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001(はじまりは、春の嵐)

 今日も雨。


 ここのところ、ずっと雨だ。せっかく咲いた桜の花も、今日か明日あたりには満開を通り過ぎて散ってしまうだろう。今朝のテレビのお天気コーナーでもそう言っていた。

 片手で傘を開いて大粒の雨が落ちる世界へ足を踏み出す。


 ぼつ、ぼつぼつぼつ……。


 雨が傘を叩く音を聞きながら通い慣れた道を歩く。

 高校を卒業してすぐに上京し、就職した職場へと向かう。早いものでもう五年目になる。電車を使わずに通う事が出来る距離に部屋を借りた。徒歩で二十分。満員電車には今でも乗れない。

 途中で、あ、と思い、立ち止まり、鞄の中身を確かめた。

 お守りを鞄の中へ入れたっけ。


 ソフトボール大のまん丸の球体。真っ黒で艶やかで、多分、何かの鉱石を加工して作ったものだろう。鞄の中へ手を入れて、その表面を指先で撫でると、ひやりつるりと心地良い。

 ああ良かった。持って来てる、ちゃんと。


 軽やかな重みのある、これは私の大事なお守り。

 幼い時に住んでいた町で、近所のお姉さんにもらったものだ。

 それからずっと、肌身離さず持ち歩いている。

 どこに出かけるにも必ず持ってゆき、帰宅したらテレビの脇の定位置に置く。思いついたように手に取って、両手でころころ転がして、寝る時には枕元に置いて眠りにつく。子供の頃は胸に抱いて眠っていた。

 落ち込んだりした時も嬉しい事があった時も、いつもこれに触れてこれを抱き締めた。

 何故だかこれが傍にあるだけで心の底から安心して、自分の居場所がそこにあるような気になって、落ち着いた気分になれるのだ。このお守りがあったお陰で、今まで何とかやってこれた。


 とっても不思議な、黒くてまん丸の石。

 落としても割れず、ひびや傷一つつかない。汚れてもタオルでさっと拭くだけで元通りのつやつやになる。

 私の大事な大事な、お守り。


『もう唯音ったら、本当に泣き虫なんだから。あ、ねえこれあげる。これね、人外様のお守りなんだよ。これを持ってたら何があっても大丈夫だから。もう泣いちゃだめだよ』


 うん。もう泣いてないよ。大丈夫。お守りがあるから、大丈夫。


「おはようございます」


 定時刻に出社。



*



「最近雨ばっかりで気が滅入るわあ」

「ほんとー! なんか天気、おかしいんだってね。今の時期にこんなに雨が降る事ってあんまりないんだって、テレビで言ってた」

「ね。早くランチ行こ。混んじゃう」

「あ、倉田さん。電話、お願い出来る?」


 私は華やかな一団を振り返り、笑って頷いた。

 すると矢崎さんがお財布を持ったままの手を、ぶんぶんと振ってくれた。


「いつもごめんねえ。メルバースのプリン、買ってくるから!」


 朝会社へ行く途中で寄ったコンビニのおにぎりをもそもそと食べる。本当は、お弁当を作って持って来た方が安上がりなのだけど、やっぱりこっちの方が楽なんだ。

 人が減ったお昼時のフロアは、しんと静かでほっとする。クレジット系関連会社の三階、事務フロア。

 今日は皆出払っていて、沈黙するパソコンの林の中でただ一人、ぽつねんとおにぎりをもぐもぐ食べている。

 ごおおお、と音がして窓へと顔を向けると、雨がまるで滝のように流れてゆくのが見えた。それに風が出て来たようで、ここから見える木々の緑が、ぶおんぶおんと左右に大きく揺れている。

 うわあ、暴風雨。矢崎さん達大丈夫かな。


「ねえ」


 風と雨と、パソコンのぶおおお、という音しか聞こえないフロアに声が響いた。

 私はおにぎりを両手で持ったまま振り返って、そして、息をのんだ。


 フロアの入り口に男の子が佇んでいる。


 驚いて勢い良く立ち上がった。

 男の子は事務所の内側にいる。もちろんだけど、ここは関係者以外立ち入り禁止だし、パスがなければ入れないようになっているはず……。


「ねえ」


 男の子は私にじっと視線を合わせて、なおも話しかけてくる。勇気を振り絞って、小さく声を出した。


「あ、あの……ここ」

「どうして君がそれを持ってるの? おかしいなあ……」


 え?


 その言葉にますます混乱してしまい、呆然と相手を見つめた。

 男の子はとても綺麗な顔をしている。ストレートの短髪は茶色で、とっても柔らかそう。色白の肌に大きな黒目。灰色のパーカーにジーンズ。十四、五歳くらいだろうか。身長は、ええと、私よりも低い。両手はパーカーのポケットに入っている。

 私は両手で持ったままの食べかけのおにぎりにちらりと視線を投げた。


「お、おにぎり?」


 ふふ……。

 男の子が笑った。

 あ、可愛い。


「違う。珠だよ。真っ黒の」


 ぞわ、と全身に緊張が走る。


 ……え?


 プルルルルルルル。


 びくりと肩が震えた。

 机の上にある電話機が、一斉に外線ランプを点灯させた。

 慌てて席へ戻りおにぎりをコンビニの袋の上に置いて、受話器を取り上げ通話ボタンを押す。

 条件反射のように社名を告げながら、フロアの入り口を振り返る。


 無愛想なグリーンの壁。フロアを仕切るパーテーションが見える。

 そこに、男の子はいなかった。








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