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018

 目の前が真っ暗になった。知ってしまったあたたかな存在は、あまりにも大きい。


「ヨーコ」


 思わず呼び止めていた。数段下がった場所でヨーコが振り返る。


「俺の名を呼んでくれ。ヨーコがつけてくれた名だ」

「カラス」


 可愛らしい口元が、俺の名を紡ぎ出す。何て良い名だ。心に染みるようだ。俺は正直に、自分の気持ちを伝えた。


「嬉しい。もっと呼んでくれ」

「カラス!」

「ああ……最高だ。生き返るようだ」

「カラス、カラス、カラス、カラス! カラースッ! カーラースぅ!!」


 最後はやけくそのように叫び、それから楽しそうに笑った。


「あーおっかしい! ほんとに変なのぉ」


 つられて俺も笑った。


「もう良い。十分だ。暗くなる前に帰れ」


 もう良い。これで良い。ゆっくりと目を閉じる。

 ヨーコがこの世界にいると分かっただけで、俺は生きていける。この世界を守る意味がある。

 階段を駆けてゆく音。愛おしい命が遠ざかってゆく。ヨーコ。ヨーコ。ヨーコ……。


「もう。困ったな」


 すぐ近くで声が聞こえた。驚いて目を開く。花柄のワンピースが見えた。


「それじゃあ帰れないよ」


 困ったような声が聞こえ顔を上げると、ヨーコが俺を見下ろしていた。一瞬でまた目の前に灯がともる。


「どうした」


 ヨーコは俺の前にしゃがみこんで、人差し指を突き出す。


「だって、泣いてる」


 言われて初めて気がついた。俺は泣いていた。自分でも知らずに、涙を流していた。

 自分自身が涙を流すのは、あれ以来初めての事だった。数百年ぶりだ。

 両手で顔を覆い、俯いた。するとヨーコが頭をなでてくる。涙が止まらない。肩が震え出す。呼吸が乱れ、胸が締め付けられたように痛む。息を吸い込むとまた胸が痛んだ。

 あたたかい。


「ヨーコ……」

 

 情けない程に震えた声しか出なかった。


「なあに」

「お、俺の傍にいてくれ……。ずっと傍にいて、俺の名を、よ、呼んでくれ……」


 醜悪な、神。

 求めてはいけない。その温もりを。

 なのにあまりにも愛おしい。もしかしたらもう一度、全てを愛せるようになれるかもしれない。あの頃のように。ヨーコがいてくれれば、俺は。


「それってケッコンするって事?」

「うん。ヨーコ、こいつとケッコンして。こいつ馬鹿だけど一途だから」


 テルがすかさず答える。

 闇に蠢く人ではない孤独な化け物が、あたたかく光に満ちた獲物をじりじりと追い詰め、捕らえようとしている。


「良いよ」


 即座に答えが帰ってきた。顔を上げて呆然とヨーコを見つめる。屈託のない幼い表情。


「でもすぐには出来ないよ。それじゃハンザイシャだよ。だから大人になったら、良いよ」

「ほんとうっ!?」


 テルが立ち上がってヨーコの両手を掴んだ。うん、と少女は素直に頷く。


「ヨーコ! ありがとう!」


 テルは瞳を輝かせ、ヨーコに抱きついた。少女はおどけたように声を上げる。


「ぐえっ」


 そして俺はヨーコに漆黒の珠を手渡した。お守りとして持っていてくれと告げると、物珍しそうに珠をかかげて、目をまん丸にして見つめていた。これがあればヨーコと繋がっていられる。どこに行ってもヨーコを見つけられる。何年経とうが、どれだけ力が弱まっていようが、これを頼りに探しにいける。


「大人になったら迎えに来てね。ばいばーい」


 小さな背が薄闇の階段を駆け、小さくなってゆく。俺とテルは無言でその背を見送った。

 ヨーコ。

 俺の、ヨーコ。



*



 それからガルクループに戻り、すぐさま布令を出した。

 『漆黒』の守り人は半身を得た。毎年行われていた巫女達の選定も廃止だ。神殿には神官と身の回りの世話をする女官達だけが残った。

 守り人の力がこれ程漲っているのも随分と久しい。統治している土地の隅々にまで、その恩恵は届けられた。大地は豊穣をたたえ、人々は歓喜に湧いた。人の王が挨拶に来て、長々と讃嘆の口上を述べて帰っていった。

 浮かれる皆を尻目に、俺はまた長い眠りにつく。セウンリヒが半身はどこに、と慌てて聞いてきたが、それを無視した。もう余計な力は使えない。ヨーコに再会する為に、力を残しておかなくては。あの世界を大事に守っていかなくては。もう巫女達から気を得るつもりはない。あの美しい魂の旋律を知ってしまった後では、もうどんな人間の気も受け付けられない。ヨーコ以外の気を、この身体に入れたくはないのだ。


 ヨーコ。お前にまた会える日が待ち遠しい。しかしたったの十数年だ。今までの年月を考えれば痛くもかゆくもない。

 今度こそ、俺は間違えない。

 ヨーコ。

 俺の愛しい半身。失いかけた希望。

 俺のヨーコ。

 


 俺の、全て。



*



 弾かれたように両目が開いた。見慣れた部屋の景色が飛び込んでくる。

 あれ……。ここは、私の部屋。


「ユイネ。あいつはもう死にかけだから、きっと相手が誰だか分からないよ」


 その声に意識がだんだんと覚醒してゆく。今までのは、なに?

 ……あれは、記憶だ。どういう事か分からないけど、タロさんの記憶と感情が、私に流れ込んできたのだ。


「ユイネ、聞いてる?」

「あ、はい」


 透けたまんまのテル君が私の両腕を掴んでいて、至近距離で顔をのぞきこんでいた。テル君の可愛い両目から、まだ涙がぽろぽろと流れ続けている。


「だからきっと、ユイネをヨーコと間違える。ユイネ、ヨーコのふりをしてあいつに直接気を送って」


 泣いているのにテル君はとても大胆な提案をしてくる。私の思考は一向に追いつかず、ただテル君を凝視するしか出来なかった。えーと。どうしよう……。


「キスでも何でも良いから。体液を交換して。本当はまぐわって欲しいけど。ただの儀式だと思えば良いから」

「ちょ……。その、あの、やっぱりその方法しかないの?」


 完全に怖気づいた私に気付いていないのか、テル君はこっくりと頷いた。私の髪留めをとり、繊細な指先で梳きながら続ける。


「あいつの名前はカラスだよ。名を呼ぶんだ。それ以外は話さなくて良いから。あ、あと、どもっちゃだめ」


 追いうちをかけるようにつきっぱなしのテレビの画面から、臨時ニュースの警告音が聞こえた。

 慌ただしい雰囲気の中、完璧なメイクをした女性キャスターが射るような眼差しをこちらに向けて口を開く。


「番組の予定を変更いたしまして、臨時ニュースをお伝えいたします」


 大西洋沖で活発化している三つの海底火山がいよいよ本格的に噴火を始めた。太平洋沖では史上かつてない程の大型台風が四つ、同時に出現し、世界の専門家達が召集され早急な対応策の検討に入った。

 ……ああ。だれか嘘だといって。

 まとまらない頭をぶんぶんと振って、むしろ何も考えないように決めて、すっくと立ち上がる。


「ユイネ。世界を救えるのは、僕らを救えるのは、君だけだよ」


 世界の危機を救う、主人公。

 そんな場面は映画の中でなら、たくさんある。だけどこんなシナリオ、見た事も聞いた事もない。その上私は、主人公なんていう役柄には全然向いていない。最初の方で殺される役のはずなのに。

 張り裂けそうなくらい鼓動を打ち続ける心臓の音を聞きながら、寝室のドアをそっと開いた。

 ベッドの上にタロさんが仰向けで眠っていた。一度大きく息を吸って吐き出す。


 女は、度胸。





 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

次話より、唯音さんの奮闘。


操を引き換えに、世界を救うのか!?(笑)

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