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014

 慌てて荷物をまとめ、挨拶もそこそこに呼んでいたタクシーに乗り込む。おじさんとおばさんに謝ってお礼を言って、今度またゆっくり来るからと言い置いて急いで駅へと向かった。それから私鉄に乗っている時も新幹線に乗っている間も、携帯でニュースを逐一チェックして気が気ではなかった。幸いに死者はまだ出ていないようだ。火山の活動は現在小康状態を保っていると最速ニュースが伝えた。

 早歩きが最後には駆け足になって自宅のマンションへと飛び込む。帰ってきていると良いのだけれど……。はやる気持ちを抑え、玄関のドアを開いた。そこには見覚えのあるビーチサンダル。部屋の青色のカーテンは閉め切ったままで室内は薄暗く、つきっぱなしのテレビの光がちらちらと辺りを照らしている。リビングのソファに小さな頭が見えた。ソファにテル君が座っている。


「テ、テル君っ」


 はっと息を飲んだ。勢い込んで傍にしゃがんだ私にゆるゆると顔を向けたテル君。その顔や身体が、透き通っていた。華奢な身体を通り越して部屋の景色が滲んで見えている。白魚のようなテル君の手に触れた。まるで心もとない。薄いガーゼみたいな存在しかなかった。


「どうしたのっ。これ、透けてるっ」

「……扉はきっちり閉じて来たよ。だけど、そこであいつの力が尽きちゃった。ここに帰ってくるので精いっぱいだった」


 そんな……。


「こっちに侵入した奴は一人だ。誰かも分かってる。でももう無理だ。急すぎるよ。まさかこんな事になるなんて……。ユイネ、どうしよう」


 テル君の綺麗な黒の瞳から、ぽろりと一粒、涙がこぼれた。全てがうっすらと透けていて、これは夢なんじゃないかと頭の片隅で思う自分がいた。


「テル君」

「ああ……もうだめだ。あいつは死ぬよ。扉を閉じれただけでも良かった……。きっとガルクループにいる残りの守り人達が気付いてくれる。それまでこの世界がもってくれれば」

「そんな、テル君っ! どうすれば良いのっ」


 どんどんテル君が薄くなってゆく。消えてしまう。テル君の瞳が涙で濡れている。天使が泣いている。

 そんな。何も出来ないなんて。ただ消えてしまうのを見ているなんて!

 テル君の薄くなった身体を、私は両腕でかかえて抱き締めた。


「気、気をあげるからっ! ね、気をっ」

「ユイネ……」

「ねえ、どうすれば良いか教えてっ。私が出来る事、するからっ」


 テル君の薄く透き通った両手が私の背中を包んだ。


「もう直接タロちゃんに気を送らなくちゃ、ダメージは回復しないよ。ユイネ、本当に? 本当に僕らを救ってくれるの?」

「うんっ」

「……お願いだよ、ユイネ。あいつに、気をやって。たくさんの気が必要なんだっ」


 あ……。

 昨日のやりとりを思い出す。


『心を開いていなくても、好き同士じゃなくても、たくさんの気を得る手段があるんだ。それはこういう緊急事態の時には最善の手段だよ』

『……それって、どんな?』

『お互いの体液を交換する事』


 ゆるりと私の腕の中から顔を上げたテル君は、辛そうな表情で声を上げた。


「ユイネ、僕らには君しかいないんだ。お願いだ、僕らを見捨てないで」


 今度は逆にテル君の両手が私の腕を掴み、怯んで身を引いた私を逃すまいと縋りつく。


「ど、どうすれば良いの?」


 透き通っても美しく可愛らしいテル君の口から、似つかわしくない言葉が飛び出した。


「ユイネ、あいつとまぐわって!」


 気を失いかけた。


「テ、テル君。それはちょっと……ほ、他の方法はないの!?」

 

 視界の隅にテレビの画像がちらつく。噴火し続ける海底火山。右往左往する人々。

 テル君の両目から、ぽろぽろと涙がとめどなく流れている。


「ユイネ、ユイネ。僕らを助けて……お願い……」


 呟いて、テル君が私の胸に顔を埋めて震えた。

 その時。

 テル君の身体が白く光ったように見えた。次の瞬間、視界が真っ白に焼けた。


「うあっ」


 眩しい!

 ぎゅっと固く目をつぶった。目を閉じているのに全てが白くて、目が痛くなる程だ。

 いたい……。


「ユイネ。あいつは自分の名を、ずうっと昔に捨ててしまった。だけどヨーコがつけてくれた名前がある。

 あいつの名前は、カラス」


 ぷつん、と光と音が途絶えた。次にぞっとするような暗闇がやって来た。



*



 ぼおん、ぼおおおん。

 

 音が聞こえる。

 低くて大地が共鳴するような、大音響。


 ぼおおん。ぼおおおん。


 それが、鐘の音だと気付いた。


 突然に視界が開ける。青白い月夜。薄暗い部屋。天蓋つきの大きなベッド。レースの天幕。

 その真っ白のベッドの上にいる。感覚が戻る。ふわりとしたシーツの感触。

 息を飲む。

 自分の目の前に、女性がいた。

 金色の長く美しい髪。ゆるやかなカーブを描き、華奢な肩に垂れる。女性は薄いキャミソールドレスを着て、ベッドの上で、私の隣で俯いている。肩が小刻みに震えていた。

 彼女は、泣いている。

 視界の端に手が映った。指が長くて大きな手。男の人の手だ。

 それが私の手だと、なぜか思った。

 そっといたわるように、その手が痩せた肩に触れると、びくっと女性の身体が震える。怯えている。

 私に、怯えている。


「────様。……お許し、ください……」


 絞り出すような悲痛な囁きが、耳に届いた。


 引き裂かれるような胸の痛み。全身がきしんだ。

 痛い。

 いたい、いたい、いたい。

 心が引きちぎれてしまう。

 いたい。くるしい。

 もうやめて。いたい。いやだ!


 助けて!


 また意識が飛んだ。



*



 俺には、全てが不要のものだった。

 縋るような数多の目は、俺をイラつかせた。

 たくさんの者らが媚び諂い、俺に取り入ろうと躍起になって猫撫で声を出す。そのくせ嫌な仕事は全て押しつけてくるのだ。人を裁いてくれと人が言う。人を救ってくれと人が言う。

 吐き気がした。

 もうたくさんだ。うんざりする。やめてくれ。俺を呼ぶな。俺を頼るな。

 解放してくれ。何が扉だ、世界がどうした。知った事ではない。ああ、最初からそうすれば良かった。


 壊してしまおう。

 俺をこの世に縛りつける世界など。




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