8 婚約破棄宣言
ロシュフォール家の騒動から程なくして、建国記念パーティーが開かれた。
国中の貴族が集まり、今までの苦労とこれからの更なる繁栄を共に分かち合う。
それぞれの家の当主が王族に挨拶をする中、思わぬ人物が代表として挨拶をした。
ロシュフォール家は当主でも、継嗣のアランでも無い。
存在感が無く、重要視されていなかったニナ・ロシュフォールがやってきたのだ。
「王国の太陽にご挨拶申し上げます」
そう言って、深々と挨拶をした彼女は、今まで見たことの無い姿だった。
毅然として風格があり、背筋をまっすぐと伸ばして王族を見ている。
今までは兄のアランの影に隠れて、どんな顔をしていたのかさえあやふやな者が多かった。
けれど、こうして脚光を浴びてみれば彼女がとても魅力的な人間だとわかる。
整った顔立ちに、彼女の魅力を引き立てるメイク。
ドレスは流行に左右されず、彼女自身の体型に合わせたシンプルなもので、それが自身の魅力を阻害していなかった。
当主の代理としては派手に出来なかったのだろう。けれど、ロシュフォール家の家宝であるネックレスを身につけていることで面目も表している。
場と状況に合わせた対応は、その世代の令嬢としては珍しいものだった。
年頃の貴族令嬢なら、着飾ることに注力をする。けれど、彼女は抑えるところと派手にするところが的確だった。
もちろん、背後には彼女を指導したものがいるだろう。
けれど、継嗣でも無い貴族令嬢が代理で出てきているということは家自体が混乱しているということだ。
満足にバックアップが得られていないことは予想されたが、ニナ・ロシュフォールの姿はそれを感じさせない。
彼女自身の力でここまでやってきて、適切な対応が出来ているということだ。
ロシュフォール家のお家騒動に関心を寄せる声と、ニナという新星の誕生に興味を引かれる声の二つが大広間を満たしていた。
だが、その雰囲気は長くは続かなかった。
楽団が音楽を奏で始め、ファーストダンスの時間になった。
初めに踊るのは本来であれば王と王妃だが、体調が悪いとのことでその役目は王子であるミカエル・ド・フレーが踊ることになる。
そして相手は学園で出会い、異例の男爵家から王族と婚約したクララ・パスカル。
ミカエルが彼女の手を取り、クララが頬を赤らめて中央に登場した。
学園を卒業し、王としての道を本格的に歩き始めたからだろうか。ミカエルは今までと違う空気を出していた。
王族の色に着られているといった印象があったが、今ではそれが身について着こなしている。
よく見れば、原色に近い緑だったが今はそれよりも淡い色を着ているようだ。
だが、一部には元の色を使っているので、全体の色の印象としてはあまり変わらない。
顔に近い箇所には使わないことで、ミカエル自身がよく見えるようになった。
彼は柔和な顔立ちをしているので、王族が使う原色緑だと印象が負けてしまっていたのだ。
そして、今までの品行方正を表したような髪型も一新し、前髪を上げて少し大人の雰囲気も出している。
老年の貴族達は、学園を卒業したことで風格が出たと喜び、同世代の貴族令嬢は「王子様ってあんなにかっこよかった?」と顔を赤らめている。
その中で異例の感想を持っているのがニナだった。
(……かっこよすぎる!!!!!!!)
(さすがミカエル!!!やっぱりその髪型似合ってるしスタイリングも最高!)
(推しのビジュが、国の重要行事っていう外しちゃいけないとこで最高に整ってるのって誇らしいよねぇ~!!!)
ミカエルの姿に満足し、周りのうっとりと見つめる目に更に満足していた。
そして、ほんの少し寂しさも感じていた。
ミカエル改造計画はもう終盤だ。昨日まで自分の準備と合わせてミカエルや王城付きの衣装係や髪結い師と試行錯誤を重ねてきた。
ニナがあれこれと提案し、それを皆で試していく。
時に困惑していたミカエルも、最後の方は自分でアイデアを出して、またそれがセンスが良く皆を感動させた。
彼自身、国有数の優れた調度品や美しいドレスを見たり、他国の王族との交流で世界の流行の先端を知っている事もあり、美しさに関する感度は高かったのだ。
本人と関わる人すべての思いの結晶が今日のミカエルだった。
これからは彼と関わることも無くなっていくだろう。
ミカエルは優しいが王族としてドライに振る舞うところも忘れていない。
国がその双肩にかかっているのだ。
自分の婚約者と不貞をした家とは遠ざかるだろう。
それはニナも含めてだ。
ニナは、自分の行く末を考えていた。
公爵家なので貴族籍の返上までは行かないだろうが、爵位は下がるかもしれない。
そんな家に寄ってくる者はいないだろうから、これから徐々に没落をしていくだろう。
転生したとはいえ、今の自分はニナ・ロシュフォール。
領土に住む人々を苦しめる訳にはいかないから、自分の出来る範囲で尽力するつもりだ。
前世のブラック企業勤めのように馬車馬のように働くのだろうか。
……結局、自分の性分なのかもしれない。
今日の装いだって、自分のことをないがしろにしてきたロシュフォールの家格なんてどうでもよければ、工夫の無い平凡なドレスで来たってよかった。
けれど、結局は努力してしまったのだ。
なんだかんだ動いてしまう。
文句も言わず、スマートに出来るのが一番なのは分かっている。でも、文句や不満をためながらも馬車馬みたいに働くのもまた自分なのだろう。
期待されずに放っておかれたニナのことを思う。
ぬるま湯の中で飼い殺された彼女は、領土経営に興味を示していたけれど、誰も彼女にそれを求めていなかった。
期待されない自分に悩み、落ち込んで、一人泣いていた寂しい記憶。
一方、ブラック企業勤めの藤川 明日香は、出来れば働きたくなく、のんびりと暮らしたいと思っていた。
周りに不満をためて、ゲームの世界に逃げ込んだ。まさか本当に入り込むことになるとは思わなかったが。
隣の芝生は青いというけれど、もし彼女に会うことが出来れば言ってあげたい。
卑下している自分が、何かをつかめることだって在るかも知れない、と。
ニナとして、明日香として生きていく。
これから忙しくなるな、なんて意識を飛ばしていた時だった。
大広間の中央でミカエルが衝撃の一言を口にする。
「皆に聞いてもらいたい。今日私とクララ・パスカルは婚約を破棄する」