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024

 木曜の早朝、私は突然に目覚めた。

 ソファを寝床にしているせいで寝苦しかったからだろうか、とぼんやり考えつつ傍に置いてある携帯に手を伸ばす。五時十分。まだ眠れる。……ん?

 視界の隅に何かが見えた気がして、もう一度目を開く。その何かが、私に近づいてきた。とんでもなく整った顔だ。黒の瞳と目が合った。瞬間的に私の脳は覚醒したが、寝ぼけたままの感覚が追いつかない。身体はまだ夢の中でまどろんでいて、まるで金縛りにあっているかのように硬直した。


「おい、起きろ」


 驚く程近くで、低い囁き声が聞こえる。ぞわりと悪寒が走った。ぎょっと両目を見開く。


「……何ですか。お腹すいたんですか」


 驚きつつも、何とかカスカスの声で返事を返した。部屋の明かりがついていてソファのすぐ近くに、タロさんが座っている。横を向いている私にぎりぎりまで顔を寄せてタロさんがまた囁いた。


「来るぞ」


 え? 何が?


 次の瞬間、部屋全体が大きな衝撃に揺れた。どおおお、と低い唸り声のような地響きがそれに続く。私は文字通りソファの上に飛び起きた。


「じ、地震っ」


 動転しつつ周囲を見回す。

 え……。何も揺れていない。

 蛍光灯も棚の上にある置物も、本棚の本も、微動だにせず鎮座している。私の部屋はいたって平静で、何の変化もなかった。ついさっきの衝撃と地響きは気のせいだったのだろうか、と首を傾げた時、この部屋の内部でありえない事が起こっているのに気付いた。

 リビングの中央、すぐそこに、見知らぬ人が手を腰に仁王立ちしている。

 私は驚愕のあまりただその人物を食い入るように見つめた。こちらに背を向けて立つ男性。背はタロさんよりは低く、身体つきも細身ですらりとしている。目をみはったのが髪の色だった。つんつんと空に向かって逆立っている頭髪は燃えるような赤。その色は薬剤で染めて出るようなものではなく、内側から燃え上がるような、綺麗な赤色だった。全身黒の服装にシルバーのアクセサリが光る。十代の女の子達が熱狂するヴィジュアル系バンドの一員のような侵入者は、土足で部屋のリビングに突っ立っていた。


「もうちょっと静かに来てもらえない?」


 寝室から出てきたテル君が、欠伸をしながら相手に告げた。


「よ! ティエルファイス、元気そうじゃねえか」

「君が扉をこじ開けてこっちに来たせいで、タロちゃんが死にかけたんだからね」

「ああ? 何だよタロちゃんって。野良犬か」

「俺の事だ」


 タロさんがむっくりと立ち上がると、その気配に気付いてヴィジュアル系のその人が振り返った。そこで私はまた息を飲む。彼の瞳は、髪よりはやや暗めの赤色をしていた。タロさんを見上げて大っぴらな笑顔になる。


「おおっ。『漆黒』の! えらく久しぶりじゃねえかよ! お前が起きたって聞いてよ、すぐ神殿に行ったのにもういないっていうじゃねえか。だから後追っかけて来てやったんだぜ」

「何の用だ。『紅蓮』」


 『紅蓮』と呼ばれたその人は、がははと笑ってタロさんの肩をばしばしと叩いた。『紅蓮』。どこかで聞いた名前……。あ、ガルクループにいる四人の守り人様。そのうちの一人だ。

 た、大変だ。かみさまだ。私の部屋にかみさまが二人……。


「おうおう、つれねえなあ! お前の半身にご挨拶に来たんじゃねえか! 十数年ぶりの御対面ってやつだろ?」


 ひやりと背筋に冷や汗。透明人間になってこの場から逃げ出したい。私は自分の存在を何とか薄くしようと、息を止めた。しかしその無謀な試みは当たり前だけど失敗に終わる。『紅蓮』さんはすぐに私に気付き、目と口を見開いて大声を出した。


「へええっ! これが噂のヨーコ? ほおおっ! ……ふうん?」


 ぐっと『紅蓮』さんの顔が近づきまじまじと見つめられ、私の身体は完全に硬直した。その麗しき面立ちは、まさにヴィジュアル系のトップスターといったところ。タロさんとはまた違う系統だが、美形である事は間違いない。


「ふんふん。なるほどなあ、『漆黒』好みの魂だ! ま、見た目は可もなく不可もなくってところか。俺は凡庸も好きだぜ、お嬢ちゃん」


 そう言ってにかっと笑った。私の頭はまだ夢を見ていると勘違いしているようでうまく働かず、おそらく失礼な事を言われているのによく理解出来なかった。


「もうっ。それ以上近づかないでよ」


 テル君が私の隣に座り、相手に向かって片手を振った。私はテル君が傍に来てくれたおかげで少しだけほっとする。


「ずいぶんなついてるじゃねえか。さすがは半身だ」

「こいつはヨーコじゃない」


 ぶすっとしたタロさんの声。私からは紺色のポロシャツを着ている後ろ姿しか見えない。その大きな背中から不機嫌オーラが漂っているのがはっきりと目に見えるようだった。


「ああ? だってお前、ヨーコだろ? 半身だろ? そいつに会いに来たんだろーが」

「こいつは違う」


 ざわり、と心が竦んだ。切り捨てるように短く発せられたその言葉に、私は必要以上に動揺していた。

 

 私は違う。ヨーコさんではない。私は半身ではない。


 ありのままのその事実に、どういうわけかひどく焦った。


「色々あったんだよ。ね、ユイネ」

 

 と、テル君。


「はっ。なんだ、逃げられたってわけか。だぁから言ったろ? 半身なんてハナっから持たなきゃ良い。それともこっちのお嬢ちゃんに乗りかえるのか?」

「『紅蓮』! 君、デリカシーなさすぎ」

「んだよそりゃ、食いもンか? なあ『漆黒』、巫女は良いぜえ。従順だしな。まあ俺としちゃ、こっちの世界の女もわるかねえな!」

「それで何なんだお前は。何しに来た」


 不機嫌極まりないタロさんが冷たく言い放つと、おおそうだったと『紅蓮』さんがぽんと手を叩いた。彼はその繊細で美しい容姿に似合わず、豪快でおおざっぱな性格をしているようだ。


「お前らが、がっちがちに扉閉じるもんだからよ、帰れねえんだ。このタコ助ども」

「勝手に侵入してくる奴が悪い」

「そりゃあねえだろ兄弟。俺はお前が心配でなあ、だからこうやってだなあ!」

「あ、あのっ」


 声を上げると、一斉に美しい男性陣が私に視線を向けた。うう……怖い。でも、怯んじゃならん。


「とりあえず、靴、脱いでください」


 訳も分からず色んな事にショックを受けている私だったが、今日は仕事なのだというある意味地味で凡庸な理由のおかげで、何とか立ち直る事が出来た。

 それにしたってガルクループ生まれのかみさまは、私達地球人の常識をいとも簡単に飛び越えてしまう。

 世界を守るかみさまが、べらんめえ口調で良いんでしょうか。


「俺とこいつはなあ、守り人ん中でも年が近いからよ、兄弟みてえなもんなんだよ」


 ラグナダスという世界とそこに通じる扉を守る『紅蓮』の守り人様は、大きな声で色々と私に説明してくれた。彼にもテル君のような世話役がいて、今はその人がラグナダスの扉を守っているのだそうだ。かみさま達はテーブルを囲んで、朝食後の高級日本茶を味わいながら話をしている。


「タロ助はよ、こんなナリのくせに乙女みてえな奴で昔っから面倒なヤローだったんだよ! 自分の気に入った奴以外には心は開かんし、だからって巫女から気を得る事もしやがらねえ。ガルクループにいる時はほっとんど、寝てやがった。代々のセウンリヒが何度泣きついてきた事か!」

「きさまのような節操無しと一緒にするな」

「それでもお前よりは、よっぽど役目を果たしてるぜ」


 私は慌ただしい朝の時間の中、朝食を食べて準備をしなくてはならいので、罰当たりな事にかみさま達の話を片手間に聞き流していた。そんな無礼な態度の私を気に留める風もなく、『紅蓮』さんは大声で話してくれるのでどこにいても声が聞こえる。


「あげくやっと見つけた半身には逃げられてなあ、目も当てられねえや」


 う、とつんのめりそうになってしまった。


「んでも、都合良く代わりが見つかってよかったじゃねえか!」

「ちょっと。下品な言い方しないでくれない?」

「テルよ、俺は何も間違っちゃいねえ。現実、そのまんまだろ? なあお嬢ちゃん!」


 こんなタイミングで話をふらないで欲しい。どういう返答をしたら良いか分からないし、どんな顔をすれば良いのかすら謎である。だって私は半身ではないし、ヨーコさんだって捜索中なのだ。


「何度も言わせるな。あいつは俺の半身ではない」


 タロさんの不機嫌そうな低い声に、ぎゅっと心が縮み上がった。そそくさと鞄を肩にかけ、玄関へと向かう。もうこれ以上この場にいる事が出来なかった。


「じゃあ何だ? なんでここにいるんだよ」


 少しの沈黙のあと、タロさんは大仰に言い放った。


「あれは俺の下僕だ!」


 私がマッチョでやくざみたいに怖い男の人であったなら、タロさんをぼこぼこにぶん殴っていたのに。


 臆病で非力な自分にそんな恐ろしい事は出来ないので、無言で玄関のドアをあけた。背後からユイネ、とテル君の声が聞こえたけれど、どうしても振り向けなくて、そのまま逃げるように出てきてしまった。


「もっと他の言い方してくれたら良いのに……」


 会社へ向かう道すがら、滅多に言わない独り言をぽつりと呟いた。




 







 

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