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六番街一番勝負  作者: 百助蝶子
一章
4/8

掌中


鈍く光る陣が、静かに解ける。

光が消えたそこに、千金楽は立っていた。

黒くべたりとした亡者の液を纏ったまま、その小さな影は何事もなかったかのように佇んでいる。

ほんの一拍、すっと背筋を伸ばす。


「千金楽、馳せ参じました」


間を置かず、奥から声が返る。


「入れ」


重い扉の前に立ち、千金楽は一度だけ目を伏せた。


「……申し訳ございません。急ぎ参上したため、衣服に穢れがございます。父様の御前にてお目汚しとなること、お許しください」


「構わぬ。そのようなこと、気にせずともよい」


許しを得て、千金楽は扉へ手をかけた。

軋む音を立て、ゆっくりと押し開き足を一歩、踏み入れる。

彼女の所作には一切の乱れがない。


「恐れながら、もう一つお願いがございます」


歩みを止めぬまま、静かに続ける。


「……先の戦いにて人間を負傷させてしまいました。治癒者へ形代を飛ばしてもよろしいでしょうか」


「――ああ、好きにするがよい」


その言葉を受け、千金楽は懐から形代を取り出す。

さらりと指を滑らせ、簡潔に命を記すと、それを空へと放った。

白い紙は、音もなく消え、それを見届けることもなく、千金楽はそのまま奥へと進んだ。


広間は、相変わらず過剰なほどに煌びやかだ。

金の装飾が光を受けて鈍く輝き、静まり返った空気の中では、わずかにきしむような気配すら感じられる。


広大な空間の最奥、一層高く設けられた場所。

豪奢で重厚な敷物の上に、父は胡座をかいていた。

のそり、と緩やかに動く。片膝を立て、脇息に肘を預けるその仕草は、どこまでも緩慢で、どこまでも隙が無い。

にへら、と貼り付けたような笑みが、そこにあった。

千金楽は一歩、また一歩と進み出る。

足音は小さく、だがやけに響く。

穢れを纏ったままのその姿は、この場にあまりにも不釣り合いだった。



「……千金楽にございます」


その声は、酷く静かだった。

先ほどまで三番街にいたものと、同一とは思えぬほどに。


彼が被っている焙烙頭巾の端々に飾られた、金で造られたであろう装飾品がしゃらりと音を立てる。


「随分と、派手にやってきたようだな」


「……お恥ずかしい限りでございます。お見苦しい姿をお見せし、申し訳ございません」


「構わぬ。戦の後であろう」


わずかな間。


「して」


その一言で、空気が変わる。


「余は神の憂いを除かねばならん。神の使いであるお前がその事を知らぬ存ぜぬでは他の神使に示しが付かん」


謁見の間に佇む父上はにこやかな表情のまま言葉を続ける。


「人間にあのような無体を働いてはならぬ」


千金楽の動向は全て、父である大黒天に報告されている。監視されていると言った方が正しいか。


眼を垂らすその顔を掌に乗せ頬杖をつけば、僅かに顔が傾く所為か、にへらと微笑んでいるかのように見える。常時その表情が崩れることが無いため、その真偽は大黒天のみが知り得る事であるが。


「父様は人間が邪魔ではないのですか?」


何度も聞うた問いに答えは返ってこない。


「人は弱く脆く直ぐに死ぬ。それを護るのが神使の御役目なのは存じてます。ですが邪魔です。神使のみで戦ったほうが効率も良いではないですか。何故ゆえ人間を戦わすのですか」


微笑を携えたまま大黒天は決まって同じ言葉を口にする。


「神がご所望であるのだ」


その言葉は、まるで最初から決まっている理のように、静かに広間へ落ちた。


千金楽はしばし黙っていた。


「……神は、人間を好んでおられるのですね」


やがて、そう言った。

彼女の声色は静かで、先程までの冷や冷やしい棘は影を潜めている。

それに、大黒天は満足そうに頷いた。


「そうだ。」


ゆるりと頬杖をつき直す。


「人は弱い。故に守らねばならぬ。」


その言葉に、千金楽は小さく首を傾げた。


「ですが、人はすぐに死にます。」


「それが人の理よ。」


答える声は、幼子に諭すかのように穏やかだった。


「弱きものを守る事こそ神の務め。その務めを果たす為に神使がおり、人がいる。それ即ち、すべては神の御心のままに」


千金楽は少しだけ視線を伏せた。

考えるような仕草だったが、やがて大黒天へと視線を戻した。


「……存じませんでした。」


その言葉はまるで教えを受ける子供のように、疑いのない声音だった。

大黒天は微笑み、酷く優しく言葉を返す。


「まだ分からなくてもよい。いずれ分かるときが来る」


「……はい、父様。御教示、ありがとうございました」


「良い子だ。」


それだけだった。


広間の空気が緩んだのを感じた千金楽は踵を返し、そのまま扉へ向かう。だが、扉を開く直前でほんの僅かに足を止めた。しかしすぐに何事もなかったかのように扉を開くと、千金楽は静かに広間を後にする。


かたりと音が鳴り謁見の場の大扉が閉まる。

瞬間、溜息が溢れた。


「……はぁ。相変わらず、つまんない話。神がどうとか、人がどうとか。」


そして千金楽は心底どうでもよいかのように肩を竦めながら、歩き出す。


いつの間にか早鐘は止んでいた。

下駄の鈴が、また小さく鳴る。


やがてその音は廊下の奥へと遠ざかり、完全に消えた。



それと同時に謁見の間には再び静寂が訪れていた。

そのとき、柱の影がわずかに揺れる。


「……父様。」


「聞いていたのか」


そこに立っていたのは蛇尾だった。

振り向かないまま言葉を発する大黒天に彼は頭を下げた。


「申し訳ありません。」


「構わぬ。お前はあれの監視役だ。」


蛇尾の視線は、閉ざされた扉に向いていた。

大黒天はそれを見てにへらと穏やかに、嘲笑した。


「気に入っているのか。」


蛇尾はすぐには答えなかった。だが返す言葉は決まっていた。


「……千金楽は妹ですので。」


「ははは、そうか。妹か。」


その言葉を転がすように繰り返す。


「面白い。」


再び静寂が訪れる。

やがて大黒天は、ゆるりと頬杖をついた。


「蛇尾」

「はい」

「忘れるな。あれは人では無い」


その声は穏やかだった。


蛇尾の瞳が、ほんの僅かに揺れる。


「……承知しております」


「ならば良い」


大黒天は満足そうに頷いた。


「あれは大切に扱え。」


蛇尾は、ほんの一瞬だけ顔を上げる。

だが大黒天はもう彼を見ていなかった。

いつもの笑みのまま、遠くを見ている。

蛇尾は静かに深く頭を下げた。


「……御意」


遠くで、鈴の音が鳴った気がする。

蛇尾は目を閉じ、小さく息を吐いた。





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