2 推しをプロデュース
パリンという音が小さく響き、ニナの手に持ったグラスは鋭利な輝きを見せる。
この手すりからジャンプして、クソ野郎二人に飛びかかれば確実に抹殺出来るだろう。
ニナはドレスをたくし上げて、手すりに足を掛けた。……が、それはミカエルに慌てて止められた。
「何をする!?自殺する気か!?」
ミカエルの問いに、ニナは覚悟を決めた目で答える。
「いいえ。ロシュフォールのクズを始末しに行くだけです。大丈夫です。しくじりません」
「そうではなくて!君の命にかかわるだろう!」
ギャアギャアともめていると、下の二人が騒ぎに気がついたのだろう。そそくさと去っていくのが視界の隅に入った。
ニナは力が抜けて、そのままミカエルとともに倒れる。
「大丈夫かい!?」
「……取り逃してしまいました」
悔しそうな表情を浮かべるニナに、ミカエルは穏やかに話しかける。
「……気にしなくて良いさ。クララの心が私に無いことは薄々分かっていたから」
ミカエルの表情に、寂しさの色が差した。
それはゲームの中では見たことのないものだった。
いつも微笑んで、感情を崩すことが無かったミカエル。
あぁ、生きてるんだ。
ニナは思わずミカエルのことを抱きしめた。
「この世界で一番輝かしいあなたの魅力がわからないなんて馬鹿です!」
心の叫びが漏れてしまった。
ゲームの攻略対象としても、この世界に生きる人間としても、彼は貶められるような存在ではなかった。
国の為に自分の人生をすべて捧げ、『王』となるべく育った人間だ。
帝王学や政治学、あらゆる知識を詰め込まれ、礼儀作法もたたきこまれ、完璧を求められたミカエル。
けれど、彼にだって人間らしい一面もある。
先程のパーティーでも、主人公が攻略対象達の中で笑う姿を見つめる目の中に一抹の寂しさがあった。
その多くのベールの中の彼は、優しく穏やかで、そして年相応に傷つく青年だった。
前世のゲームを通して、そして今世で直接見た姿と、二つの視点を併せて見たニナにはわかる。
他の攻略キャラクター四人のように素直に笑うことも怒ることもできない。行動だって制限される。
だから、感情豊かな彼らに比べて、ミカエルは『つまらない』とされる。
それがいじらしかったし、悔しかった。
ニナは衝動のまま言葉にした。
「ミカエルの良さは私が知っています。あなたは優しくて、思慮深く、愛されるべき人です」
気がついたら、涙があふれていた。
抱きしめた手から伝わる彼の温かさが余計にそうさせたかもしれない。彼は生きていて、ちゃんと傷ついている。『攻略対象』なんて呼ばれる存在じゃ無い。
ミカエルが静かに息を吐いたのが伝わった。張り詰めた体から力が抜けていくのが伝わる。
彼が小さく囁いた。
「ありがとう」
それが耳元で聞こえ、恥ずかしさから思わず後ずさる。
突然動いたニナにびっくりしたミカエルが、ぱちくりと目を開いた姿が見えた。
(可愛い……じゃ、なくて!)
自分のした行動に、ニナは今更青ざめる。
一国の王子を抱きしめるなんて!それも、「あなたの良さを知っている」なんて上から発言まで!
ニナの生家、ロシュフォールは公爵家で高位貴族だが、だからと言って王族にそんな口を利いていいはずがない。
冷や汗をダラダラと垂らしているニナの様子を見て、ミカエルはくすりと笑った。
「このバルコニーは無礼講の場としよう。私も恥ずかしい場面を見せてしまったしね」
そう言って、ミカエルはバルコニーの手すりに寄りかかり、月を眺めた。
その横顔が儚く、ゲームでは見たことの無い表情だった。どこか寂しげで影がある。
さっきの驚いた顔だって、スチルにはない。
どれも魅力的で、ますますミカエルが好きになる。
落ち着きを取り戻したニナは、改めて思ったことがある。
……彼の魅力、ちゃんとゲーム制作スタッフわかってなくない?
いや、彼はそのゲーム制作スタッフが作ったのだから、「わかってない」はおかしいが。
正統派王子キャラとしてミカエルを作ったのだろうが、『王子』に甘えてキャラの掘り下げ出来ていないのでは無いか?
こうして、色んな面をちゃんと見せてくれたら、もっとファンが増えたのでは無いか?
思い至ったらもう駄目だった。
今までだって散々無礼を働いた。何なら兄がミカエルの婚約者と浮気をしたのだ。
もう怖い物はない。
そして、この時ニナはかなり酔っていた。
立て続けに見た主人公の浮気現場を見た怒りや、ミカエルとの時間に感情の起伏はジェットコースターのようだった。
それによって血が巡り、思ったよりもワインの酔いが回っていたのだろう。
酔って大きくなった気のまま、突き進む。
ニナは月明かりに照らされたミカエルにひざまずいて懇願した。
「どうか、あなたをプロデュースさせてくれないでしょうか?」
「ぷ、ぷろでゅーす?」
「片言可愛い……ではなくて、私にミカエル様の魅力を引き出す手伝いをさせていただきたいのです」
ミカエルは再び大きく瞬きをした。
「魅力を?」
「はい。ミカエル様は完璧ですが、それ故にミカエル様自身の魅力が伝わりづらいのかもしれません」
ものすごく不敬な発言だが、それをミカエルは面白がってくれたようだ。
くすりと笑いながら、ニナに訊ねた。
「そうか。どう手伝ってくれるのだろう?」
「まずはスタイリングの変更を。もっとミカエル様の美しさやかっこよさを引き出すものがあるはずです。あとは、『隙』を作って見るのもいいかもしれません」
「隙?」
「ミカエル様は完璧ですが、それ故に『王子』という枠外のものが分かりづらいのかも知れません。驚いた顔がこんなに可愛く、物憂げな横顔はあんなに美しいのに!」
どストレートに褒められたことが無いのだろう。ミカエルは照れて思わず口元を手で覆った。
「そして、主人公を後悔させてやりましょう!二度と浮気なんて考えないように!」
「しゅ、主人公?」
ニナは手を突き上げた。まるで闘士のような勇ましい姿だった……が、そこまでだった。
明日香は成人をして、ストレス解消のお酒は日常茶飯事だったが、ニナはこの日が初めてだった。明日香と違って、ニナは体質的にアルコールに弱いらしかった。
ジュースのようなものだ、と飲んだワインで限界を迎え、気がついたらニナはその場に倒れていた。
慌ててミカエルが駆け寄り、地面に頭をぶつけるすんでのところで抱き留める。
「ロシュフォール嬢!?……寝てる」
すやすやと寝息を立てるニナを見て、ミカエルは笑いがこらえきれずに吹き出してしまう。
「今日はあらゆる驚きがあった日だな。……まずは、彼女をどうにかしなくては」
ミカエルはニナを抱き上げてバルコニーを後にした。




