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028(ゆるやかな確信)

「おいこらタロ助よ。お前もちったあ学習しろよ」


 扉を目の前にして振り返った『紅蓮』が、俺を見上げて言った。


「何が」

「何がじゃねえ。俺が分からねえとでも思ったか? テルのなつきようを見たら一発だ」


 燃えるような赤の短髪に手をやって、がしがしと頭を掻きながら続ける。


「このド阿呆が。異世界の女なんぞ、余計にわりぃぞ」

「ヨーコの事はもう諦めている」


 そうだ。漆黒の珠を手掛かりにこの世界に降り立ち、そこで出会った女がヨーコではなかった時点で、本当は諦めていた。そればかりか懲りずに半身を手に入れようとしていた己に腹が立った。


「だったらなんで、こんな世界でちんたらやってんだよ」

「……別に」

「平気だよ、『紅蓮』。タロちゃんは意気地なしの臆病者だもん」


 隣に立つ天使のような子どもが憎まれ口をたたく。『紅蓮』はわざとらしく大きなため息をついた。その憂い顔は本当に辛そうに見えるが、それは見せかけだけだというのを良く分かっている。こいつの容姿は何かと得だ。


「とにかくよ、やめとけ。お前は阿呆で惚れっぽいし、わがままのうえ寂しがりやで我慢もきかねえ」


 それではまるっきりガキと同じだ。


「言いすぎだぞ。お前だとて同じだろうが」

「俺はきちんと遊べる」


 無言で両手を扉にかざし、意識を集中する。こいつのせいで何度死にかければ良いのか。扉を閉じるのにも開くのにも、相当な力を要するのだ。傍迷惑この上ない。


「こらこら! 話の途中だっ」

「俺には話す事など一つもない。さっさと戻れ。バードナートが怒り出すぞ」


 その名を口にすると『紅蓮』が眉間にしわを寄せて、げえ、と奇妙な声を上げた。


「おいっ。良いか! 早いとこ戻って来いよ! こっちにいたってろくな事になんねえんだからな!」


 どこにいたって、ろくなものではない。俺にとっては生まれ故郷でさえ苦痛だ。何せ生きている事さえ苦痛なのだ。これ以上の地獄が他にあろうか。

 ……一体いつからこんな風に思うようになったのか。遠すぎて覚えていない。


 無事に五月蠅い同胞を戻し扉を元通りに閉じると、ぐらりと身体が傾いた。息切れがする。いまだ守り人としての力は微弱だ。

 あいつめ……。

 あいつが、俺に心を開かんのがいけない。あいつから直接気を得る事が出来れば今よりはましになるのだが、どういうわけかそういう点においてだけ、あいつは頑固なのだ。

 漆黒の珠やテルには心を開くくせに、肝心の俺に対してだけはいつも頑なに心を閉ざす。


「……大変だ。ユイネが」


 うすぼんやりとした表情のテルが、うわごとのように呟いた。


「くそ……何だというんだ」


 俺はそれどころではないぞ。死にそうだ。しかし、今この時点でユイネに何かあっては困る。


「ユイネがとっても悲しんでる」



*



 気を取り損ね、立ち上がる体力もないのでベッドの脇に座り込んだ。大きく息を吐き出しながら隣を見やる。だいぶ症状が落ち着いたように見える女の寝顔がすぐそこにあった。

 唯音。

 まったく不思議な女だ。

 これだけの高熱を出しているくせに、頑固さだけは変わらない。俺に心を開いた事は褒めてやっても良いが、何故ここまで私欲がないのか解せない程だ。

 金を作って出してやっても、大金すぎると受け取らなかった。

 『負』を取り除いてやろうと言っているのに、やめてくれと言い張った。

 あまつさえ、ヨーコを見つけ出すと息巻いて、諦めるなと言い切った。

 気弱で苛々する程主張がないくせにそうやって時々抵抗するのだ。そんな時は決まって自分の為にする事ではなかった。この世界を守る為に、真っ青になりながら俺に食ってかかった女だ。

 ……この十八年間、俺を生かし続けた女だ。

 

 地味な女の横顔を見つめる。薄く開いた口からすうすうと呼吸音が聞こえ、熱のせいで頬が少しだけ赤らんでいる。そっと腕を伸ばし、指先で頬を撫でた。すべらかな感触。僅かに気が流れ込んできた。

 このあたたかな感触を知っている。恐ろしく冷えた暗闇の中で、唯一の希望だった。たったひとつの俺の希望だった。悲しくて穏やかな、美しい魂の旋律。

 愚かな俺はそれを、ヨーコのものだとずっと勘違いしていたのだ。何と間抜けな事だろうか。


「もう。ユイネは熱出してるんだから、気をとっちゃだめだってば」


 部屋に入ってくるなり小言を言い出すテルをじろりと睨みつける。

 気を摂取する行為によって身体的に悪影響を及ぼすというような事は一切ない。まあしかし、搾取される側からしてみれば気分的に良いものではないだろう。テルは俺の威圧に怯んだ様子もなく、その場で腕を組んで可憐なため息をついた。


「……いつまでここにいるつもり?」


 ヨーコが漆黒の珠を持たない今、この世界に用はない。だがこの目の前にある魂を、何のためらいもなく手放す事が惜しい。分かっている。俺の想いはいつだって矛盾しているのだ。


「さあな」

「僕らにとっては嬉しい事だけど、これじゃあんまりにも……」

「テル。こいつは過去に何があったんだ」

「興味あるの?」

「ただ、何となくだ」


 端正な眉をひそめ、美しい子どもが俺を見据える。


「……意気地なしのタロちゃんらしくないな。ユイネをどうするつもりなの。……もう、あんな思いはしたくないんでしょ?」

「どうするつもりもない。勘違いするな」


 もう間違えたりしない。ヨーコと再会出来なかった事にも、きっと意味があるのだ。

 もう求めてはいけない。探してはいけない。


「まだ力が戻らないから、気を得る為だけだ。他に意味はない」


 じっとユイネの寝顔を見つめる。幾分か和らいだ表情に変わっていた。

 別にずっといようと思っているわけではない。半身にするつもりもない。もう間違えるわけにはいかない。

 ただ、もう少しだけ、あと少しだけ、ここにいるのも悪くはないと思っているだけだ。

 また気の遠くなるような、クソみたいな時間を過ごさねばらんのだ。その永い時から見れば僅かまたたきの間ほどの事だ。ほんの少しだ。こんな穏やかな時はすぐに終わる。それに……。


 こいつならきっと俺を拒絶出来ない。こいつならば、受け入れてくれる。

 

「……ほんと、君って馬鹿だよなあ。あとで辛くなっても知らないからね」


 俺は小うるさいテルの呟きを無視した。


 ユイネ。

 お前の傍は何と心地が良いのか。







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