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「倉田さん?」


 自宅のマンションから最寄り駅へと向かう途中の道で、聞き覚えのある声に呼び止められた。振り返ると見覚えのある形。茶色のサラサラヘアをなびかせ、少し撫で肩気味の穏やかな風貌の男性。薄青のシャツにカーゴパンツという普段着姿の彼に、少しだけ違和感を覚えつつ、ああ、と私はお辞儀を返した。


「こんなところで会うなんて、珍しいですね。早くからお出かけですか?」


 黒ぶち眼鏡の奥の瞳は、いつもと変わらず大型犬みたいな柔和さだ。


「あ、はい。ちょっと用事があって」

「土曜はお仕事お休みでしたよね」

「あ、はい。笹本さんは……」

「僕はこれから学校です。土日は夜のシフトなんです」


 とりあえず笑顔を作って、そうなんですか、と口の中で呟く。

 笹本さんは私が仕事の行き帰りによく立ち寄るコンビニで、アルバイトをしている人だ。私がしょっちゅうそのコンビニを利用するものだから、いつの間にか顔なじみになり、挨拶を交わすようになった。もうかれこれ一年程になるだろうか。しかしこれといった会話を交わした事はなく、相手の情報といえば、笹本さんは専門学校生が本業の、コンビニでアルバイトをする真面目な好青年。年齢も聞いた事はない。同じように彼も私の事といったら週休二日の会社で働く、いたって平凡な社会人というデータを知っている程度だろう。……とはいっても、それくらいで全てを語り終えても良いくらいの私だけれど。

 だからコンビニのレジ前以外でこうしてお互いの顔を見るのはとても珍しい事だ。

 よりによって、それがどうして今日なのか。


「今日はとても良い天気ですね。しばらくぶりだよなあ、こんなに晴れるの」

「そ、そうですね」


 にこにこ笑いながら話しかけてくる笹本さんを通り越した先に、ちらちらと人外様とテル君が見える。

 何とか笹本さんにあの二人の存在を知られずに、この場をスルーしたい。私は内心であわあわと右往左往して慌てる。人外様が苛々した様子で腕を組んで、ふぬ、と鼻から息を吐き出した。まずい。


「あの、ごめんなさい。ちょっと急いでて……」

「あっ。す、すみません。呼びとめちゃって」


 笹本さんが眉を下げて頭をかいたので、ますます慌ててしまった。こんな私にわざわざ声をかけてくれたのに、と思うと申し訳ない気持ちで一杯になる。


「あ! いえっ。良いんですそんなっ。あのっ勉強頑張ってください」

「え、あ……ありがとうございます」

「おい! 早く行くぞ!」


 しまった。

 笹本さんがぎょっとして、背後を振り返る。そこには男前な大男と、天使のような男の子が、いる。

 のたのたとしたやりとりに苛々を募らせた人外様が、不遜な態度でこちらを見据えていた。

 笹本さんのひょろりとした身体が数秒固まる。それからぎこちなくまた私に顔を向け、


「お知り合いですか?」


 と、目線で聞いてきた。その顔は完全に驚いている。私の頭はいまだかつてない程に猛スピードで回転しはじめ、わたわたとテル君の隣に行きながら口を開いた。


「えと、あ、親戚なんです」

「いつもユイネがお世話になってます」


 テル君がにっこりと微笑んで、すかさず挨拶をしてくれた。


「う、わあ。びっくりしたあ。倉田さんの親戚の方ですか。芸能人かと思いましたよ」

「あは。よく言われます。あの、ユイネとはどういう?」

「ああ、すみません。俺、笹本っていいます。倉田さんがよく立ち寄ってくれるコンビニでバイトしてるんです」

「へえ。なあんだ、彼氏かと思っちゃった」

「えっ……」

 

 ああ、笹本さんが困っている。テル君、テル君。そんなにフランクに話さなくて良いんだけど……。


「ええと……。こちらの方も、倉田さんの?」


 苛々オーラ全開の人外様にちらりと視線を投げて、笹本さんは少し怪訝な表情になる。まずい。何やら怪しまれてる風だ。

 テレビか雑誌から抜け出てきたような日本人離れした容姿の大男。しかも長髪を可愛いシュシュで束ね、服はよれよれ、足元はビーチサンダル。そして盛大に不機嫌そう。誰だって、怪しむ。


「そ、そうなんです! 実は普段アメリカに住んでて、久しぶりにこっちに来て。ええっと、その」

「……そう、ですか」


 あ、まだ怪しんでる。変な汗がひやひやと背筋を伝ってゆく。


「ね、テル君」

「うん。久しぶりだなあ、日本」

「くだらん。ぐずぐずするな、早くしろ」


 ちっ、と舌打ちする人外様。ひいいっ。頼むから、何も喋らないでください。

 笹本さんの眉間にしわが寄った。


「あの、お名前を聞いても?」

 

 どうやら笹本さんの中で、危険人物の認定が下された模様。私の心臓は、この衝撃に縮み上がった。


「何故、お前に名乗らねばならんのだ」


 ドスの聞いた低い声が答える。人外様は名前を聞かれるのが好きではないらしい。困った。名前……。

 ええい、と私は捨て身で、声を上げた。


「太郎さんっ。そういう言い方は日本では失礼なんですよ!? ご、ごめんなさい、笹本さん。太郎さんね、日本語を映画とかで覚えたみたいで、なんか、ちょっと変なんです」

「なっ……」

「ああもうっ。分かりましたっ。行きますからっ。じゃあ、また」


 ぐいぐいと両手で人外様とテル君を先へと押しやり、呆然とする笹本さんにお辞儀をして、逃げるようにその場を後にした。

 すぐ目の前の角を曲がり、ほう、と息をつく。長い人生のうちで使うであろう半分くらいの勇気を、たった今使い果たしてしまったかもしれない。

 テル君がふふふ、と声をもらし、あははと笑い出した。


「タローは良かったね。うん、可愛い名前。今度からタロちゃんって呼ぼうっと」

「……ひどいセンスだ。最悪だぞ」

「だ、だって、名前教えてもらってなかったから……。すみません」


 咄嗟に出した名前とはいえ、さすがに安直すぎたと思う。でも日本では昔から、太郎君花子さんって、とっても親しみのある名前なのだ。


「ふん。まあ良い。俺の名などあってないようなものだ。勝手にしろ」


 人外様が意外にあっさりと引き下がったので、怒られると思っていた私は、はあ、と間の抜けた返事を返した。


「あの、ちょっと待ってください」


 先を急ごうとする人外様(命名・タロさん)とテル君に声をかけた。凄みのある鋭い視線が突き刺さる。この恐ろしい目つきにも、だいぶ怯まなくなってきた。……いや、でもやっぱり怖い。


「……目立ちすぎると思うんです。母の故郷へは私一人で行ってきますから、あの、留守番していてもらえませんか」

「馬鹿な! お前一人に任せておけるか!」

「ちゃんと探してきますから」

「反抗する気か」

「ち、違います。この日本だとタロさんとテル君みたいに綺麗な人って目立つんです。それにその、タロさんの格好、ひどいです……」


 むっとしたタロさんが両手を腰に当てて怒る体勢をととのえ、私が首をすくめ目をつぶって怒鳴られる体勢をととのえた時だった。


「え……どうして」


 唐突に、テル君の愕然とした呟きが耳に届いた。おそるおそる目を開けてテル君を見やる。潤んだ黒色の瞳は中空をぼんやりと見つめていた。


「くそっ。どうなってる!」


 次いでタロさんの大声。二人とも、ここではないどこかを見つめている。タロさんの表情が険しく曇った。今までにないような緊張感が辺りに漂い始め、私の緊張も高まってゆく。


「ど、どうしたの」


 ぼんやりとした表情のまま、テル君が私に視線を合わせた。


「扉にほころびが出来てる。……誰かが、明らかな意図を持って、ガルクループからこっちの世界に侵入した」


 えっ!?


「ありったけの力を使って閉じてきたんだぞ。あり得ん。こんな事を出来るのは限られた者だけだ」

「うん。とにかくすぐにほころびを直さないと、まずい」


 私達のいる世界と、テル君達の住むガルクループを繋ぐ扉。それが開いてしまったという事だろうか。だとしたら一大事だ。だって、世界の力のバランスや均衡が崩れてしまう。悪い人がこっちに入って来てしまったのかもしれない。ええっ! そ、それは大変。


 目の前の二人が、示し合わせたようにゆっくりと私に顔を向ける。


「ユイネ」


 あれ。何故だか嫌な予感。




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