013
それからしばらくして、ヒロさんが片手にアルバムを持って現れた。硬い背表紙のそれは、開くと古い紙の匂いがした。
「ゆっくり見てって。あ、いらっしゃい!」
私はお礼を言って、カウンター席を陣取り丁寧に一ページごとめくっていった。運動会や学芸会の写真、教職員の写真に続いて六年生の生徒達の一人ずつの写真のページに入った。やはり小さな農村だけあって、二クラスしかなかった。それでももしかしたら、生徒数が多い時代だったのかもしれない。
女の子の顔写真を一人ずつじいっと見ていった。そしてがっくりきてしまった。
私の記憶にあるお姉さんの顔が、その中になかったのだ。
続いて名前を一人ずつ読んでゆく。六年生の中に、ヨーコさんは三人いた。「洋子」「陽子」「葉子」……。またしてもがっくりきてしまう。そういえばこの日本で、ようこ、という名前は珍しい方ではない。
その三人のヨーコさんの写真を見たけれど、やっぱりあのお姉さんではなかった。私の記憶違いだろうか。ううん。そんな事ない。
ヨーコさんは少し茶色がかった綺麗な長い髪で、くりっとした大きな焦げ茶の瞳だった。口元もきゅっと可愛らしくて、鼻筋もすっと通っていたのだ。
はあ……。どうしよう。ここに来れば何かしらの手掛かりが掴めると思っていたのだけれど……。
この土地にある学校の生徒ではないとすると、もうどこをどう探したら良いのか分からない。
「どう? いた?」
接客がひと段落したヒロさんが、カウンター越しに太い腕をついて聞いてきた。私はよわよわと苦笑してそれに答える。
「それが、どうもいないみたいなんです……。すみません、アルバムも出して来てもらったのに」
「そんなのは全然良いんだけどね。そっかあ、じゃあ、こっちに田舎がある子だったのかなあ。
ちなみに何て名前の子?」
「苗字は分からないんですけど、ヨーコさんっていうんです。私が五歳の時に裏の神社でよく遊んでもらってて……」
ぎくりとした。ヒロさんの表情が、凍りついている。驚いているような、恐れているような表情。
あれ。どうしたんだろう。
「……その子探してどうするの」
「え? あの、お礼を言いたくって」
「そんなの、もう良いんじゃないかな。だって子供の頃の話だろ? その子だってもう忘れてるよ」
不自然に視線をそらし、ヒロさんは急にそわそわし出した。様子がおかしい。明らかに。私がヨーコさんの名前を出してからだ。
「で、でも、私の他にも会いたいって言っている人がいて……」
私がそう続けると、ヒロさんはますますびくついて、やんわりと私の手からアルバムを取り上げた。
「でもこのアルバムにいないんじゃ、もう探しようないね。ごめんね、力になれなくて」
「あ、良いんです。私の方こそすみません。あの、ヒロさん」
「いらっしゃい!」
ヒロさんはヨーコさんの事を何かしら知っている。なのに、それを隠そうとしている。そう思えた。
でもそんな風に見えただけで、ヒロさんを捕まえて詰問する勇気が私にはなかった。明日、もう一度ここに来て、その時に聞いてみよう。私は会計を済ませて、奥さんに挨拶をして喫茶店を後にした。
*
「はあ……。タロさんに何て言おう」
闇に溶ける板張りの天井を見上げながら、もんもんとして私は深いため息をついた。
でも、見つかったら見つかったでまた大変だから、もしかしたら見つからなかった方が良かったのだろうか? いやいや、それじゃあ私がずっと気を送り続けなくてはならなくなる。
懐かしい匂いのする布団の中で寝返りをうつ。
そうだ。タロさんの力が元に戻れば良いんじゃないだろうか。守り人の力が百パーセント戻ったら、きっと魂の伴侶なんてすぐに見つけ出せるはずだ。それなら私が協力しなくても大丈夫。
あ、だめだ。その為には私がタロさんに心を開くか、た、体液を交換しなくてはいけない。
むり……。
「はあ……」
あのお守りを思い出す。するとどうしてもそれに触れたくなった。だけど、それはもうタロさんの中に戻ってしまった。それに元々、あれは私のものでもなかった。少し悲しい。
そういえば……。気っていうものは心を開かないと送られないしお互いに好意を抱いている間柄じゃないとだめだって事は再三聞かされた。
私はあの黒くてまん丸の漆黒の珠を、お守りだと思って大事にしていた。それこそ大好きだった。
タロさんはタロさんで、その珠を持っているのがヨーコさんだと思い込んでいた。私の魂がヨーコさんとそっくりだから。こっちに来てそれが私だったと判明してとっても落ち込んでいた。けれどタロさんは今でも私には心を開いているって事になる。そうじゃないと気を届けられないから。
不思議だ。
とにかく明日、もう一度ヒロさんの喫茶店に行こう。ああ、せっかくの土日が、これでつぶれてしまった。
タロさんとテル君は大丈夫だろうか。きちんと扉を閉じる事は出来ただろうか。
ぼんやりと考え事をしながら、私は眠りについた。
*
翌朝、大事件が起こっていた。
朝の七時に携帯の目覚ましが鳴ってのろのろと起き出して身支度をととのえ、居間へ向かった。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはよう、唯音。すごい事になってるよ」
「え?」
おじさんが小動物みたいなちっちゃい目を見開いて驚いた表情を作り、テレビの方を指差した。それを受けておばさんがテーブルにご飯を運びながら、リモコンでテレビの音量を上げた。
「太西洋の向こうっかわにある海底火山が噴火したんだって」
ぎょっとしてテレビを凝視した。一面真っ青な海の画面。その中央が盛り上がり、黒と灰色の煙が膨れて弾けた。大きな水柱が上がる。まるで爆弾がそこで大爆発したような光景。
「それが一個じゃないみたいなんだよ」
「う、うそ」
「なんとか火山と、なんとかってやつと、なんとかベラって、三つの海底火山が同時に大噴火だって」
テレビの映像が中継に変わり、切迫した周囲の状況を伝えている。飛行機は全て欠航。もちろん船舶侵入禁止。国の軍隊が出動して津波の影響も懸念されている。
「やあっと雨とか台風がなくなったっていうのに、次は火山なんて、地球はどうなっちゃうんだろうねえ」
ばくばくと心臓が激しく鼓動を打ち始める。軽いめまいを覚えた。
そんな。
「あれじゃないか、温暖化。人間のせいだろうよ」
タロさんのせいだ。さあっと血の気が引いた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
次話より、やっと話がぐうっと進む予定です。
孤独な魂の音色、ご覧いただければ、嬉しいです。