6 毒家族との決別
「どういうことだ!なんで二人であんなところにいた!?」
ロシュフォール家に帰ってきてから、アランは怒鳴り声を上げた。
貴族として感情の抑制をしつけられてきた彼が声を荒げる姿を見せるのは子供の頃以来だろう。
何事かと、使用人達が集まってくる。
ロシュフォール家での序列は圧倒的にアランの方が上だった。
使用人達の間でさえ、ニナはやがて嫁ぐ身として、そこまで機嫌を伺う必要がない存在と思われていた。
そんなニナが次期党首であるアランを怒らせる姿は見たことがないので、集まってきた者達もざわついている。
そして、使用人達は別の意味でも驚いていた。ニナはいつも存在感がなかった。両親の操り人形のようだとも影で評されていたが、今の彼女は意志を持ってまっすぐと兄を見据えている。
そして、その視線には侮蔑の色が浮かんでいた。
「お兄様こそどういうつもりです?王太子様の婚約者と二人で街に出るなんて。誤解されてもしょうが無い行為です」
「誤解?僕と彼女は不埒な関係では無い。そんな失礼な目で見るのはやめろ。どうせ勉強もせずにくだらない本を読んでいるからそのような目で見るしか無いのだろう」
おそらく、アランが言っているのは平民達の間で流行っている恋愛小説だろう。
ゲームの中で出てきて、クララがその本に習ってアランとデートをするシーンがある。その小説でデートとは何をするか?を二人で学びながら、恋愛初心者同士の初々しさを楽しむというルートだ。
実際には、この世界のクララは5又をするような恋愛強者だったが。
ニナはアランに問いかける。
「その小説はクララ様も読んでいたのでは?」
「クララは別だ。彼女はやるべきことをやって趣味として楽しんでいる。……小説の内容は、国の未来を背負う者達の恋物語だそうだ。そこに、お前のような他家に嫁ぐだけしか能が無い者は出て来ない。……自分の身の程を知って、『脇役』として生きて、私の邪魔はするな」
『脇役』ね。
まさか登場人物からそんなことを直接言われるなんて、とニナは自嘲気味に笑ってしまう。
それをふざけた態度と捉えたのか、アランは更に声を荒げた。
「なぜ笑っている!?ふざけているのか!?」
屋敷中に響いたのだろう。奥から両親達がやってきた。
「帰ってきてそうそう、何の騒ぎだ?ニナ、淑女として問題を起こすな」
「どうしたの、アラン。この子が何かしたの?」
父親も母親も、当然のようにアランの側につく。家の中で、一対三の状況にニナはいつも受け入れていた。
けれど、ここにいるのはニナ・ロシュフォールではない。藤川明日香としての記憶も持っている。
貴族社会だけでは無く、いろんな家族の形があることを知っているのだ。
彼らは、明日香の世界では毒親とも呼ばれるだろう。
そんな彼らに卑屈になる必要も、親愛を求める必要も無かった。
「私から説明します。お兄様が王太子様の婚約者と二人で街で会っていたので、不敬に当たると思い、引き離してきたのです」
ニナの説明に、その場がシーンとなる。
両親はアランを溺愛しているが、生粋の貴族。我が子可愛さよりも、叩き込まれた王族への忠誠に背く行為をしていることの驚きが勝った。
「ア、アラン!本当なの?」
動揺する母親の問いに、アランは親をなだめるように答える。
「学園の同級生として街を散策していただけです。私たちの仲は殿下もご存知ですから、今更疑うようなことはされませんよ。……むしろ、こうして騒ぎ立てるほうが不敬だ」
その言葉で、非難の視線がニナに向けられる。
この場の主役……アランの言葉に踊らされているが、ニナはその空気を読まなかった。
「正気ですか?お兄様。今までならまだしも、クララ様はすでに王太子様と婚約をされている身。学園内では貴族の爵位などは不問とされてきましたが、今は話が違います。お兄様の行動は不敬罪と取られてもおかしくない。……というかですね、それだけじゃないですよね?」
ニナの問いかけに、身に覚えがないのかアランが首をかしげる。
「何のことだ?」
ニナはじっとりとアランを見つめて言った。
「婚約披露パーティで、クララ様と二人で愛を語り合っていたでしょう」
その言葉に場の空気が氷ついたのがわかった。
アランは動揺して声を荒げる。
「な、何のことだ!」
「お互い愛を囁き合っていたではありませんか」
「盗み見ていたのか!?」
「そんなことはしていません。誰でも見えて聞こえてしまうような場所で話していたでしょう。それが聞こえてしまっただけです。テラスの下で話していたでしょう?」
思うところがあったのか、アランから勢いが無くなる。
母親がうろたえながらも言った。
「ニナ、もうこの話は終わりにしましょう。あなたが黙っていればこれ以上の騒ぎには……」
「お母様。『誰でも見えて聞こえてしまう』と言ったでしょう。……私と一緒に聞いていた方がいらっしゃいます」
ニナは目線をアランに見据えて、正面から言った。
「ミカエル殿下もその場にいたのです」
その場がシーンと静まりかえる。
父親は目を見開いて、母親は卒倒しそうになっていた。
当のアランは衝撃を受けた後に、目を閉じ……そして何かを決意した表情を浮かべた。
「そうだったのか……父上、母上、私はクララと共になります!」
アランの宣言に、今度こそ母親は倒れた。
「……何を言っているんだ」
父親のつぶやきに、アランは何かに陶酔したような表情で答える。
「クララとは真実の愛で結ばれているのです。王太子と結ばれることになったけれど、彼女の心は私にあるんだ。私は真実の愛を守りたい……!」
完全に頭がお花畑だ。自分が悲恋の主人公だと思っているのだろう。
周りを見れば、なぜかその空気に飲まれて感動している者すらいる。
「アホか」
ニナの呟きが、その空気を断ち切った。
「アホだと!?お前ごときが私のことを」
「だまって聞け、浮気野郎」
アランの言葉をニナは遮った。
このままアランの独壇場にしていては話がすすまない。今までのニナだったら兄の話をさえぎるなんてことはしなかった。
それに、浮気野郎なんて言葉を兄に向けるなんて。
あっけにとられている父親に、ニナは言った。
「お父様。当主としての決断の時です。ロシュフォール家の継嗣が王太子様の婚約者に手を出した。これは家の存続にも関わります」
父親はその言葉にビクリとして、アランを改めて見つめた。
彼の目には、愛おしい自慢の息子が写っているのだろう。
けれど、今この瞬間、目に迷いが見えた。
ニナは追撃する。
「ミカエル殿下が王となったときに、自分の配偶者と浮気する者を近くに置くでしょうか?そんなことはしないはず。なにか理由を付けて距離を置かれるでしょう。そのときにお兄様が当主となっていたなら、それはすなわちロシュフォールが王族と距離が出来てしまうということです」
建国以来、四大貴族として仕えてきたロシュフォール家が、自分の息子によって家格が下がるかもしれない。
それは貴族の人間として生まれたのなら、耐えがたいほど恥ずかしいことだった。
父親は意を決したのか、アランに言った。
「アラン、お前は暫く謹慎だ」
「父上!?」
「お前に選択権は無い!」
言い争う声で目が覚めたのか、母親が使用人に支えられながら口を挟む。
「あなた!アランは悪気があってのことではありません。誤解を解けば……」
少しでも息子を弁明したいという思いが再びもたげたのか、父親は先程までの決意がブレる。
「……説明はしなければならないな。謹慎が明けたら、弁明をしに行こう。殿下はお優しいから、誤解と分かれば」
「誤解などではありません!私とクララは互いに思い合っているのです!」
わめく声がホールに渦巻いて、最後にニナの大声が鳴り響いた。
「どこまでミカエル殿下を舐めてるの!?」
ニナは三人を睨み付けた。
「誤解?愛し合ってる姿を見てるって言ってるでしょ。それを誤解なんて言いくるめられる訳がない。それが出来ると思っているなんて、どれだけミカエル殿下を舐めているの」
それに怖じ気づいたが、一番最初に持ち直したのはアランだった。何か反論しようとしたが、口を挟むことはさせない。
「それに、誤解があるのはあなたの方よ。クララ・パスカルはね、あなただけに愛を囁いていたわけではないの。モーリス・ボーヴォワール、ジャン・スアレム、ミシェル・ラコスト……この三人にも同じ台詞を言っていたわ」
それが信じられず、アランは呆然とする。口から漏れ出るように、呻いた。
「嘘だ」
ニナは口の端をつり上げながら答えた。
「嘘じゃ無いわよ。言葉もまったく同じ。台詞も使い回し」
「そんなこと、信じない」
「あんたが信じるか信じないかなんて関係無いのよ。事実、言っていたんだから」
「でたらめだ」
言葉は怒りを含み始め、アランはニナを睨み付けていた。
「家の為に結婚するしか能の無い奴が!俺に嘘を!」
怒りが発散できず、ついにはニナを嘲る言葉を吐き出す。
それを聞いて、両親はアランをとがめる事もしなかった。
信じられない事態で頭が追いついていないとはいえ、ニナ自信の尊厳を誰も心配していない。
もう、この家族は駄目だ。ニナが生きる場所ではない。
ニナは覚悟を決めた。
「私は今現在、ミカエル殿下と話をする機会を持っています。そこで、お兄様の過ちを謝罪します。……お兄様の廃嫡と、お父様、お母様の隠居を手土産として」
衝撃の言葉に、三人は過去最大級に動揺した。
「な、何を言って」
「そんなの許される訳が」
「あり得ない」
口々に言う三人に、ニナは威圧感がある声で宣言した。
「選択権は無い!王太子様の婚約者と浮気した馬鹿者と、それを育てた馬鹿親の責任はそれしか取れない!!」
アランは震えながら言う。
「お、お前はどうなんだ!自分だけが逃れようとするのか!」
ニナは静かな声で答えた。
「私はミカエル殿下次第よ。ロシュフォールが生まれ変わる姿を見せて、それが納得されなかったら平民になる覚悟だってある」
「へ、平民?嘘だろう……」
考えてもいない未来が現れたことで、アランは頭を抱える。
両親もへたり込んでいた。
ニナは良く通る声でホールに宣言した。
「今より、私、ニナ・ロシュフォールが当主代理として動いていく。……舐めた真似する使用人達も一掃するから、今のうちに次の仕事を見つけておきなさい。紹介状は書かないから」
その言葉で、ホールに悲鳴と嘆きが響き渡った。