがあるのだと分かった。



*



「久しぶりぃ。あはは! 変わってなーい! チョー地味!」

「……突然どうしたの?」

「えっとぉ。今日が水曜だから、明日ね。オーディションがこっちであるから泊めてもらおうと思ってぇ」


 心なしか消沈したユイネの声と、舌たらずな女の声が玄関から聞こえた。


「あれ!? なんか良い匂いしない? わあっ。なにこれ! チョー美味しそうっ」


 女がキッチンに並んでいる料理を眺めて歓声を上げる。そこにあるのは最近俺のお気に入りである中華料理だ。テルが調理を済ませ、後は口に入れるだけだったというのに、いまいましい。女は「エビチリ」のエビをひとつつまんで口の中に放り込んだ。それから大げさな声を上げる。


「唯音ってこんなに料理うまかったっけ? てかこれ、多くない?」

「あ、いっぺんに作って冷凍とかするから」

「あたしお腹すいちゃったあ! シャワー浴びて来るからよろしくネ」


 鞄やら上着やらをぽんぽんとソファに投げ、女は長い髪を一度かきあげて鼻歌を歌いながら浴室へと消えて行った。


「なんだあの女は! 図々しいにも程があるぞ」

「人の事言えないでしょ」

「本当にあいつはユイネの妹か? ちっとも似とらん」


 俺とテルは姿を消したまま、部屋の隅に立ってひそひそと囁き合う。ユイネがゆっくりと俺たちのいる空間に顔を向けて言った。


「あ、あの……声、聞こえるんですけど」


 光の屈折の角度や空間を曲げれば姿をくらます事は容易い。だが声まで消す事は難しいのだ。


「ユイネ。あの女をさっさと追い出せ。俺のエビチリをあんな女に食わす気か」

「料理なんてまた僕が作ってあげるってば。ユイネを困らせないでよ」


 目の前にいるユイネが、しゅんと肩を落としてため息をついた。


「すみません……」


 何とも気に入らん展開だ。

 何故俺が腹をすかせたまま壁際に立って姿を消さねばならんのか。何故ユイネがすまなそうに謝らなければならんのか。見るからにこいつだって迷惑そうにしているではないか。なのに何故、こっちがこれ程気を使わねばならんのだ。何だ、何なんだあの女は。


──あれはユイネの妹。異母妹だよ──


 テルが直接俺に語りかけてきた。 


 それからユイネの妹だという女は、テルの拵えた料理をうまそうに食い散らかし、テレビゲームでひとしきり遊び、明日は7時に起してと言い捨てて寝室の高級ベッドにもぐり込んだ。

 おい。これは一体どういう事だ。


「くそっ。いつまでいるつもりだ!?」

「ちょっ、タロさん、声もう少し小さくっ」


 女が寝入った事を確認して、腹立ちまぎれにソファに腰を下ろす。ユイネが俺を見下ろして必死に囁くが、ますます腹が立って仕方ない。


「ユイネ! 妹だか何だか知らんが、どうして何も言わんのだ」

「え……」

「お前だっていやなんだろう?」


 そう言うと、驚いたように両目を見開いてから大きくかぶりを振った。


「べ、別に私はっ……。麗奈ちゃんはタレント事務所に所属してて、それでたまにオーディションとか受けにこっちに来るから。よくある事で……」

「それにしたって図々しいぞ。まるでお前が召使いのようではないか」

「タロちゃんがしてる事と一緒じゃない?」


 面倒なのでテルの呟きは無視だ。


「あ、あれは図々しいんじゃなくて、天真爛漫なだけで。とっても良い子だから」


 見上げると困ったように眉を下げているユイネと目が合った。


「……本気で言ってるのか」


 お人好しにも程があるぞ。


 翌朝、レナという名の女は厚化粧をして派手な服に身を包み、部屋を出て行った。そのすぐ後にユイネも慌ただしく仕事へと向かい、静まり返った部屋で俺とテルは無言でため息をこぼした。



*



「ちょっと調子悪かったんだよねぇ。だってほら、昨日寝るの遅かったしぃ。あたしってほんと運悪い。ついてない。はーあ」


 その夜も傍若無人に振る舞うユイネの妹は缶ビールを片手にぶつくさと言い訳を並べ立てていた。どうやらオーディションというものが良くない結果に終わったようで、さっきから聞いてもいない事を早口でユイネ相手にまくしたてていた。


「ね、そう思うでしょ?」

「そうだね。麗奈ちゃん、可愛いのに。受かんないなんておかしいね」

「でしょお!? 短大でもぉ、あたしのファンってたくさんいるんだからぁ。一度に何人からもコクられたりすんの。でもぉ、やっぱイケメンじゃないと、あたしと釣り合わないでしょぉ!?」

「うん。そうだね」


 さも嬉しそうにうふふ、とレナが笑った。それ程酒が強いわけではないらしく、少し酔っているようだ。


「唯音はさ、そんな経験した事ないでしょ」

「え……」

「ていうかぁ。いまだに処女?」


 その下品な言葉に傍目で見ても分かる程ユイネが動揺すると、何が面白いのか、けたたましい笑い声が上がった。


「チョー受けるぅ! それってやばくない? 腐ってんじゃない? おねーちゃん!」


 もう我慢ならん。聞くに堪えん。一歩足を動かすと、すかさずテルに腕を掴まれた。


──だめだって。余計に話がややこしくなっちゃうでしょ!?──


 黙って聞いていろというのか? そんなのは、俺の性分ではない。


──君が騒いで困るのがユイネだから、我慢しなくちゃだめなの──


 僕だっていやだよ、とテルはふてくされたように呟いた。


 あの女はオーディションとやらに落ちたストレスをユイネにぶつけて解消しているだけに過ぎない。認められなかったという現実を受け入れられない程プライドが高く、高慢ちきだ。あからさまな言葉を使ってユイネを傷つけ、それで自らの自尊心を満足させている。腐っているのはこの女の魂だ。

 全てを分かっているくせにユイネは何も言わずに、ただただ受け入れてやっている。


「唯音って、昔っからあたしのせいで損ばっかりしてるよねぇ。あたしの方が可愛いから、いつだって注目されるのはあたしだしぃ。あたしの事、嫌いでしょ」

「ううん。だって麗奈ちゃんが可愛いのは本当だし」

「パパもママも、あたしばっかり可愛いがるもん。ま、仕方ないよね」


 連れ子だもん、と勝ち誇ったように呟いた。


 我慢の限界である。


「おい女っ! 今すぐ出ていけッ」


 突然現れた俺に驚いて、驚愕の表情を浮かべたユイネの妹が勢い良く立ち上がり大きな声を上げた。


「きゃあっ! あんた誰よっ」

「とにかくさっさと出て行け! お前の話を聞いていると耳が腐る!」

「……え、なに。何言ってんの。てか、チョー格好良くない!?」


 瞬間的に立ち直った女の目が、好奇な輝きを帯びた。まとわりつくような女の気配に俺の機嫌は最高に悪くなる。


「タ、タロさんっ」

「女、良く聞け。何を思い上がっているのか知らんが、お前はちっとも美しくない」


 一言、そう告げただけで女の表情が一変した。


「何……なんなのこれ。意味わかんない」


 混乱しながらも女の瞳には憤怒の炎が宿り、敵意が一気に膨れ出す。


「俺のユイネを貶めるような事を言うのは許し難い行為だ! 言っておくがな、お前程の女なんぞこの世にごまんといるのだ! 身の程を知れっ」

「唯音っ。こいつ誰よ!? どっから聞いてたわけ? どっかに隠れて聞いてたんでしょ」


 女はユイネを振り返り、怒りの矛先を俺ではなくユイネに向けた。


「何これっ。あたしを馬鹿にしてんの!? あんたが仕組んだのっ。ひどいっ! 最低ッ」

「ち、違うの。麗奈、お、落ち着いて……」

「だからなにさまだと言うのだっ。どうせ甘やかされて育ったんだろうが、性格の悪い女は最悪だ! たいした事もない己の容姿を鼻にかけて自慢して、何が面白い!」


 一番傷つくであろう言葉を選んで、言い放つ。恐ろしく歪んで醜い憎悪の感情を、ユイネにぶつけた事がまた許せない。そうやって俺のユイネを攻撃するのなら、その上をいくまでだ。

 わなわなと口元を震わせて女が振り返ったかと思うと、大粒の涙を流し始めた。


「……ひ、ひどい」

「はっ! 泣け泣け。泣いたってやめてやらん! このドブスがっ」

「うっ……うわあああッ」


 女が子どものように大声を上げて泣き出した。

 そこで、はっとした。しまった。

 泣いている女の後ろに、珍しく怒りをあらわにしたユイネが見える。


「ひどいっ! ひどいぃぃぃ……うえぇっ。唯音ぇぇっ」


 ユイネが女の肩を抱くと、すがりつくようにしておいおいとまた涙をこぼす。


「……タロさん」


 くそっ。最悪だ。





ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


2点ばかり補足をさせてください。

・『麗奈』の読み方をレイナ→レナに変更しました。

・タロさんは興味のない相手には何の観察もしないので、そういう理由からユイネの妹さんの描写はほとんど皆無です。女、としか認識しません。


いつも読んで下さる心優しき方々に最大の感謝を。


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