011
「この世界とガルクループを繋ぐ扉は、ここよりもずっと遠くにあるんだ」
「一刻を争う。すぐに閉じねばならん」
「今のままのタロちゃんじゃ、守り人の力が弱すぎる。気が必要なんだ」
「ユイネ。お前の気を寄こせ」
タロさんとテル君が言い募りながら迫ってくる。大きなビルとビルの狭間の細道で、後ずさりした私の背はすぐに壁に阻まれてしまった。
「あ、あの、昨日のですよね。ならテル君に……」
繊細な眉を寄せて、私を見上げて切ない表情を向けるテル君。当然のように私の胸がときめく。
「ユイネが僕に心を開いてくれてるの嬉しいよ。僕もユイネの事、好きだよ。ユイネの魂はすごく気持ち良いし、ユイネの気はとっても優しいんだ」
突然の告白に、一瞬で赤面する。
「だが全然足りん! お前が俺に心を開くのを待っていたのでは、遅すぎる」
ぐわし、とタロさんの大きな両手が私の肩を鷲掴みした。ぐっと大木のような身体が近づき、影が出来る。
こ、今度は何っ。
「気は心を開かないと送られないって言ったよね。守り人には好意を寄せ合う相手が必要なんだ。ユイネはこいつの事は嫌いだけど、漆黒の珠は小さい時から大好きだったでしょ? それにユイネの魂はヨーコにそっくりだ。だから僕らにとってユイネはうんと特別なんだ」
どこかしら焦っているような声でテル君が横から説明をする。だけどそれは昨日聞いた事だ。説明の意図が分からない。
「だけど例外がある。心を開いていなくても、好き同士じゃなくても、たくさんの気を得る手段があるんだ。それはこういう緊急事態の時には最善の手段だよ」
「……それって、どんな?」
「お互いの体液を交換する事」
一瞬、何の話か分からなかった。
鋭い黒の瞳。彫の深い顔がぐっと迫ってきて、私は咄嗟に両手で相手の太い首を掴んだ。いつの間にかタロさんの太い両腕が私の身体を抑え込んでいる。
ぞわ、と全身に寒気が走った。
本能が身の危険を感じている。
「ちょ、ちょっと待って。なに、何をっ」
「抵抗するな。すぐに終わる」
まさか。
「たたた、体液って、なにっ」
「五月蠅い奴だ! ディープキスくらい、した事あるだろうが!」
あやうく失神しそうになった。
ぐぐぐ、とタロさんが力づくで迫り、私は両手に渾身の力を込めて拒絶する。
何て事。
かみさまが、こんなセクハラをするなんてっ。
「くっ……。き、さま……。逆らう、か」
「む、ムリですっ……そんな」
私は相手を絞め殺す勢いで首を押さえ続け、タロさんは顔を真っ赤にさせて迫り続ける。お互いにありったけの力をふるっての攻防。ぎぎぎ、ときしんだ音が出そうな状況に勝利したのは私の方だった。
突然タロさんが身体をひるがえし、よろよろと後ずさった。片手で私に締められていた首を押さえ、苦しさで目には涙が浮かんでいる。
「阿呆っ! こ、殺す気かっ」
「こんなの、は、犯罪です!」
「俺は神だぞ!」
「かみさまだって、やって良い事と、悪い事があるでしょうっ」
「扉を守らねばならんのだ!」
「それは分かりますけど、でもっ」
「待った待った!」
肩で息をしつつ言い争う私とタロさんの間に、テル君が割って入った。
「もう時間がないよ。ごめん、ユイネ。ごめんね。もうしないから」
しゅんとしたテル君の姿を見て、何とか冷静さを取り戻す。
「わ、分かった。テル君、昨日みたいので良いなら、協力するから」
そう言うと、テル君は情けなさそうな、寂しそうな表情で微笑んだ。私の胸がきゅっと詰まる。
とても綺麗で、儚い微笑みだった。
「ありがとう、ユイネ……」
そっとテル君の華奢な身体が私に寄り添い、静かに抱き締められる。私はまだ乱れがちな呼吸を落ち着かせ、目を閉じた。
この世界を守る為に、扉を守る為に守り人としての力が必要なのは分かる。全くの部外者でもないので、私に協力出来る事なら、もちろん手伝いたいとも思う。
あのお守りは、あの漆黒の珠は、今までずっと私のよりどころだったのだ。あの黒くてすべすべの、ひんやりとした丸い石のおかげで、何とか今まで頑張ってこれたのは嘘じゃないから。
だけど初対面に近い異性に心を開いたり、ましてや濃厚キッスなんて、どう考えても私には無理だ。
確かにタロさんは異性といっても宇宙人だしかみさまだし普通とは色々違うけれど、でもやっぱり出来ない。せめてこの手段でうんと気を送ってあげる事くらいだ。
たくさんたくさん、テル君に気が届くように念じる。
「俺だとて鬼畜ではないぞ。嫌がる女に無理矢理して喜ぶような趣味はない。勘違いするな」
遠く、ふてくされたようなタロさんの呟きが聞こえた。
それからタロさんとテル君は私にヨーコさん探しを言いつけて、一瞬でその場から消え去った。
気をつけてね、と心の中で囁いて駅へと足を向ける。
とにかく、ヨーコさんを見つけ出さなくては。一日でも早く。
*
速いスピードで後ろへと飛び去ってゆく景色をぼんやりと眺める。新幹線の車中で、私はおぼろげな記憶を必死になって思い出そうとしていた。
母の故郷は山に囲まれた小さな農村。近頃は道路も整備されてだいぶ便利になってきてはいるけれど、私が幼い頃に暮していた時と、たいした変化はないだろう。この場所を引っ越してからも、幾度となく私はここを訪れている。上京した今も変わらない。ここに母が眠っている。
母の月命日には必ずお参りに行くようにしているのだ。
新幹線を降りて私鉄に乗り継ぎ、そこからまた一時間半。ドアのすぐ近くの座席に座った。土曜の昼時で下りの列車にはまばらにしか人が乗っていない。背を丸めたおばあちゃんに、制服姿の女子高生。小さな男の子と若いお母さん。のどかだ。
何だか昨日から嵐のような日々だったので、こうして一人きりになってぼんやりしているとどっと疲れが押し寄せて来るようだった。とりあえず考えをまとめて、お姉さんについても色々思い出して、これからの事を模索しなくては。
あの不思議な二人組、タロさんとテル君が言っている事は無条件で信じる事にする。
あれこれ疑っても疲れるだけだし、確かに説明のつかないような不思議な事も起きている。だからタロさんは二百年以上生きているかみさまで、テル君はそのかみさまの一部だというのを信じよう。
そして漆黒の珠と、魂の伴侶であるヨーコさんの事。
タロさんはガルクループ生まれのかみさまで、ガルクループには四つの世界に通じる四つの扉がある。その四つの扉と、そこから繋がる世界を守っている四人の異能者。四人は守り人で千年という永い時を生きる神と呼ばれる存在。だけれども彼らは元々人間だ。
扉と世界を守る為には守り人の特別な力が必要で、その守り人自身の力と心を保つ為に他人の気が不可欠。そしてその気というものが、お互いに心を開き合った相手でないと成立しないものだったのだ。
そこで伴侶という存在が意味を持つ。
守り人の伴侶は彼らに気を送り、彼らを守り人として保たせる為の重要な役割がある。だからこそ誰でも良いというわけにはいかず、魂の好みで選び、なおかつお互いに好意がなければならない。
タロさんはその相手に当時十歳だったヨーコさんを選んだ。
そしてヨーコさんも、伴侶になる事を承諾して珠を受け取った。
伴侶は守り人のもう一つの命である漆黒の珠を受け取り、守り人とともに永い時を生きてゆくパートナーになるのだ。
突然、人生八十年ていう概念から外れて、そんな途方もない時間を生きていこうというだけの決心が、子供だったヨーコさんにあったわけではないだろう。おそらくそのヨーコさんが、幼い私とよく遊んでくれたお姉さんで間違いない。ヨーコさんは大事な漆黒の珠をお守りだと言って私にくれたのだ。
今でも良く覚えている。
あれは私が五歳の時、母が病気で亡くなり、父とともにあの場所を引っ越す事になった出来事が関係している。
あの日、人外様の祀られている神社で最後のお別れをした。泣き虫だった私はぐずぐずといつまでも泣き続けてお姉さんを困らせた。そして、お姉さんは私にあの珠をくれたのだ。人外様のお守りだよ、と。
これがあれば何があっても大丈夫。だからもう、泣いたらだめだよ、と言って……。
そこまで考えて、あっ、と声を上げそうになった。
今の今まで、ヨーコさんを見つける事が出来れば問題解決だと思っていた。何て浅はかなんだろうか。たとえ運よくヨーコさんとすんなり会える事が出来ても、本当に大変なのはもしかしたら、それからなのではないだろうか。
その時十歳だったヨーコさんは、今は二十八歳だ。
結婚していてもおかしくない年頃。子供だっているかも知れない。独身でいたとしても、彼氏がいる可能性だってある。くりっとした大きな瞳で、とっても可愛らしい顔をしていて、性格も明るくて面倒見が良かったと思う。異性がほっとく訳がない。
今更、タロさんの伴侶になって欲しいなんて、どうやって言ったら良いんだろう。
車内のアナウンスが、懐かしい土地の名を告げた。