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016

 俺は一体何だ。


「……『漆黒』の守り人様。お呼びいただき、感激至極でございます」


 見目麗しい女。薄化粧の口元をほころばせ、頬を桜色に染めている。


「名を何と言う」

「スワンナルと申します」


 しずしずと女が近づいて来る。高級な生地で仕立てられた薄手のドレスが、その肢体に張り付いてゆらゆらと揺らめく。窓辺に佇む俺に向かって、極上の微笑みを見せる。

 女から放たれる激情の気配にめまいがした。弱っているせいで跳ね返す力も出ない。

 何度言ったら分かるのか。容姿の美しさなど何の意味もない。皆、年若ければ瑞々しく、年月を経て老いてゆく。神官共は何を基準に巫女を選んでいるのか。


「お目にかかれて、嬉しゅうございます。守り人様」


 女の白い手が俺の腕に触れ、俯いて胸に寄り添う。

 真っ赤な魂の旋律が聞こえる。とげとげしく煌びやかな、鼓動だ。

 分かっている。女達に非があるわけではない。やすやすと心を開けずにいる俺がいけない。

 だがどうしろというのだ。


 気合を入れ直し、銀色の長い髪に触れた。ゆるりと女が顔を上げ、俺を見つめる。

 恍惚とした表情。震えながら吐息をこぼす。


「ああ……。何とお美しいお方」


 その目は、俺を見ていない。

 

 俺は女に微笑みながら完全に心を閉ざした。小さな顎に指をかけ、気を得る為の儀式を行う。

 心を閉ざしていなければ相手の真っ赤な欲望に、こっちの心が食われてしまう。

 女の口から甘ったるい吐息がもれた。ゆっくりと顔を離す。長いまつ毛が震え、女の頬に涙が伝った。


「スワンナルよ。お前は何を望む」


 俺は人ではない。このような外道が、人であって良いわけがない。


「わたくしは……」


 女は目を閉じて俯き、また俺の胸に寄り添った。


「今宵限りの夢を見とうございます。どうか、どうかわたくしを……」


 お前は一体何だ。どこを見ている。

 お前が信じている神は、醜悪な畜生だというのに。

 

 妄信。


 人のおぞましき業だ。



*



 この星はこちら側の世界を形成している要だった。

 これさえ壊せば真空の闇が急激に膨れ上がり、ひずみが生まれ、引きつれて星々がぶつかり合い世界は消失する。その為この場所には莫大なエネルギーが集中し、すぐに歪みが生まれる。何度となくほころびを直していかなくてはならない。

 世界の均衡を保つ為に、この星はなくてはならない存在だった。


「あーあ。やっぱりね。さぼってばっかりいるから、あちこちにほころびが出来てるよ。あ、ほら、そこにも『負』が生まれてる」


 中空に浮かんだままのティエルファイスが広大な海原の一角を指差した。そこからかげろうのような『負』がぐねぐねと立ちのぼっていた。この薄気味悪い『負』が集まり歪みを作り出す。そのまま見過ごすと天変地異が起こる。生物の中に入れば病や悪意となる。

 守り人は永い時を生き続け、特異な能力でこの『負』を握り潰し、扉と世界を守り続ける。

 それだけの為に存在している。


「一気に片付けるぞ。戻れ」

「あれ。そんな事して平気? 気が足りないんじゃない?」


 無言で睨みつけてやると、綺麗な顔をした子供は肩をすくめ、はいはい、と呟いて俺の中に戻った。

 

 一度は壊してやろうと思った世界だった。

 しかし消してしまうには、あまりにも美しすぎる世界だった。

 それに放っておけばここに住む人間共が、勝手に壊してくれるだろう。


 空を仰ぐ。無数の星々。黒い闇に浮かぶ銀色の月。海のさざ波の音。吸いこまれそうな、海原の呼吸音。

 目を閉じ両手を広げる。髪が風になびく。意識を高めると、目視している時よりもはっきりと『負』を感じる。至るところにそれはあった。逃げようと蠢くそれを両腕にかかえ、ひとまとめにし、小さく圧縮してゆく。全身に鈍痛が走る。捉えた。『負』が暴れ、腕がもがれるような痛みが走るが、動じない。


「この地より、災いよ去れ。嘆くなかれ。次なる生を与えん」


 俺の中で『負』が昇華し消滅した。同時に身体がぐらりと傾く。


──そういう自暴自棄なやり方って、僕は賛成しかねるなあ──


 俺の中で、ティエルファイスがぼそりと呟いた。


「小五月蠅い奴だ」


 ゆるやかな速度で身体が落ちていく。残った力を振り絞り、あの場所へ移動した。


「ヤケになって、何が悪い」

 

 がさん、と枯れ草の上に両膝をついて着地した。古ぼけた鳥居に朽ちかけた社。立ちこめる緑の香り。

 一時期この周辺の村人達が俺を祀っていた場所だ。あの時に俺を差す名がひとつ増えた。

 この世界に住む人間達の賛嘆すべき点は、忘却する能力に長けている事だろう。

 仰向けに寝転がると、背の高い木々が静かに見下ろしてくる。荒い呼吸をととのえている間に、眠気に襲われた。


 耳元の騒がしい音で目覚めた。があがあととてつもなく五月蠅い。数羽の鴉に、たかられていた。

 左腕にちくりと痛みが走る。


「くそっ。つつくな!」


 上体を起こすと、鳥達は真っ黒の翼を広げ飛び上がり、計算された距離に着地した。があ、と鳴いて顔を傾ける。

 死体と勘違いしやがって。気安くつつくな。阿呆が。


「あ。生きてる」


 近い所で声がして、俺は驚いて視線を足元に向けた。気配に気づかなかった。俺の足元にしゃがみ込んでいる二つの小さな影。ひとつはティエルファイスだ。


「もう少しで警察呼んじゃうところだった」


 そう言ってもうひとつの影がティエルファイスに顔を向けると、二人はくすくすと笑い合った。

 愕然とする。見た事もない少女に、あれがなついている。

 茶色がかった長い髪が陽に輝き、大きな茶の瞳が俺を真っ直ぐに見つめていた。小さな口元は楽しそうに微笑んでいる。

 俺の心臓が、大きく鼓動を打った。唐突に喉が干上がってゆく。


「こんな所で何してるの? 変質者? あ、ホームレスか」


 全身の感覚が蘇り、あたたかな色彩が心に流れ込んでくる。静かな闇を内包し、薄く光り、影を作る。柔らかく力強い旋律。思わず腕を伸ばしそうになった。


 その魂は、一瞬で俺を魅了した。


「この子ね、ヨーコっていうんだ。近所に住んでるんだって」


 上機嫌のティエルファイスが弾んだ声を出す。

 ヨーコ。ヨーコ。ヨーコ。

 俺は忘れまいと心の中で何度もその名を呼んだ。


「テルがそばにいなかったら、とっくに警察呼んじゃってたけど。だっておじさん、死んでるみたいに寝てるんだもん」


 ぱっと少女が立ち上がった。花柄のワンピースが風に揺れる。


「……今、何時だ」

「お昼の一時すぎ」


 低く呻いた。目が回るくらい腹が減っているし、喉もからからだ。立ち上がる体力さえ残っていない。


「おい。ティエルファイス」

「僕、そんな長ったらしい名前じゃないよ。テルっていうんだ」


 何だと? 訳が分からん。


「おじさん裸足? 靴どうしたの」

「こいつすっごいお腹空いてるんだ」

「あ! ちょっと待ってて!」

「おいっ」


 声をかける暇もなく、少女の背が遠ざかってゆく。細い両足がしなやかに大地を駆け、すぐに見えなくなった。


「ふふ。何その名残惜しそうな顔。やらしいなあ」

「あれは、何だ」

「何って女の子だよ。こっちの世界の」


 あれに触れたい。あれを抱き締めたい。あの魂を、もっと近くで感じたい。

 きっとあたたかいに違いない。きっと全てが満たされるだろう。積み重なった暗い思いさえ、溶かしてくれるのではないか。


 否。そんな事をしてどうしようというのだ。

 あれは俺が手にして良いものではない。


 ゆるりと頭を振ってその思いを切り捨てようとする。


「ティエルファイス」

「テルだってば」


 じろりと睨みつけると、美しい顔を傾けて肩を竦めた。


「ヨーコがつけてくれたんだよ。長すぎて覚えられないからって」

「なつくな」

「だって分かるでしょう? ヨーコは僕らが求めてた子だ」

「言うな」

「ヨーコが僕らを救ってくれるかも……」

「やめろ!」


 大声を出したせいでめまいがして世界が回った。咳き込みながら仰向けに寝転がる。


「……いくじなし」


 拗ねた呟きが聞こえた。






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