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015(彼の名を)

 次に視界が開けた時、私は胸いっぱいの孤独をかかえていた。

 つらい。苦しい。

 気が狂ってしまいそうな程の、恐怖感。変に喉が渇くような、深い絶望。

 

 セピア色をした風景が目の前に広がってゆく。なだらかな山の曲線。緑深い森。ふもとに広がる田園。張り付くように建てられた藁ぶきの民家。

 すっと照明が落ちる。無数の星空。月明かりが照らす背の低い山に、画面がクローズアップするみたいにぐんと近づいてゆく。

 真っ暗闇の中、ちらちらとオレンジ色の光が見える。たいまつだ。

 粗末な格好をした村人が何人も石の階段を上がってゆく。時代劇で良く見る、村人みたいな格好だ。

 映像に声が入った。


「助けて下さい。お願いします。どうか、村の子らを。どうか」


 最初は一人の男性の声だった。それに女性の声が重なり、幾人もの声に膨れ上がり、最後には耳を覆いたくなる程の大声になった。苦しくて苦しくてたまらなくなる。両手で耳を塞いだ。

 その時に、自分に身体がある事を知った。我慢出来ずに私は声を上げる。


「おいっ! 五月蠅すぎるぞお前らっ! もう聞こえている! 黙れっ」


 自分の声にぎょっとした。それは男の声だった。

 小さな原っぱにくすんだ色の服を着た村人達がいて、私を愕然と見上げ、それから全員がひれ伏した。たいまつの炎が辺りをオレンジ色に照らしている。


「あああっ。ほとけさまほとけさまっ。どうか私らをお助け下さい! どうか村の子らをお助け下さい!」

「ほとけさまっ! おねげえしますっ」

「ほとけさま」


 彼らの感情が、一気に私に向かってぶつけられ、あやうく吐きそうになった。胸をつぶされる。

 いたい。もうやめて。分かったから……。


「くそっ! もうよせっ。俺を殺す気かっ」


 村人達がはっとしたような顔を上げて、両手を激しくこすり合わせて叫び声を上げた。


「そんな罰あたりな事っ! あたしらただ、子供達の病気を治していただきたくてっ」

「おねげえしますほとけさまっ!」

「ぐぅっ。もうやめろと言っただろうが!」

「何でもしますから、村の子らを助けてもらえるんだったら、何だってします!」


 何を言っても「お願い」をやめてくれそうになかった。これではこっちが参ってしまう。私は両手を大きく振って中止の合図を送る。


「分かった分かった! ガキ共の病気を治せば良いんだろう!? 分かったからもうやめろ!」


 村人達は地面に額をこすりつけたまま、むせび泣いた。


「あああ、ありがとうございます! ありがとうございますっ」

「ああ、ほとけさま」

「ありがとうごぜえます」


 恐れをなしてその場を逃げるように後にした。ちらりと振り返り、村に向かって片手を突き出し、指を広げ、ぎゅうと空を掴む。


「この地より、災いよ去れ」


 身体に鋭い痛みが走った。ぐっと息を止めて衝撃をやり過ごし、ため息をつく。

 この世界を壊そうとやって来たはずなのに、命を救ってどうするというのだろう。

 気がついてみると、この土地に住む人々は私と同じ髪の色をしていた。ガルクループでは私のような黒髪は珍しいのだが、ここには黒髪の者達ばかりだった。


 そこで、あれ、と思った。

 私って誰だっけ……。

 まあ良いや。


 だってもう誰も、私を見ようとはしない。

 私には何も必要ないのだ。この世界も扉も。縋りつく者達も。半身でさえも、必要ない。

 もうあんな思いはごめんだ。

 ならばいっそ、独りでいた方が良い。


 それからまた闇が訪れる。ひどく冷たくて寒くて、悲しい闇だった。

 そこにずぶずぶと沈んで、どれくらいの年月が経っただろうか。覚えていない。四肢が凍えて動かない。

 眠い。

 眠いのに、誰かが私を呼び起すのだ。



*



「あのねえ、いつまでそうやって寝てるつもり? いつまで僕に代理をさせる気なの」


 艶やかな茶色の髪に美しい顔をした子供が見える。また俺を起こしやがって。


「……こうして寝ていれば、少ない気でも扉と世界の均衡は保たれる。俺が出ずともお前が人間どもの相手をしていれば良いだろうが」

「もうへとへと。いやだよ。ちょっとさ、気晴らしにあっちの世界にいかない?」


 嫌味たらしく舌打ちをして、鉛のように重たくなった身体を起こした。するとどこからか鈴の音が鳴り響く。寝台から片足を下ろす時には周囲に神官や巫女達がぞろぞろと集まっていた。

 途端に胸やけがする。


「お目覚めでございますか。────様」


 白の法衣に身を包んだ神官の一人が、一歩前に出てひれ伏す。


「……セウンリヒ。お前以外の全ての者達を下がらせろ」

「はっ」


 衣擦れの音がしてあっという間に人が消えた。円形の空虚な空間が姿を現す。魚の腹のような白い石壁。神殿という名の牢獄。身体を伸ばし着替えに腕を通していると、足下にかしずいた男が声を上げた。


「おそれながら。御召し替えにございますれば、巫女達をお呼び致しますが」

「セウンリヒよ。お前は何代目だ」

「はっ。十六代目にございます」


 寝台に腰をかけて両足をぶらぶらとさせている子供が、ふふふ、と笑った。神官はちらと顔を上げてこちらの様子をうかがう。


「ではお前は知らんようだ。俺を昔の名で呼ぶ事は許さん。今度その名を口にしたら、即刻職を解任する」


 男ははっとしたような表情で、両膝をついたまま引き下がり、両腕の長い裾を翻し地に額を押しつけた。それを見た子供が、こらえ切れない様子で声を上げて笑い出す。


「あはは! ちょっと苛め過ぎ。可哀そうだよ。ねえ、セウンリヒ。こいつの言う事いちいち真に受けなくて良いんだよ。顔を上げて」

「ティエルファイス様……。ありがたき幸せにございます」


 眉を下げ情けない顔をしたセウンリヒは、それでも颯爽と立ち上がり、もう一度正式な礼をして寄こす。


「し、しかし。それではどのようにお呼びすれば……」


 全く。先代よりもかたぶつのようだ。年若いくせに融通がきかん。


「通り名で呼べ」

「はっ。……『漆黒』の守り人様。御就寝中に『白銀』『紅蓮』『青藍』、それぞれの守り人様が御挨拶に来られました」

「知っている。わざと起きなかった」

「は……?」


 着替えを済ませ、邪魔くさい黒髪を一つに束ね上げる。セウンリヒは口を開けて棒立ちになった。


「も、守り人様。その御召し物は一体……」

「これはね、あっちの世界の服なんだ。僕が調達して来たんだよ」

「時代が変わったようだな。着物ではないのか」

「うん。今はね、洋服ってのをみんな着てるんだ」

「おいセウンリヒ。ぼさっとするな。風呂の後に食事をする。用意しておけ」

「はっ」 


 久しぶりの湯を堪能し、だだっ広い空間に場所を移す。無駄に長いテーブルの上に並べられた料理を片っ端から腹の中に収めてゆく。空になったグラスに酒を注ぎながら、遠慮がちに男がまた口を開いた。遠慮するなら話しかけるなと言いたいが、ティエルファイスにあまり苛めるなと先回りして釘を刺されたばかりだ。


「守り人様。今年も巫女達の選定は既に終了しております。どうか僅かばかりでもお目通りの程を」

「ああ。そのうちな」


 セウンリヒは沈黙したままその場から下がらずに突っ立っている。俺は料理を頬張りながら相手を睨みつけた。


「おい。なんだ。言いたい事があるならさっさと言え」

「はっ。おそれながら。……何と申し上げたらよろしいのか」

「なら下がれ」

「はっ……いや、その。守り人様、正直に申し上げます。どうか御無礼をお許しください」

「回りくどい奴だ。慣れぬ言葉など使おうとするな。さっさと言わんとお前を食うぞ」

「ありがたき幸せにございます!」


 ……こいつは冗談でも言っているつもりか? うんざりしつつ、グラスを傾ける。

 セウンリヒは一つ咳払いをして、多少砕けた口調で説明を始めた。

 

「わたくしめは下の者達から再三せっつかれているのでございます。

 ここに集い、おそれ多くも守り人様のお世話をさせていただく神官達は全て古来より忠誠を誓い、子子孫孫未来永劫にお傍にお仕えさせていただく者達にございます。この無上なる喜び、身命を捨てての奉仕にて、非力なりともお伝えしてゆきたい所存でございます」


 頭痛がしそうだ。


「しかし巫女達は、少し勝手が違うようなのです」


 吐き気がしてきた。


「毎年候補者の中から数名の巫女を選定致しますれば、その者達は全て、飛びあがらんばかりに狂喜乱舞致します。無理もありますまい。守り人様の巫女になれるというのですから、その者の出身地は富と栄誉が約束されます。その者を育て上げた父母達もまた、一生を優雅に暮らす保障を得られます。そして巫女に選ばれた当人は、かの偉大なるガリオレス一族の末裔、異能と美貌を携えた神、守り人様の御寵愛を約束されるのです。これが喜ばずにはいられましょうか」

「……今すぐ用件を言え」


 一段低い声で告げると、生真面目な神官は一歩退き、深々と頭を垂れて早口で続けた。


「この地におわします『漆黒』の守り人様は、巫女達から気を得る事を致しません。あったとしても数年に一度きり。それもたった一人に、しかも交接をしていただけない。これでは巫女達があまりにも不憫でございます。ならばもう半身をお決めになっていただきたいのです。さすればいたいけな乙女達の心も安らかになりましょう。それが叶わぬのならば『紅蓮』の守り人様のように、どうか巫女達に御寵愛を……」

「セウンリヒ。顔を上げろ」

「はっ」


 じっと男の顔を見つめる。なるほど、先代に似て精悍な顔つき。己の忠誠を信じ己の道を疑わぬ目だ。実に愚かで、滑稽である。この俺は、お前が命を賭して仕える程の器もない、くそ野郎だというのに。

 目の前の愚かな男を見据え、口を開く。


「いよいよお前を殺したくなってきたぞ」


 男はさっと顔を蒼ざめ慌ててその場にひれ伏した。背後でティエルファイスのため息が聞こえた。


「……一人連れて来い」

「あ、ありがたき幸せにございます!」


 胸くそ悪い。くそったれめ。

 しかし、向こうの世界に行く為には気が必要だ。


 何が神だ。ただの鬼畜だ。




 

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