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幕明


千金楽ちぎらは、酷く憂鬱だった。


しきたりを慮る兄様の所為で、伸ばしたくも無い髪は腰元で揺れているし、毎朝丁寧に着せられる良く分からない衣装は布が多いせいで動きにくい。


動きにくいならいっそ、姉様達みたいに華やかで艷やかな衣装を着てみたいし、煌びやからな装飾品で着飾ってみたい。


けれど着飾った所で妹達には会わせて貰えないし、そもそも一度も会ったことが無い。


ならば友人にでもと思うも友人たる者も居ないし、かと言って欲しいかと言われれば要らないような気もする。


だから兎に角、憂鬱なのだ。






千金楽は豪華絢爛な部屋の、隅っこに追いやられた小さな机の上に寝そべっていた。

机が小さい所為で頭と足をぶらりと放り投げて寝そべる彼女は仰向けのままぎょろりと目玉だけを動かす。


「…ひっ」


客間のようなその部屋の真ん中にポツンと置かれた腰掛けに座る男は小さく声を漏らした。


「ねえ、……ソレって面白い?」


彼女は無表情のまま問う。


「……ぁ、え?」


「面白いかって聞いたんだよ。そっか、聞こえないんだね。じゃあその耳は飾り物か、そっかそっか。」


気味の悪いほど静かなこの部屋に、ぽとりと耳が落ちる音がした。


一瞬だった。


「ぁ、ぁ……ぅぁぁああ゙あ゙っっ゙、ぁ゙ゔぅ!?」


「煩いよ。ほら、それあげるから静かにしてよ」


既に興味が削げた彼女は小さな机からひらりと飛び降り、耳が有ったであろう場所からダラダラと血を垂れ流し続ける男の口に、赤黒く染まる護符をぎゅぎゅっと詰め込んだ。

束になっているそれは、護符と言うには禍々しく呪力に塗れている。

その所為で男の口元は焼け爛れ始めていた。


「良かったね。これでアンタの息子は救われる。」


にこり、此処に来て初めて見せる笑顔だった。


「まあ、間に合えばだけどね」


「っ、っぅぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ!!」


男は痛みと絶望に顔を歪めながら、蛇尾だび様の言葉を思い返していた。


『千金楽は人では無い。話をしようなど間違うても思うではないぞ。』


男は思った。

本当に人では無かった。

人の形を成しただけの、鬼だ、と。






五番街の長、梁明りょうめいは目の前に居る千金楽に意識を戻した。


外では早鐘がけたたましく鳴り響いている。

先の気味の悪い静けさが嘘のようだった。


連絡が来たのはつい先刻だった。


『三番街から亡者もうじゃが溢れ出た。一体では無い。』


それだけを言い残し息子は家を飛び出した。




『……ご、御無礼を承知で申し上げます。三番街四番街、附与ふよ者が十二名で出陣しました。……ですが…っ、式神からの伝令によりますと残り…三名、であると…』


どうか御力をお貸し頂けないでしょうか?そう、続く筈だった。

誰が「面白いか?」など、脈絡の無い答えがかえってくると思うだろう。


彼女は未だにニコリニコリと笑い続けていた。


身丈は六、七歳程の幼子だ。

だが容姿が酷く奇怪であった。

不気味な程に赤に染まった目、身体は異様に白く細い。

そして至る所に、否、身体全体に痣のような模様が浮き出ていた。

まるで亡者を縛る呪詛のように。


「で?」


ピタリ、笑みが止んだ。


痛みと恐怖で身体中を脂汗で濡らした梁明は、彼女に何をどう答えれば正解であるのか、もう何も分からなかった。


震えているのか、カチカチと梁明の歯が鳴る。


不意にかたり、襖が開いた。


「千金楽」


後ろから聞こえて来た声に、千金楽はぐるんと音が鳴る勢いで顔を向けた。


「兄様!」


兄様と呼ばれた男は、無表情のままに彼女に目をやった。呆れた声色のせいか酷く冷淡に見える。


それでも彼女は気にする様子も無く駆け出し、まるで何事も無かったかのように「兄様兄様」と猫撫で声を出しながら男の首にするり、と手を廻し抱き着いた。


「ゔ、ぅゔぁゔぃ…ぁ゙ぁ゙」


「だから言ったであろう。此奴と話し合いなど出来ぬと。」


男は離れない千金楽を片手で抱き抱え梁明に近寄り、開いてる方の手で彼の口に詰められた札の束を掴み、引き抜いた。

じゅう、と鈍い音を鳴らしながら真っ黒い煙を吐き燃えていく御札。吐き出された煙からは、人が焦げる匂いがした。


「、だ…蛇尾様、すみません。……そ、それでも!!、…それでもどうしても、息子を助けたく、御無礼を承知で御願いに上がりました。」


酷く痛む筈の口を梁明は懸命に動かした。


蛇尾が来たお陰か、梁明は先の過剰な緊張が解け、僅かではあるものの冷静さを取り戻していた。

それでも椅子から滑り落ちる程の勢いで頭を床に擦りつけ、蛇尾に懇願した。


「そのような事はせずとも良い。神使を護るのが、私共の使命であるのだから。」


然しながら蛇尾は淡々と無表情のままに言い切る。

そして首に巻き付いていた千金楽の腕を解き、床に降ろした。


「千金楽は一番街へ。父様が呼んでいる」


懐から取り出した形代に何かを書きながら彼女に伝える。


「………ふーん、分かったよ。じゃあねえ、兄様」


ちらりと一瞥した蛇尾にニコリと笑い掛け、千金楽は襖を開けた。


「………お気をつけて」


かたり。

閉まった襖に蛇尾は眉根を寄せ、一つ溜息を溢した。





襖を閉めた千金楽は苦虫を噛みつぶしたような表情で一つ、舌打ちをした。


「誰が兄様に伝えたんだ」


ぽつり、一言溢すとじとりと襖を睨みつける。

そして父親が居る一番街へと歩みを進め始めた。


外は早鐘のせいで酷く煩い。

その中を歩いて行くのかと、今の千金楽には途轍もなく憂鬱で仕方が無かった。


チリン。

カランコロンと歩く度に彼女の下駄に付いた鈴が鳴る。まるで此処に千金楽が居る事を知らせるかのように。


カランコロン、チリン。


彼女は徐ろに懐へと手を差し込み、取り出したお面を顔に着けた。

兎の形を模した真白なそれは千金楽の小さな顔を余すことなく覆い、彼女の赤い目と痣を隠す。


カランコロン、チリン。

カランコロン、チリン。


歩きながら長い斑模様の黒髪を器用に纏め上げ、後ろ首に垂れていた頭巾を被る。全身を真白に包んだその姿は、宛ら雪原に潜む雪兎のようであった。


板張りの廊下を進みながら口遊む。


「兎追いしかの山」


カランコロン、チリン。


「小鮒釣りしかの川」


カランコロン、チリン。


「夢は今も巡りて」


お面に覆われている所為で表情を読むことは出来ない。


「忘れがたき故郷」


先の姿など嘘だったかのように穏やかにひっそりと歌う千金楽は、父親に充てがわれた一人で過ごすには十二分に広い屋敷の門を抜けた。


まだ早鐘が鳴っている。

外に出たせいで更に大きな音が彼女の耳を叩く。


チリン。


辺り一面真銀の景色は彼女には見慣れたものだ。まるで雪のように降り積もる灰の上を歩く。積もり過ぎたせいか下駄の音は鳴らず、小さな鈴の音もけたたましい鐘の音にすぐ掻き消された。


サクリサクリ。


"六"と書かれた小さな立て看板の横を通り過ぎる。

過ぎればぴたりと灰が止み、無骨に並ぶ石畳だけが広がる。そこに真銀の景色は一切も無い。

まるで、そこが境界線で有るかのように。


カランコロン。


また下駄の音が鳴る。

千金楽はまた一つ舌打ちをした。

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