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第4話


    ***



 その日から、ライラはガルゼルの番について調べ始めた。


 その結果、分かった事がある。

 ガルゼルの番は十六歳の人間の少女で、黒い髪に黒い目をしていた。


 今は二十歳を超えているはずだが、正確な年齢は分からない。何せ、当時を知っている人間がいないのだ。彼女がいなくなった正確な年も分からない。名前も、顔立ちも、何もかも。


 素性も分からないし、どこへ行ったのかも分からない。

 お手上げだ、とライラは思った。


 でも、あきらめるわけにはいかない。これはガルゼルに必要な事なのだ。

 そう思って聞き込みをしていたら、ひょんなところから手がかりが見つかった。というよりも、向こうからやってきてくれた。


「何をしてるんだい、あんたは」


 呆れた口調で言ったのは、世話役の女だった。


「あちこちで主人のことを聞き回って。こそこそしてるんじゃないから、悪いことじゃないだろうけど」

「あれ、内緒だって言ったのに」

「誰が内緒にするもんかね。あんたが何か企んでいたら、国王に危険があるだろう」

「そんなことしない!」


 慌てて首を振ると、「分かってるよ。バカだね」と呆れた顔をされた。


「ほんとにうっかりだね、この子は。あんたを怪しんでたら、誰がこうやって言うもんかね」

「あ、そうか」

「まったくもう。髪と目の色は同じなのに、あの子とは全然違うよ。あんたは」


 つけつけした口調とは裏腹に、彼女の声はやさしかった。


「あの子って、前に話してくれた女の子?」

「ああ、そうさ。おとなしくて、泣き虫で、すぐにでも折れちまいそうなのに、妙なところで芯がある。気が弱いのに、肝心のところでは揺らがない。そうさね……変わった子だったね」


「もう会えないって言ってたけど、どうして?」

「この城を出ていっちまったからさ。ここからずっと遠くの国へ行ったから、もう帰ってこないだろう。国王もそれは知ってるよ」

「ルーさまが……」

「それから、その呼び名」


 びしっと世話役の女が指をさした。


「あんたもそろそろ十二になる。いい加減、ちゃんとした名前で呼ぶ練習をおし」

「えー、でも……」

「口答えをするんじゃない。いくら国王が許しても、けじめってものがあるだろうさ」


 世話役の女の言う事には一理ある。

 だけど、この呼び名をライラは気に入っている。

 嫌だなぁと思った気持ちが顔に出たのか、世話役の女ににらまれた。


「ほら、その顔! 城の人間なら、自分の表情を取り繕えるようにしておおき。何があっても、涙を見せないでいられるように」

「はぁい」


 結局のところ、彼女が間違っていた事を言ったためしはないのだ。

 だから今回も、ちゃんとした呼び名の練習をしなければいけないだろう。


 あまり気が乗らなかったけれど、ガルゼルを別の呼び名で呼ぶのは嫌じゃない。そう思い、ライラは素直に頷いた。






 ガルゼルの部屋に行くと、彼は珍しく眠っていた。


 机には相変わらず、山積みの書類がたまっている。

 あれ全部に目を通すだけでもげんなりするのに、それを読み解き、あるいは指示し、ある時は裏があると嗅ぎ分ける。考えただけでも頭が痛い。


 ある程度は部下に割り振っているようだが、彼が絶対に人任せにしない仕事があった。そのひとつが番を偽る香水の根絶であり、もうひとつが虐げられていた「番」の保護だ。


 特に後者は、何があろうと優先する。おかげで現在、この国で間違われた番がひどい目に遭う事はなくなった。


 ライラのような例外はあるが、それも根気よく潰している。

 最初に会った日も、番を虐げていた獣人の存在を聞きつけて、それを解決してきた帰りだったそうだ。


 寝台で眠るガルゼルは、普段よりも少し幼い。

 二十歳はとっくに過ぎているはずだが、今は何歳なのだろう。三十前には見えるけれど、獣人の年齢は分からない。もっともガルゼルなら、四十でも五十でも構わない。ライラにとって、彼は今でも英雄だ。


「ん……」


 ライラの視線にも気づかぬ様子で、ガルゼルがわずかに身じろいだ。

 世話役の女曰く、これは相当に珍しいそうだ。ガルゼルはライラ以外の誰かが部屋に来ると、飛び起きてしまうそうだから。


 けれど、そんなのに優越感を覚えるよりも、ガルゼルの様子の方が問題だった。

 彼は苦しげな顔で、誰かの事を呼んでいた。


「……って、くれ……たのむ」


 どうか、どうか。


「行かないでくれ……。俺は……ずっと」


 悲痛さをにじませた、かすかな声。


「頼む……。……イ、ナ……」


 閉じた目から涙がすべり落ち、浅黒い肌を濡らす。たまらずにライラは駆け寄った。


「大丈夫です、ルーさま」

 日に焼けた手を取っても、ガルゼルは目を覚まさなかった。


「どこにも行きません。ルーさまのおそばにいます」

「俺は、お前に……ひどいことを」

「ルーさま、大丈夫。大丈夫です」


 何が大丈夫なのか分からないまま、ライラは懸命に語りかける。


 夢の中のこの人に届いたらいいのに。その分だけ、ライラが悪夢を引き受ける。どれだけ怖い夢を見たって構わない。だからどうか、神様。


「ルーさま……ガルゼルさま」


 その時、ガルゼルの様子が変わった。

 ライラが握っていた手に力がこもり、握り返したのだ。はっとしてライラは息を呑んだ。


「そこに……いるのか……」


 夢とも(うつつ)ともつかぬ声。だからライラは頷いた。


「大丈夫です、います。ルー……ガルゼルさま」

「ああ……そうか……」


 そうだったのか、と呟く声。


 うっすらと目が開き、赤い瞳がライラを捉える。

 黒い髪と黒い瞳。それを見て、ガルゼルは安心した様子で目を閉じた。


「お前の髪と目は……相変わらず、綺麗な色だ」

「…………」

「そうか……夢だったのか」


 全部夢だったのか、それならよかったと、ぼんやりした声で繰り返す。今も夢の中にいるのかもしれない。たまらなくなってライラは答えた。


「そうですよ。だから、安心してください。わたしはずっと、ガルゼルさまのそばにいますから」

「ああ……分かった」


 そう言うと、ふたたび眠りに入ったのか、ガルゼルが深く呼吸する。震える手を離し、ライラはそっと息を吐いた。


 ――この人は、今でも忘れていないのだ。


 后なんて選べるはずがない。失った番以外、誰も欲しくはないのだから。


 誰か、この人を救ってほしい。

 過去の出来事から解放して、この人を自由にしてあげてほしい。


 以前に何があったのか、ライラには分からない。もしかしたら、彼は許されない事をしたのかもしれない。王座を失うくらいだから、きっと小さい事ではないのだろう。


 それでもどうか、許してほしい。


 彼のしでかした事の半分、ライラが引き受けると誓うから。憎まれるのも、恨まれるのも、ライラが半分背負うから。何度だって謝るし、土下座しても構わない。償い切れない事柄なら、一生だって償い続ける。


(だから、どうか)


 このやさしい人を、どうか助けて。


 どうか――どうか、神様。


 この人に番を返してください。

 もう一度だけ、彼を幸せにしてください。


 ライラの初恋なんて、叶わなくたって構わない。

 この人が幸せになるためなら、全部差し出してみせるから。


 だから、だから、どうか。


 ライラの目から涙が落ち、床を濡らした。

 声を殺してしゃくりあげながら、ライラはひたすら祈り続けた。

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