030
見た目が怖いだの何だのと言われても、どうしようもない。そんなものさっさと慣れてしまえば問題ない。守り人の異能の力は万能に近いが、己の姿形を変えるなどという無意味な事はしたくない。大事なのは外見ではない。魂なのだ。
良かろう。他にもいくつか手段はある。
「……何ですかコレ」
スウェット姿のユイネが両目を見開いて呆然と呟いた。こいつの反応は予想通りだ。
「見て分からんか。神である俺にふさわしい、キングサイズのベッドだ!」
「これじゃ、ベッドしかこの部屋に置けない……」
「ふん。寝室ならば問題あるまい。だいいち、元々お前の部屋が小さすぎるのだ」
「あの、私のベッドは……」
「あれは捨てた。前のベッドでは俺の両足が出てしまうからな。これなら大丈夫だ」
昼間家具屋に行き、背の高い俺でも足が出ないサイズのベッドを購入して寝室に運んだ。運ぶ際に扉と壁が邪魔だったので取っ払った。だから寝室の扉はなく、廊下からすぐに高級ベッドに倒れ込める。
部屋一帯が、肌触り最高のベッドの上なのだ。
すぐ近くで、諦めたようなため息が聞こえた。
「……も、良いです」
「さて。今夜からお前もこのベッドで寝てもらおう」
ぎょっとして俺を見上げる。口が動き、なんで、と声にならない声で呟くユイネに向かい、微笑みかけてやる。この容姿が怖いらしいから、なるべく笑顔を作ってやろう。俺は優しい。
「最近気付いたんだがな、人は寝ている時まったく無防備な状態なのだ。よってお前も寝ている間だけは俺に心を開いている。その間に気をいただく事にした」
「でもっ、そんなっ」
「口応えは一切却下だ! お前は俺の傍で寝ろ!」
顔を真っ赤にして眉間にしわを寄せ、ぴったりと口を閉じてユイネが沈黙した。どうやら静かに怒っているようだ。だが、知らん。逃がさない。
「……困ります」
「これは提案ではない。命令だ」
「嫌ですっ」
「ほう。この世界が壊れても構わないという事か?」
「ひ、卑怯ですっ」
「お前だってあのソファでは窮屈だろう」
「それはそうですけど、一緒のベッドはちょっと……」
「ねえ、もう寝て良い?」
押し問答を続ける俺とユイネの間を割って、テルが眠たげに目をこすりながらやって来た。
「テル君、あの、あのねっ」
困惑した表情でユイネがテルを見下ろす。テルは大あくびをしながらユイネの手をとり、小さな頭をその胸に預けて寄り添った。
「ね、もう寝ようよ、ユイネ。大丈夫だよ。この野蛮人から僕が守ってあげるから、一緒に寝よ。このベットふかふかで気持ち良いんだ」
やんわりと、有無を言わせずにユイネの手を引いて俺の前をすんなりと通り過ぎる。
……何故だ。
大きなベッドに俺とテルとユイネがおさまり、薄暗い闇の中で視線を感じて顔を向けると、相手はじとっとした目で俺を睨みつけていた。それは疑いと警戒心丸出しの目だった。
「阿呆っ。お前に何かをするつもりは一切ないぞ。もうとっくに色欲なんぞ枯れ果てているんだ」
ユイネは目を丸くして口を開けた。薄暗くて判別出来ないが、きっと赤面しているのだろう。
「し、色欲って……」
「何百年生きていると思っているのだ。俺は『紅蓮』とは違うぞ」
どんなに美しい女性だろうが悩ましい肢体だろうが、何だろうが興味はない。俺には既にそういった感情が死に絶えている。きっと生きすぎるとこうなるのだ。だが、美しい魂は別だ。何としても手に入れたいし傍に置きたい。欲しくて欲しくてたまらない。しかしだからといって、その魂の持ち主を抱きたいだとか、そんな風に思う事もない。ヨーコに対しても同じだったのだからそうだろう。むしろ男だろうが女だろうが構わないくらいなのだ。そう。雄とか雌とか、そういう繋がりなど求めていない。
そんな関係はもう終わったのだ。遠い遠い、あの昔に。今では夢見る事もない。
「……分かりました。もう寝ますっ」
ほんの少し不機嫌な声が聞こえ、はじっこに小さく丸まってユイネが横になった。
そうだ。それで良い。こいつがきちんと寝入った事を確かめてから、邪魔なテルを消してやろう。
*
ふっくらと心が満たされていく。重く冷たく、凍てついた孤独が静かに溶けだして、呼吸をするのも辛くない。優しい大気が四肢を包み込む。嫌で嫌で仕方のなかった夜の闇も、気付くだけで憂鬱になる次の日の訪れも、今は自然に受け入れられる。朝日の何と清々しい事か。
ああ……世界は、己が思っているよりも遥かに、美しいのかもしれない。
「……やっと慣れてきたようだな。まったく手のかかる奴だ。この俺をここまで手こずらせるとはな」
「す、すみません」
あたたかく優しい気が俺の命を生かす。力が漲る。
「あ、あの、もう良いですよね」
「だめだ」
腕の中にある、女の柔らかな身体が僅かに強張る。そんな相手にお構いなしに、思い切り抱き締めた。
「うっ……」
幾日も寝床を共にし、毎朝いやがられながらも抱きつき、やっとユイネが俺に慣れて心を開き始めたのだ。
野生の猫を手なずけるよりも難しかった。人間は生きている分だけ確固たる価値観と意思を持つ。餌をやれば良いという話ではない。だからなおさら、達成感があるのだ。
ユイネからはほんのりと花の香りがした。それは俺も使っている、シャンプーというものの残り香だ。しかし何故だか俺の腕の中にいる女から香る匂いは、もっと上等な香水のような香りがした。
体温が伝わる。感覚を研ぎ澄ますと、小さな心臓がどくどくと鼓動を打っている律動を感じる事ができた。ユイネは意外と華奢で、意外と女らしい体型をしている。
心地良い。ずっと、こうしていたい。
「馬鹿っ! そんなにぎゅうぎゅうにしたら息出来ないでしょっ」
テルの声にはっとして力を緩めると、ユイネの身体がふらりと傾いてテルがそれを支えた。
しまった。どうしても逃がしたくなくて、力を強めてしまった。
「ユイネ、大丈夫!?」
「う、うん……。テル君、ありがとう」
小動物のような二人が、非難めいた目を俺に向ける。わざと咳払いをして、ふんぞり返って言ってやった。
「今日のところはこれで許してやろう!」
ユイネが仕事に出た後はテレビを見たり電車を使って観光地をのんびり回ったり、コーイチを呼びつけてゲームをしたりして一日を過ごす。異世界からやって来た俺にとってこの世界は、場の引力が強すぎるのだ。ガルクループに居た時の数倍は神経を使う。むやみやたらに力は使えないので、見過ごす事の出来ない歪みが見つかった場合にだけ移動して『負』を片付ける事にしていた。
そうまでしてここに留まる理由は何だ。
ただ一つ。
俺が愚か者だからだ。
*
その日、帰宅したユイネの顔色が真っ青だった。いつもくせでうねっている柔らかな髪を一つに束ねて右肩に垂らしているのだが、走って帰って来たようで、ところどころがほつれていた。
「……おかえり。何かあった?」
尋常ではない空気を察して、テルがキッチンから出て仁王立ちしているユイネの腕にそっと触れた。すると、びく、と肩を震わせて俯く。
「何事だ」
俺は腹が減っていたが、普段大人しくよっぽどの事がない限り取り乱したりしないユイネの反応が気になって、椅子から立ち上がって近づいた。
ユイネが、ものすごく小さな声で何かを呟いた。俺とテルは一瞬視線を合わせ、ユイネの口元に耳を傾ける。
「ユイネ。も一回言って」
テルが告げると、ごくりと唾を飲み込んで、ユイネがもう一度呟いた。
「あの、申し訳ないんですけど、今すぐ出て行ってください。お願いします……」
何だと!?