可変
着替えを終えた千金楽は湯屋を後にする。
ひやりとした空気が濡れた肌に触れ、鈍い提灯の明かりがわずかに揺れていた。
からんころん、ちりん。
「おっ」
声がして視線を向けると、腕を組み壁に寄りかかるように立つ男がいた。
「さっきぶりだな」
「……」
千金楽は一瞬だけその男、篁鈴を見てそのまま視線を外す。
「俺さ、待ってたんだけど」
「そう」
興味のない返事を返せば篁鈴はそのまま彼女の隣に並んだ。
「で?」
「……何」
「どこ行くんだよ」
「帰るわ」
即答だった。
そんな気がしたと、少しだけ笑う気配がする。
「じゃあ暇なんだな」
「……まあ、そうね」
しばらく並んで歩いていれば、篁鈴は何かを考え出した。かと思えば、千金楽の足元をちらりと見て、突拍子も無く言った。
「あー、じゃあさ、りんにしようぜ」
「……は?」
「名前だよ、お前の呼び名。だってお前教える気無さそうだし」
それ、と千金楽の下駄を指で軽く示す。
「鈴付いてて、りんりん音なるじゃん」
何が楽しいのか篁鈴は満面の笑みでまるで名案だと言うように一人頷く。
「いい案じゃね?俺も名前に鈴が入ってんだよ。鈴同士、俺とお揃いにしようぜ」
「……単純ね、あなた」
「いいだろ、別に!」
「まあ、……好きにすればいいわ」
「なあ」
「……なに」
「飯でも行くか」
唐突だった。
「行かない」
「なんでだよ、暇なんだろ?」
「じゃありんが行きたいとこに俺が勝手についてくわ」
「……好きにすれば」
男のペースに呑まれているのを感じながらも、それでもそれが不思議と嫌な気はしない。いつも1人で行動していた所為か、千金楽は妙な感覚だった。
しばらくして。
千金楽はふと、懐に手を入れた。
篁鈴は何気なくそれを見ていれば、そこから白い面が取り出される。
「ん?」
軽く首を傾げる。
千金楽はそれを、何のためらいもなく顔へと当てた。
白い兎の面が、再びその顔を覆い隠す。
その瞬間、篁鈴の動きが止まる。
「……は?」
漏れ出たかのように男から小さく声が出る。
「おい、ちょっと待て。それ——」
記憶が繋がる。
瓦礫の上。
焼ける音。
慈悲の声。
最後に消えた影。
「……あの時の兎の面」
篁鈴は思わず笑った。
「あはは、お前かよ!」
千金楽は視線だけを向ける。
「なあに」
いつもと変わらない声、たが先より話し方が酷く軽快になった千金楽に余程可笑しいのか、篁鈴は更にくつくつと肩を揺らした。
「いや、なるほどなー」
「……可笑しな子ねえ」
立ち止まって笑っていた男はまた彼女の横に並び直す。
「顔見えねえからか?なんか別人みてえ」
「そう?」
彼女は含みを持って返事を返す。
「それさあ、どっちが本物?」
「どちらでもないねえ」
即答だった。
「あはは」
篁鈴は楽しそうに笑う。
「めんどくせえ奴だなあ」
だが、その声には嫌悪はなく、むしろ彼女の二面性を心底面白がっているようだった。
「まあ、良かったよ。なるほどなあ、合点いったわ」
独りごちるように話す篁鈴に千金楽は、ほんの一瞬視線を横にやる。
「見てたんだよ、あの辺」
その視線に気付いたのか篁鈴もこちらを向いた。
「瓦礫の上からさ」
すっと、僅かに男の目が細くなった。
「……」
「いや、すげえ奴いるなって。りんさ、人間の口、潰してただろ?」
更に鋭くなった視線に、千金楽は前を向いた。
「普通やんねえだろ、ああいうの」
千金楽の手が、ほんの僅かにぴくりと動く。
「……」
「なんであんなことしたんだ?」
責めるでもなく、ただの疑問。
「うーん、理由は無いよ。ただ煩かったからだねえ」
男はガシガシと頭を掻きながら苦笑いを溢した。
「あー。……まあ、そう思っても普通はやらねえわなあ」
「そう?」
「あん時俺、うわあ、あいつだいぶ頭イカれてんなって思ったもん」
「それはどうもありがとう」
「でもそれ見て俄然興味湧いたんだよな」
「……やっぱりあなた、変な子ねえ」
「いや、お前に言われたくねえよ」
男の鋭かった視線はいつの間にか無くなり、またくつくつと笑い出す。
提灯の光の下、二人の影が重なった。
それ以降会話はなく、しかし穏やかな空気が漂っていた。
篁鈴は本当に千金楽に付いていくようだった。
一番街の中層まで上がってくると、空気が変わる。
人の気配が増え、声が重なり合う。
店先には明かりが灯り、行き交う神使や付与者が途切れない。
食欲を刺激する香りが漂う。
焼いた肉。
香ばしい油。
甘い煙。
視線の先に軒先から煙を上げる、小さな飯屋が見えた。
赤い暖簾がひらりと揺れる。
「……」
千金楽は、ふと足を止めた。
「……お腹、空いてるかと思って」
「……は?」
篁鈴が、ぴたりと止まる。
「……あっは!」
次の瞬間、吹き出した。
「なにそれ!俺、なんも言ってねえけど!?」
腹を抱えるようにけらけらと笑う男に、千金楽はわずかに眉を寄せた。
「なに、りんちゃんって気ぃ遣えんの?」
「違うわよ」
間髪入れずに即答する。
「……私が食べたいだけ」
そして間を置いて、付け足した。
「あはは、じゃあ入ろうぜ」
千金楽はそれに答えないまま、暖簾をくぐった。
中は、低い天井に木の卓が並ぶだけの小さな店だった。
火の音。
食器の触れ合う乾いた音。
人の声が、重なっている。
油と、焼けた匂いが漂う。
「いらっしゃい」
奥から声が飛んだ。
千金楽は何も言わず、空いている席へ向かえば、篁鈴は後ろからついてきて、その向かいに腰を下ろした。
「……こういうとこ、来んの?」
「来るわよ」
男の目が僅かに大きく開いた。
「へえ、なんか意外だな」
「なにが」
「もっとこう、……食わなくても平気そう」
「平気よ」
今までには無い、他愛も無い会話がぽんぽんと続くことに、千金楽は不思議な感覚になりながらも返事を返す。
「じゃあなんで来るんだよ」
「食べたいときってあるじゃない」
千金楽が飄々とそう言えば、篁鈴は苦笑いをしながら頬杖をついた。
「やっぱりなんかズレてんだよなあ」
店の奥から、皿がいくつか運ばれてくる。
「適当でいいかい?」
「いいわ」
「任せる」
卓に、皿が置かれる。
湯気が立つ。
焼かれた肉。
汁の染みた飯。
「いただきます」
余程腹が減っていたのか、勢いよく口に運ぶ。
「うっま!」
男の素直な声を耳に入れながら千金楽は口元だけを出すようにお面を少しずらし、目の前の焼かれた肉を口に入れた。
かちゃりかちゃり
何も言わない、音だけが続く食事。
言わずもがな、それは篁鈴が食事に夢中になってるからなのだが。だか、その所為で彼女は今までには無い奇妙な気持ちになっていた。
「……ねえ」
先ほどまで会話が続いていたのは、篁鈴が話しかけていたからなんだと、ぼんやりと思っていれば、考えるより先に言葉がこぼれていた。
ん?と、男は目線だけを上げる。
「……あなた、何も聞かないのね」
「何もって何が?」
「色々よ、色々」
「……あー、お前の噂とかってこと?」
「まあ、そうねえ」
「別に興味ねえもん、俺。」
話しながらも構わず食べ続けていた篁鈴はピタリ、千金楽へ箸の先を向けた。
「だってさ、今ここにいるお前で十分だろ」
あっけらかんとした声だった。
「それ以上、何知る必要あんの」
「……」
「……お前がしってるかは知んねぇけど、一期一会って言葉があってさ、今のこの瞬間を大事にしろってやつ」
篁鈴はかたり、箸を置いた。
不意に千金楽のお面に手を伸ばし、触れる寸前で、男の手が止まる。
「これに何の意味があって、どうゆうつもりでつけてんのか、とかそりゃあ気になる事は尽きねえけど、それは追々お前が教えてくれりゃあいいだろ?」
少し間を置いて、「な?」そう付け足した篁鈴は酷く優しく笑った。
千金楽にとって、それは遠い記憶の中で感じたことのある優しさに似ていた。
まるで陽だまりのようなそれは、彼女にはどうにも、居心地が悪かった。
「……ご馳走様」
それだけ言って、立ち上がれば椅子がわずかに音を立てた。
ここから早く逃げ出したかった。
千金楽にとって初めての感覚だった。
千金楽はお面を下げ席をたつ。
「またな」
篁鈴はまるでこうなる事が分かっていたかのように苦笑いをしながら、ひらりと片手を上げた。
返事はしなかった。
ただ、少し足を早めた。暖簾に手をかける、けれどその直前に、振り返った。
「……、またね」
一瞬、視線が合った気がした。
直ぐに前を向いた所為で、篁鈴がどのような表情をしているかは分からない。けれど、背後でくつくつと笑う気配がした。




