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017

「……俺を野良犬と間違えてないか」

「何で?」


 戻ってきた少女が手にしていたのは牛乳パックと五枚切りの食パンが入った袋だった。

 まあ良い。ないよりましだ。


「わあ! すごっ。ほんとにお腹空いてたんだ」


 ヨーコが物珍しそうに見てくるので、食パンを頬張りつつ片手を振って向こうに行けと合図を送る。少女は軽やかに立ち上がりぴょんぴょんと飛び跳ねて、ティエルファイス(改め、テル)の傍へと向かった。


「ここ人外様の神社だよ。こんな所おうちにしたら罰が当たるかもよ。橋の下が良いんじゃないの?」

「大丈夫だよ。だってそれ、こいつの事だもん」

「はあ?」


 ヨーコは間の抜けた声を出して、少し背の高いテルを見上げる。テルは俺を指差して続けた。


「人外様ってこいつの事」

「うっそだぁ」

「ほんと。僕も人間じゃないし」

「ええー」

「ほんとだよ」

「うそ~お」

「ほんとだって」


 美しい少女と少年は楽しそうにくすくすと笑っている。俺はヨーコの魂を感じていたくて、感覚を研ぎ澄ませた。

 ヨーコはテルを相手に「あっちむいてほい」をして遊んでいる。

 あたたかな魂の鼓動。

 その少女は、心に何らかの悲しみを抱いていた。しかしそれを包み込む命の力強さを感じる。深い悲しみに負けまいと、必死に立ち上がろうと、健気にも前を向いて生きようとしている。

 美しい音色だ。

 味気もくそもない食パンを全て腹におさめ、ごくごくと牛乳を飲み干し立ち上がった。


「うわあ! でかっ。カラスって身長何センチ?」


 足元までやって来たヨーコが顔を真上に向けて俺を見上げる。


「カラス?」

「おじさん名無しで可哀そうだから、名前つけてあげてってテルが」

「……どうしてカラスなんだ」

「さっきつつかれてたし」


 カラス。俺の名前。ヨーコがつけてくれた、俺の名前。

 冷えきった心にじわりと嬉しさが広がってゆく。


「あ。笑ったー」


 ヨーコが愛らしい笑顔を作った。真上を向いているせいでぽかんと口が開いている。

 俺の心はますます喜びに満たされてゆく。


「カラスって笑ってればカワイイじゃん。今何歳?」

「忘れた」

「自分の年なのに?」

「もう何百年も生きているからな。いちいち数えてられん」

「へーんなのぉ」


 ヨーコの笑顔を見て、俺も笑った。


 満たされてゆく。穏やかな温もりと優しい鼓動に包まれる。

 ああ……幸せだ。

 もう死んでも良い。死ねるものならば、今すぐに死んでしまいたい。この時が永遠に続けば良い。このあたたかな魂をずっと感じていたい。

 ああそうだ。

 ヨーコが傍にいてくれたら。俺の傍にいてくれたら。

 辛く苦しいだけの永い時も、もう怖くない。気が狂うかと思う程に大嫌いな夜の闇にも、もう怯えなくて済む。女達のむせかえるような恐ろしい気を、吐きそうになりながら飲み込む事もしなくて良いのだ。心の底から凍りつき身体を凍えさせる孤独さえも、ヨーコといれば忘れられる。

 ヨーコが欲しい。俺の傍にいて欲しい。


「カラス! 腕、こうやって」


 心地の良い声にはっと我に返り視線を下げると、ヨーコが細い腕を横にして可愛らしい顔の横で拳を作っている。意味が分からないままその通りにしてやると、その俺の腕にヨーコが飛びついてぶら下がってきた。一瞬よろけ、体勢を立て直す。ヨーコが足をぶらぶらさせて、きゃっきゃと喜んでいる。

 ああ……俺の腕も、捨てたもんじゃないな……。

 軽やかな重みに思わずため息がもれる。触れた部分から僅かにヨーコの気が流れ込んできた。

 ヨーコが俺に心を開いている。

 そう思った途端、我慢がきかなくなった。


「わあ」


 軽々とヨーコを片腕で抱え上げる。視界が高く開けたせいか、ヨーコが楽しそうな声を出した。


「いい眺め! カラスっていっつもこんな景色見てんの? 背が高いって得だなー」


 ああ……俺の無駄にでかい図体も、たまには役に立つんだな……。

 流れてくるヨーコの優しい気に心がふっくらと膨らんでゆく。力が漲る。随分と久々の感覚だ。


「さっきの自制は形だけ? 罪深いなあ」

 

 テルがぼそりと呟いた。満足そうに笑っている。こいつも久しぶりに力に満たされて嬉しそうだ。


「そうじゃない。……今だけだ」


 そうだ。今、この時だけで良い。それで十分だ。


それからヨーコの言う様々な遊びに付き合って過ごした。大半は意味の分からないものだったが、ヨーコが楽しそうに笑うだけで、俺とテルはだらしなく口元を緩めた。満ち足りた時だった。

 夕闇が迫る。

 神社の鳥居から続く古びた階段に三人で腰を下ろし、世界を朱に染め上げる夕日を見つめた。


「もう帰んなきゃ」


 ヨーコが思いついたように、ふと呟いた。


「帰っちゃうの?」


 テルが縋るような視線をヨーコに送ると、少女は腕を伸ばしテルの頭をなでた。優しい手つきだった。


「うん。テルもあるでしょ? 自分んち」

「あるけど帰りたくない。ヨーコがいないとつまんないよ」

「うーん。カラスは? 家あるの? ほんとにホームレスなの?」

「家はあるが帰りたいと思う場所じゃない。ヨーコがいなければどこだって地獄だ」

「ううーん」


 ヨーコは立ち上がり、腕を組んで考え込んだ。


「でもさあ、家あるんなら良いじゃん。いやだって思う事たくさんあるけど、でも、やっぱり家があるのはありがたい事でしょ」


 その通りだ。ヨーコは賢い。ヨーコは強く、優しく、美しい。


「また明日あそぼ」


 ばいばい、とヨーコが俺達に手を振った。花柄のワンピースが翻る。





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