第7話(了)
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ライラが目を覚ますと、すでに夜になっていた。
「……えー……?」
あまりの事に呆然としていると、「起きたのか」と声がかけられた。
「ずいぶんよく寝ていたな。世話役には伝言しておいたから、心配するな」
「ええと、ええと、わたし、どうしてここに」
「どうしても何も、お前が俺の部屋を訪ねてくるのは日常茶飯事だ」
それは確かにそうだったので、ライラは素直に納得した。
ガルゼルは寝台に腰かけて、何やら書類をめくっている。
「いつもの机でお仕事は?」
「そう思ったが、こんな状態ではな」
ガルゼルに左手の小指を見せられて、一気にライラは覚醒した。そうだ。そうだった。
「あ、あの、わたし、ルーさまにお話が」
言った後で、「違った、ガルゼルさま」と言い直す。ガルゼルはわずかに目を見張った。
「……どうしてその名を」
「ええと、そろそろ呼び名を変えないとって言われて。ルーさま……ガルゼルさまのご迷惑になるから」
「要らん。元に戻せ」
「え、でも」
「俺がそうしてほしいと言った。戻せ」
前のままでいいとガルゼルが告げる。ライラはぱっと笑顔になった。
「分かった、ルーさま!」
「それで、これはなんだ」
改めて聞かれ、ライラは顔を赤くした。よく考えたら、ガルゼルが目を覚ました後の事はまったく考えていなかった。
「ええと、ええと、庭で知り合った女の人に、赤い糸の話を教えてもらって」
「女の人?」
「可愛くてきれいな女の人です。二十歳くらいで、黒髪に黒い目をした人」
「心当たりはないが……新しい女官か?」
「その人に、赤い糸の話を聞いたんです。それで……それで、わたし、ルーさまにもそれがあればいいなと思って」
もじもじと身じろいだが、ガルゼルは訳が分からないという顔だ。それもそうだろう。人間の国の伝説を、獣人である彼が知っているはずもない。ちなみに、ライラも知らなかった。
「人間の国には、赤い糸があるんですって。その両側に、運命の人がいるって言ってました。それはね、番とはちがうんですって」
「――――」
「だからね、赤い糸なら、ルーさまにもあるかもしれません。そうしたらきっと、ルーさまも寂しくないでしょう?」
そう言うと、ガルゼルは大きく目を見張った。
「あのね、ルーさま。わたしは子供だけど、大人の話も聞いてます。だからね、ルーさまのことも聞きました。詳しい話は知らないけど、番を失ってしまったって。それはすごく悲しくて、とっても辛いことだって」
「ライラ……」
「でもこれがあれば、ルーさまは幸せになれるでしょう?」
笑いかけると、ガルゼルは呆然とした顔をしていた。
何か言いかけてやめ、口元を押さえた後、両手で顔を覆ってしまう。その鼻先に赤い糸が触れて、彼は弾かれたように顔を上げた。
「……この匂いは……」
「そうだ、その女の人から伝言です。『幸せになってください』って」
「……!」
「どうか、幸せになってください。私はそれを願っています。……そう言ってました」
ガルゼルは言葉もなくそれを聞いていた。
何度か胸を喘がせて、食い入るように赤い糸を見る。小指ごとそれを握りしめ、彼は肩を震わせた。
「……そうか……」
そうだったのか、と。
その目から涙が伝い落ち、赤い糸を濡らしていく。
赤い瞳に映る、赤い糸。涙で濡れたその色が、息を呑むほど綺麗だった。
「……お前に、話しておかないといけないことがある」
「なんですか?」
「長い話だ。俺がどうやって番を見つけ、どうやってそれを失ったのか。お前には少し早いが、いつか聞いてほしい」
「いいですよ、ルーさま」
ガルゼルの膝に飛び乗り、ライラは彼に笑顔を向けた。
「わたしが全部聞いてあげます。だって赤い糸ですから」
「そういえば、お前が糸の先にいるのは問題ないのか?」
「えっ……ええと、ええと、もちろんですよ!」
ふんっと胸を張ると、ガルゼルはぷっと噴き出した。
赤い顔に気づかれてしまっただろうか。だとしても、それくらい構わない。
この人が幸せになるためなら、なんだってしてあげたいのだ。
赤い糸が結ばれた指を、ライラは彼の小指に絡めた。
いつか、これが本物になるといい。
今は無理だと分かっている。けれど、いつか――きっと。
わたしはこの人の番になりたい。
違う。番でなくても構わない。この人を幸せにしてあげたい。
この人の寂しさを埋めて、空っぽの穴をふさいで、悲しみを全部消してあげたい。
この人のすべてを抱きしめてあげたい。
わたしはこの人の、最愛になりたい。
――だからどうか、ルーさま。
その時は、どうか幸せになってほしい。
了
お読みいただきありがとうございました!
*ブクマありがとうございます。世話役の女性は、以前監督役の女性だった人です。使用人の大掛かりな入れ替えのため、世話役となりました。
*これにて完結です。お付き合いいただきありがとうございました!