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022

 パソコンで入力業務をこなしながら、頭の片隅で今朝テル君から聞いた話をぼんやりと考えていた。

 昨日私が体験したタロさんの記憶は、タロさんの力の一部であるテル君の中に残っているものだと言った。テル君自身が人ではない為、人であれば当然あるであろう感情や蓄積された記憶というものがあまりなく、まっさらな状態に近いらしい。だからタロさんの記憶はもちろんの事、人の過去や記憶を図らずも見てしまうという事もあると説明してくれた。

 テル君には強い感情の波がない。人が持つ「激情」がないのだ。昨日、テル君のつぶらな黒の瞳からぽろぽろと流れていた涙は、タロさんの悲しい感情に共鳴した為のものだった。

 タロさんはあの威圧的な容姿に似合わず、実は泣き虫のようだ。


「すみません、倉田さん。これってどうやるんでしたっけ」


 数か月前にやって来た派遣の山下さんが、書類を手に傍らに佇んでいた。私は返事をしてざっと書類に目を通し、手順を伝えた。


「あ、そっか。ありがとうございます」


 私なんかよりよっぽど飲み込みが早く、的確に仕事を覚えて作業をこなす。そしてそつなく円滑に、周囲の人と良い関係を作っている。きっと人の賢さって、こういうところにもあらわれるんだろうなあ。

 自分のふがいなさに少しだけしょんぼりつつ、またパソコンに向かう。


 私が見たタロさんの記憶は、全部で四つだった。とてつもなく大きな音で鳴り響く鐘の音に金髪の女性。母の故郷にある人外様が祀られている神社の由来となった出来事。ガルクループでのタロさんと神官さん達。そして、ヨーコさんとの思い出だ。ヨーコさんとの記憶以外、終始全体を満たしていた感情は、胸がぐっと痛んで泣けてしまう程辛く苦しく、絶望しそうなくらいの寂しさと悲しみだけだった。

 一つ、ひっかかる事がある。それは一番最初に見た、一番短いタロさんの記憶。あの女性がどうして泣いていたのかテル君に聞いたけど、テル君は驚いた顔をして絶句しただけだった。

 あんまりにもデリケートでナイーブな内容なので、それ以上質問を重ねる事が出来なかった。本当は私が見てはいけないものだったのだろうか……?


 それからテル君は私の過去の記憶を見てしまったと告白してくれた。それは、最初に私がテル君に気を送った時の事だという。その事に少なからず動揺してしまった。何だか下着姿を見られてしまったようで、恥ずかしいのだ。

 私の過去を見たのはテル君だけで、タロさんは知らないという。守り人の異能の力は万能で、人の記憶をどうこうする事も容易らしい。しかしタロさんは元々そういった他人の記憶を感じ取る事が苦手なのだそうだ。他人の記憶を見る為には自分の感情をぐっと薄く保たないといけない。確かに激情家のタロさんには難しい事なのだろう。


 終業のチャイムが鳴った。


「昨日のニュース見た? カズヤとメイって付き合ってるんだって」

「うそ~! ショックぅ」


 華やかな一団が楽しそうに芸能ニュースで盛り上がりながら着替えを済ませ、ロッカーを閉める。


「火山とか台風とかさ、もう地球やばいって感じ」

「ほんとぉ。やっと最近天気良くなってきたのにね~。お疲れ様でぇす」

「お疲れ様です」


 ぼんやりと考え事をしつつ夕暮れに包まれた空を見上げた。最近は雨ばかりだったのであまり実感はしていなかったけれど、こうしてみると随分と日が長くなってきたようだ。着々と季節は巡る。今日はテル君が夕食を作ってくれるというので、私はうきうきしながら家路を急いだ。

 テル君達のいう魂や気って、どういうものなのか私なりに考えてみた。きっと魂はその人のオーラとか雰囲気みたいなもので、気は人の身体を巡っているものなんじゃないだろうか。気功とかって聞いた事もあるし。そしてその気は、相手の身体のどこかに触れる事で伝わるものなのだ。

 玄関を開けると、とても美味しそうな匂いがした。それだけで私の胸はじーんとしてしまった。


「おかえり! もうちょっとで出来るよ」


 姿は見えないけれど、テル君の声が聞こえる。それだけで私の胸はときめいてしまった。


「あ、た、ただいま」


 少し照れくさい。靴を脱いで振り返って驚いた。すぐ目の前にタロさんが仁王立ちしている。近すぎてよく見えないが、黒のTシャツにカーキ色のカーゴパンツを着ているようだ。良かった。ちゃんと着替えをテル君が買ってきてくれたみたいだ。次の瞬間、私の両足は宙に浮いていた。


「うぐっ」


 思い切りタロさんに抱き締められている。訳が分からずも、命の危険を感じて両手を突っ張った。大変だ。まさか昨日の事、まだ怒っているんじゃないだろうか。早く謝らなければ。こ、殺される。


「す、すみませんっあの……」

「おい。どうしてまた心を閉ざすんだお前は」


 ……はい?


「気を寄こせ、気をっ」


 あ、そうか。


「ええと……」


 あれ。心を開くってどうやってやるんだっけ? 昨日の事は必死すぎてよく覚えていない。

 ちっ、と舌打ちが聞こえて両足が床についた。


「お前はことごとく俺に歯向かう奴だな」

「そ、そんなつもりは……。えっ」


 ぎょっと身体が硬直した。タロさんの腕が背中に回り長い指で顎を掴まれている。瞬間に背筋が凍りついた。いやな予感。当然のように整った顔が迫ってきた。


「ちょ、ちょっ!?」


 考えるより早く私の手が動き、タロさんの美しい顔面を真正面から押さえつける。


「むっ!」


 ぐっと力がこもる。指の間から見える黒い瞳が、私を睨みつけている。こ、怖すぎる。


「ユイネ! なんだこの手はっ」


 ふがふがとタロさんが怒鳴った。


「だ、だから、むりですって!」

「無理もくそもあるかっ。お前が心を開かんから悪い!」

「気ならテル君に送りますからっ」

「往生際が悪いぞ! お前は俺に、身も心も捧げたはずだろうが」


 ……い、いま何と?


「バカバカ。タロちゃんが乱暴すぎるんだよ」


 玄関口にテル君が姿をあらわして、ばしんとタロさんの背中を叩いた。


「ちょっと、何の事ですか」


 解放されてほっとする暇もなく、タロさんを見上げて問いただす。何だかものすごく不吉な事を聞いた気がする。美しい大男は両手を腰に当て、ふぬ、と鼻から息を吐き出した。


「忘れたとは言わせんぞ。ユイネ」


 さあっと血の気が引いた。まさかとは思う。まさかあの言い争いの時の、やりとりを言っているんじゃ……。


「良いか。ヨーコがいない今、俺にはお前の気が必要なのだ。お前の気以外受け付けるつもりはない!」


 な、なんてわがままな。


「お前はこの世界が壊れるのがいやなんだろう? お前は自分の身より、この世界の存続を選んだのだ」

「そ、それはそうですけど、でもっ」


 ずい、とタロさんの顔が近づく。ものすごい眼力に息が止まりそうになった。


「世界を救いたいのならば、さっさと俺を受け入れろ。ユイネ、お前に他の選択肢はない」


 ゆっくりと薄い唇が弧を描く。私に初めて向けられたタロさんの笑顔は、意地悪この上ない微笑みだった。

 まさしく、悪魔。

 こんなかみさまがいて良いのだろうか。理不尽すぎる要求。単なる普通の一般人にすぎない私は、世界を人質に強請られているのだ。じわじわと顔に熱が集中してゆく。


「とりあえずさ、晩ご飯にしようよ。ユイネの好きなハンバーグ、作ったんだよ」


 白シャツにジーンズ、黒のエプロン姿のテル君がにっこりと微笑んだ。ああ……可愛い。

 そうして私はこの微笑みに、また騙されてしまうのだった。


 事態は複雑にこんがらがってきている。恐ろしい事に、今日はまだ月曜日。こんなに週末が待ち遠しいのは何故だろう。

 ヨーコさん探しは私にとっても、目下の急務となった。









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