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023

 火曜日。普段通りに仕事を終えて帰宅すると、普段ではあり得ない状況が私を待ち構えていた。

 玄関に見慣れないスニーカーがある。大きさからいって、男の人のものだ。おや。タロさんのだろうか。昨日買ってきたものとは違うようだけど……。

 まあ良いか、と深く考えずリビングに向かった。だって今日も美味しそうな匂いがしてる。テル君何を作ってくれたんだろう。ああ、ヨダレが出そう。


「あ、おかえりなさい。倉田さん」


 はっと目を見開いた。


「お邪魔してます。すみません」


 相手は私の驚いた顔に恐縮し、頭をかいて笑った。茶色の短髪、サラサラヘア。黒ぶち眼鏡の柔和な瞳。ここはコンビニではないはず。しかし彼はそこに立っていた。


「さ、笹本さん!?」

「はい」


 どうしてうちにっ!? 何故か分からないけれど、一瞬で赤面してしまった。


「おいっ。コーイチ! 早くしろ! 続きをやるぞ」


 ソファに座っているタロさんの背中が見え、その先のテレビ画面に唖然とする。マリオがいる。マリオがテニスをしている。

 自分の家だと思っていたその場所が、急に他人の家のようによそよそしく見え出した。だって、うちにはそんな最新のテレビゲームなんてなかったはずだ。タロさんと笹本さんが手にしてるのは一体何ですか。白くて長方形の、片手でぶんぶん振って、それがテレビの画面とリンクしているそれは。


「タ、タロさん! 何やってるんです」

「見て分からんのか。テレビゲームだ」


 タロさんはゲームに夢中でこっちを見ようともしない。完全に笹本さんが付き合わされている状況に違いない。というか、そのゲーム機、まさか買ったの。……一体いくらしたの。そのお金、どうしたの。

 次々に疑問が浮かぶが、とりあえず落ち着こうと思いジャケットを脱いで手を洗いにキッチンに立った。


「今日ね、昼間にちょっと出掛けたんだ。それで駅前であれ見つけて、どうしてもやってみたくなっちゃって……」


 テル君が少し首をかしげて私を上目で見つめる。なんて可愛い仕草。あ、だめだめ。


「それでお金どうしたの? 渡してる分じゃ足りなかったでしょう?」

「うん。それで諦めようと思ったんだけどね、ちょうどそこにコーイチが通りかかって」

「コーイチって笹本さん?」

「うん。それでね、色々あって」


 ……どうやら笹本さんのお金で買ったようだ。その上今までゲームの相手をさせていたに違いない。タロさんだったらやりかねない。私はめまいを起こしそうになった。


「ごめんね。ユイネ」


 華奢な肩を落としてしゅんとするテル君。つやつやの茶色の頭が俯いている。今日はパスタのようで、あとはお皿に盛るだけみたい。テーブルには大盛りのサラダやお魚料理も並んでいる。


「ううん。今日も美味しそうだね、ありがとう。みんなで食べよう?」


 ぱっとテル君が顔を上げた。眩しい笑顔に、思わず目を細める。これはいけません。中毒になりかねない。

 それから笹本さんを含め、皆でテル君の美味しい手料理に舌鼓をうった。笹本さんはその美味しさに感動しつつ、若いのにすごいねとテル君をベタ褒めし(テル君が微笑みを返すと、笹本さんの頬が赤く染まったのは不可抗力で)、ものすごい勢いで料理をたいらげるタロさんに目を丸くして笑った。私は少しだけ緊張して高揚し、落ち着かない気分でそれを見守った。


「笹本さん、今日は本当にありがとうございました。あの、バイトとか学校とか、平気でした?」


 マンションの下まで見送りに出たところで、私は頭を下げた。


「そんな、良いんです。ちょうど今日はバイトも学校もなくて暇してたんです。俺の方こそ長居してしまってすみません。いやあ、太郎さんて面白い人ですね。最初すごく怖い人かと思っていたんですけど……」


 あ。やっぱり。


「何だか実家にいる弟を思い出してしまいましたよ。……失礼ですね」


 思わずぷっと吹き出して笑ってしまった。すると笹本さんもあはは、と笑った。まさかあの大男が、うん百年も生きているかみさまだとは逆立ちしたって思わないだろう。


「あの、それでお金……」


 途端に慌てた様子で両手をぶんぶん振って、私の言葉をさえぎった。


「良いんです、それは」

「だ、だめですっ! そればっかりは! 金額大きいですし、それじゃ申し訳なくて夜も眠れませんっ」


 一瞬ぽかんとした笹本さんは、また穏やかな笑顔になる。


「そうですか。それなら、きちんといただきます」

「ありがとうございます」


 そんなこんなで私はお財布からなけなしのお札を数枚、笹本さんに献上した。もしよかったら携帯のアドレス交換しませんか、と笹本さんが提案してくれ、私達はその場でアドレスを交換した。タロさんとテル君は、笹本さんをコーイチと呼び捨てにする程お気に召したようだったので、また彼に迷惑をかけてしまうおそれがある。連絡先を知っておくのはとても重要に思えた。


「じゃあまたコンビニで」

「はい」


 笹本さんは爽やかに手を振って帰っていった。私は急に気恥しくなり、手の中の携帯に視線を落とした。知らず口元が緩んでしまう。何だか心が弾んでいる。 


「ユイネ」


 声に振り返ると、テル君が黒のエプロン姿のままマンションのエントランスに佇んでいた。


「遅いから迎えにきちゃった」

「あ、ごめんね」


 エレベーターに乗り込み、六階のボタンを押す。


「ユイネ。嬉しそうだね」

「えっ」


 驚いて少し背の低いテル君を見やった。


「にやけてるよ」


 いたずらっ子のようなにんまりとした笑顔を向けられ、そこで初めて自分の頬が緩みっぱなしだった事に気付いた。


「ち、違うよ」


 何故だか否定して、あわあわと慌てて難しい顔を作ってみる。テル君はくすりと笑って、私の手に白くてすべすべの手をするりと滑り込ませ、きゅっと握ってきた。途端にどどど、と私の心臓が走り出す。

 

「……テ、テル君」

「何?」

「もう笹本さんにおねだりしたら、駄目だよ」

「……あ、バレてた?」


 とっても可愛らしい男の子は、赤い舌をちらりと出しておどけてみせた。


 その夜、携帯に笹本さんからのメールが届いた。【あらためまして、笹本紘一です】から始まる文面は、穏やかで真面目な彼らしい内容のメールだった。

 真っ暗な部屋の中で、携帯から漏れる明かりに顔を不気味に光らせ、むふふと笑ってしまった。だって仕方ない。こういうふわふわとしたのは初めての経験で、私にとっては舞い上がってしまうような大事件だったのだから。



*



 水曜の朝、意を決して声を上げた。


「いいですか。うちは貧乏なんです。無駄遣い禁止ですっ」


 目の前にいるのは外国人モデルのような美しい大男と、天使のように綺麗な男の子。その二人にじいっと見つめられるだけで怯んでしまい、一歩後ずさりしかけて何とか踏ん張った。


「ふん。まあ仕方ないな。庶民の生活とはそんなもんだろう」


 肩まである艶やかな黒髪に、彫の深い男らしい顔立ち。腕を組んで仁王立ちしているタロさんは、居候のくせにとっても偉そう。タロさんの片眉がぴくりと持ち上がった。


「何やら不満のありそうな顔だな、ユイネ」


 しまった。顔に出てしまっていたようだ。素早く伸びてきたタロさんの片手に、ぐに、と頬が挟まれ、む、と口がとんがった。私は急いで言い募る。


「ないです、ないない。も、大満足ですからっ」

「おおそうだろう。素直にそう言えば良いのだ。それにしても変な顔だ」


 タロさんは顔をくしゃっとさせて笑い、私を解放した。そういえば昨日から、タロさんはよく笑うようになった。かみさまは笑うと意外に可愛らしい表情になるのだ。そうやってずっと笑っていてくれたら、私もびくびくしないで済むんだけどなあ。


「ユイネ、僕頑張るね。節約料理も得意なんだ」


 テル君の頼もしい一言。素敵です。


「いってらっしゃい」

「さっさと稼いで来い」


 口々に見送られ、会社へ向かった。

 その日、つつがなく業務を終え帰宅した私はあやうく絶叫しかけた。何故ならテーブルの上に、札束がどどんと置かれていたのだ。ドラマや映画の中でしか見た事のない札束の山。何がどうなってこうなってるの。


「……ぎ、銀行強盗?」

「阿呆かお前は。俺はこの世界を統べる神だぞ。そんなもの簡単に作れる」

「偽札? 偽造は犯罪なんですけど……」

「本物だ」


 なぬ!? 守り人の力はどれだけ万能なんだろう。すごすぎる。

 私は一夜にして、大金持ちになった。






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