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 翌日、私は三十八度五分の熱を出した。おそらく一年ぶりくらいの事じゃないだろうか。 


「大丈夫?」


 枕元のすぐ近くにテル君がいて、とても心配そうな表情をしている。大きくて可愛らしい瞳が切ない光を帯びて長いまつ毛が影を作り、きゅっと結ばれた口元にも悲しみが滲んでいる。思わず見惚れてしまった。


「ユイネ?」

「あ、うん。大丈夫。ごめんね」


 テル君が何かと世話をやいてくれて大げさなくらいのアイスノンで冷やされているし、久々に自分のベッドに横になっているので随分と楽だ。


「いま何か作ってくるから、それ食べて薬飲も。ちょっと待ってて」


 何だか心がくすぐったい。やっぱりいくつになっても、看病してもらえるっていうのは嬉しい。ぼんやりと部屋の天井に視線を巡らす。

 だけど、これじゃあヒロさんのところへ行くのは難しい。やっと土曜日になったっていうのに。ヨーコさんの居場所を見つけないといけないのに。

 ふう、と息を吐き出す。その息も、口の中までもが熱かった。


「まったく軟弱な奴め」


 見ると扉を開いてタロさんが入ってくるところだった。つやつやの黒髪は今日も一つに結わえている。来るなり憎まれ口をたたく大男の手に、替えのアイスノンとスポーツドリンクのペットボトルが握られていた。

 誰のせいで熱が出てると思ってんですか、と心の中だけで返事をする。驚いた事にタロさんまでもが優しいのだ。本当に、これっぽっちの少しだけ、優しい。さすがに病人を罵るような事はしないみたい。

 タロさんの大きな手が私の後頭部を支え、一拍おいてゆっくりと元の位置に下ろされる。ひんやりと良く冷えたアイスノンがまた心地良く、目を閉じるとため息がもれた。

 

「すみません……ありがとうございます」


 お礼を言うと、タロさんがふと私に視線を向けベッドの傍に腰を下ろして近づいてきた。


「お前の周りに『負』が見える。大した数ではないな。おそらくこれが原因だ」


 少しだけ背筋が寒くなった。タロさんの記憶の中で見た『負』は、とっても薄気味悪いのだ。うねうねぐねぐねと蠢く真っ黒の昆布みたいな蛇みたいな、まがまがしい物体。それが私の周りにあるなんて……。


「うぇ」

「動くなよ」


 大きな手のひらが私の顔の上あたりにかざされる。


「え? 何ですか」

「『負』を取り除いてやる」

「い、いいですっ。大丈夫です。少し熱が出てるだけだし」


 慌ててぶんぶんと首を左右に振った。するとタロさんが不思議そうな顔を向ける。


「おかしな奴だな。この『負』を消せば熱も下がるんだぞ。痛みがあるわけじゃない」

「私に痛みがなくっても、タロさんにはあるでしょう」


 かみさまは『負』を自分の体内に一度取り込んでから、昇華させる。けれどそれには痛みが伴う。私はその痛みを彼の記憶の中で体験して知っている。出来れば二度と体験したくないと思うようなものだった。かみさまはそんな痛みに耐えながら人知れずこの世界を守っている。たかだか私なんかの為に痛い思いをするなんて、良くない事だ。

 タロさんの凄みのある鋭い両目が、まんまるに丸くなった。おちゃめな表情に思わず笑うと、タロさんもふん、と鼻で笑った。


「ここまで私欲のない女は珍しいな」

「あの……タロさん」

「何だ」

「本当は、ヨーコさんがどこにいるのか分かっているんじゃないんですか?」


 美しい顔にじいっと見つめられて、熱が上がりそうになってごほんと咳払いをする。

 テル君は私がどこにいるか分かると言った。

 それにヨーコさんが生きているのを二人はとっくに感じ取っていたのだ。それが意味するのは、ヨーコさんがこの世界のどこかに根ざし、毎日を暮らしているのを知っているという事だ。それならば、どこにいるのかくらい分かるはずだ。タロさんの守り人の力が、そこまで回復してきているという事なのだろう。


「あいにくだが、場所までは特定できん」

「え……」


 ふうと大きく息を吐き出して、タロさんは遠くを見つめて続けた。


「今はお前との時間の方が長い。……お前との絆の方が深いからな」


 何故だか心臓がどくどくと騒ぎ始める。視線を部屋の天井に戻してゆっくりと深呼吸をした。


「……今はそれで良かったと思っている」


 え……?


「あの時の俺はどうかしていたのだ。漆黒の珠を渡すなど、言語道断の事だ」


 タロさんは遠くを見つめたままだった。私から見える横顔はとってもシャープで美しかった。


「俺だとてそこまで阿呆ではないぞ。ヨーコはもう大人だ。とっくに家族を持って幸せに暮らしているだろう。そうでなかったとしても、忘れているはずだ」


 知らず呼吸が浅くなる。心臓ががたがたとうるさく震えた。


「……もう会わない方が良いのだ。それで良い」

「そ、そんな」


 あんなに会いたかったのに?

 あんなに、あんなに大好きなのに?


「タロさん……」


 また、最後の最後でタロさんは選択するのだ。それまでは腹が立つくらい図々しいくせに、そうやってあっさりと自分を殺す。他者を生かす事を選択するのだ。かみさまは、とっても切ない。


「だ、だめですっ。そんなの、ヨーコさんに会ってみないと分からないじゃないですかっ」


 ぎゅっと掛け布団の端を両手で握り締めて、ぜいぜい言いながら声を振り絞った。


「ヨーコさんだって絶対覚えてるはずですっ。きっと絶対に、ヨーコさんを見つけますから! だから……だ、だから諦めないでください」

「ユイネ」

「今日はちょっと、無理だけど、明日には良くなってると思うし、だからっ」


 おもむろに大きな手の平が私の頭に置かれた。びっくりしてぎゅっと目を閉じると、そのままゆっくりと優しく、いたわるように動いた。タロさんが私の頭を撫でている。その事にまた驚き、かっと両目を見開いた。完全に身体が硬直してしまって動かない。首をぎぎぎ、と動かして横目で相手を確認する。

 あ……また笑ってる。とろけてしまいそうな優しい笑顔だ。


「お前という奴は、本当に奇妙な生物だな。貴重だ。稀に見るお人好しだ。馬鹿正直で呆れるくらいに裏がない」

「……ほ、褒めてるんですかそれ」


 整った美貌がぐっと近づいてきた。ますます緊張して固く目をつぶって縮み上がる。


「当たり前だ。この俺が褒めてやっているのだ。喜べ」


 う、嬉しくない。タロさんの顔がとてつもなく近くにある気がする。低い声がすごく近くで聞こえるし、頬に気配を感じる。


「ああ、あの!」

「どうした」

「わ、私、下僕じゃないです」


 くっくっく、と声を出さずに笑っているのが分かった。


「お前はこの世界を守る為に、俺にその身を捧げただろうが」

「いや、それはその……」

「もう既に、お前は俺のものだ。諦めろ」


 ああもうだめ。熱が上がった。絶対に。


「……そうやって素直に心を開けば良いのだ。お前の気は、心地良い」


 どうやら触れている部分から私の気がタロさんへと流れているようだ。って、ちょっと待って。私は横目でちろりとタロさんを見やった。


「病人から気をとらないでもらえませんか」

「俺は神だぞ。口応えする気か」

「い、今は力も弱いし、居候です」

「む。下僕の分際で」

「だから違いますっ」

「ほう」


 ぐき、と無理矢理顔の角度を変えられ、間近に迫るタロさんの顔に呼吸が止まりそうになる。


「ユイネ」


 どうしよう。ぐらぐらする。


「返事をしろ」

「……は、はい」


 満足げに笑うタロさん。何だか嫌な予感。


「お前の気を根こそぎ奪ってやりたくなった」


 何ですとっ! 

 慌てて硬直していた身体を動かし離れようと身じろいだけれど、時既に遅し。がしりと肩を抑え込まれた。ひどい。ひどすぎる。高熱を出している病人に何をするつもりなんだ。タロさんがゆっくりと目を閉じて迫ってくる。何ですかその美しい顔! ぎぃやあああ……!!!


「何してんのっ」


 ああ。天の助け。


「テル君っ」

「こ、の野蛮人っ。ユイネは熱出してるんだよ!?」


 テル君が私に覆いかぶさっている大きな身体を勢い込んで引きはがした。タロさんは子どもみたいにむうと口をとがらせている。どうしてこうも平然と、病人相手にセクハラ出来るんだろう。かみさまの思考回路は良く分からない。私は死にかけの魚みたいに、はふはふと息を吸い込んだ。


「ユイネ。平気? この変態に何かされなかった?」

「……おい。テル、お前の主はこの俺だぞ」

「そうだよ。だから毎回、いっつもいっつも、僕が苦労してるんじゃないか」

「なにぃ。消すぞっ」

「そんな事して困るのはタロちゃんなんだからね!」


 二人の言い合いを聞きながら私はうふふ、と笑った。なんだかんだいっても、二人はとっても仲良しなのを知っている。それはそれは兄弟みたいに親子みたいに、絆が深い。熱が出ていてぼおっとするし結構辛いのだけれど、心はほかほかだった。すごく安心する。

 ここがずっと私の居場所なら、とっても嬉しい。だけどそれは、二人には言わないでおこう。



*



 日曜日。起きられるまでに回復して、すぐに母の故郷の町にある唯一の喫茶店「ヒロ」に電話をした。

おずおずと用件を伝えると、ヒロさんはやっぱり慌てて、急に大声になった。


「や、やっぱりヨーコさんを知ってるんですね」

『ああ、うん。いや……参ったな。俺、隠し事するのすごく下手みたいだね』


 携帯を持つ手に力がこもる。


「あの、まさか、もう亡くなってるんですか? だからあんなに慌てて……」


 見えない喫茶店の風景が脳裏に広がる。その端にあるレトロな電話機の前に佇むヒロさんはどんな表情をしているだろう。もしかして真っ青になっているのかも……。


「私、何も知らなくって……。ごめんなさい」

『ああ! いや、違うんだっ。唯ちゃんが謝る事なんてひとっつもないよ! 俺の方こそごめんだよ。うん、ヨーコって人ね、確かにいるよ。知ってるし。ちゃんと生きてる』

「本当ですか!? どこにいるんですか!? 会う事出来ますかっ」

『……それがね、ちょっと連絡つきづらい人でさ。ええと、ほら、家庭の事情とか諸々で。あの、俺からヨーコに連絡取ってみるから、待っててくれないかな』


 そんなに難しい事情があるなんて。ヨーコさんは一体、何を抱えて生きている人なのだろう。すごく心配になってきた。


「あのでも、ご迷惑になるんでしょうか……」

『いや、大丈夫だよ。唯ちゃんがそこまで会いたいって思ってるなんて、俺知らなかったからさ。連絡とれたらまた必ず知らせるから。約束する。だから申し訳ないけど、ヨーコの事は俺に任せてくれないかな。絶対知らせるから、それまで待ってて欲しいんだ。ね?』


 来月にはお父さんになるヒロさん。こんな忙しい時期に余計な手間を増やしてしまったようで申し訳なく思った。だけどこれで、何とかヨーコさんのしっぽを掴めた。最初は途方もない話のように感じたけれど、もしかしたらすぐにでもヨーコさんに会えるのかも知れない。一体どんな女性になっているだろう。

 私をいつも元気づけてくれたお姉さん。

 タロさんを真っ暗闇の孤独から救った美しい少女。


 きっと、会える。






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