3話
頑張ったことと、淑女の事情に何の関連が……?
困惑する俺に、フラウはそっと言葉を続けた。
「私、とても、頑張ったので。……ですが、努力をひけらかすのはみっともない真似です。淑女とは、玉の肌と美貌を保つ努力をし、夫となる方を支えるべくたゆまぬ努力をし、守り、慈しむ努力をするものです。努力の結晶が淑女、しかしそれを悟らせないのが淑女たる者」
「そ、そう……だったか?」
間違ってはいない気もするが、極端ではないだろうか。
ああ、そうだった。彼女は、極端だった。
哀しみの翌日から笑顔を振りまけるほどに、極端で、鋼の意思を持っていた。
「だけど、それとこれとは関係ないだ……でしょう? 賊は、どうして倒れていたの? フラウは、どうやってここへ来たの?」
フラウは、いかにも嬉しげに俺の隣に腰掛けた。見つめる視線には確かに温度を感じるけれど、それが恋慕だと思えないのが辛い。
10歳は、まだ子どもなのか。こんな話し方が相応しいほどに、フラウにとって子どもなのか。
ひそかに落ち込む俺を知るよしもなく、話すと決めたフラウは簡単に質問に答えてくれる。
「言いましたでしょう、淑女として頑張ったので。淑女たるもの、守るべきお方の嘆きに気付かないはずはありません。その御許に駆けつけられないはずはありません。もとより、御身を襲う凶刃からお守りできなくて、何が淑女ですか。そのために、私は努力致しましたから」
……俺の知っている淑女とは、ちょっと違う気がする。
「あの、つまりフラウは何を努力したの?」
まずは、そこか。色々と掛け違っているらしいボタンは、元を正せばそこだろう。
フラウは穏やかな笑みを浮かべて語り始めた。
「私はまず、賢智の鏡に問いかけました。淑女として必要なこと、ひとつひとつについて、何をすべきか知るために」
「賢智の鏡に」
当たり前のような顔をして頷いたフラウに、さっそく先行きが怪しくなってきたと頭を抱えそうになった。
賢智の鏡は、おばあちゃんの知恵袋では決してない。厳しい修行を納め、身を清め、儀式を経て召喚が叶う人外の神秘だ。占いの最高峰とも言える。
ただし、鏡への問いかけは非常に難しい。鏡は、こちらの意図など汲まない。質問に対する答えを示すだけ。幸せになる方法、などと言おうものなら、幸せと感じることをすべし、と返ってくるような。
「傷1つつかない肌を手に入れるために、何をすべきかと問いました」
俺は、ごくりとつばを飲む。果たして、その答えは――
「賢智の鏡に授かった解は……そう、『身体強化を極めるべし』」
「身体強化」
フラウはまた、当たり前のように頷いた。
「賢智の鏡は、正しかったのです。私は、頑張って極めました。身体強化を。……ご覧下さい」
無造作に振られた腕が、飛来した何かを弾いた。
「え……?」
厚い絨毯に転がったのは、ぬらりと鈍く光る小刀だった。
「これこのように。賢智の鏡の正しき導きのおかげで、私の肌には傷1つつきはしません」
突然の出来事にフリーズした思考に、そんな声が聞こえた気がした。
違うんじゃない? 玉の肌って、そういうのではなくて。……つい、場違いな思考が頭をかすめていく。
「……さらに、私は騎士団に所属する殿下を支えるために、騎士団に必要なものを尋ねました」
隣にいたはずのフラウの声が、窓の方から聞こえた。
ハッと視線をやった先に、窓から飛び込む黒装束が映る。しまった、賊の残党……!!
「フラウ!」
声を上げた俺に微笑み、フラウは言葉を続けた。
目の前に、頭ひとつ以上大きな賊を見据えて。
「その解は――」
ふわ、とベージュの髪とスカートが広がり、鋭い横蹴りがパン、と賊の手を打った。響いた鈍い音は、刃物が壁に刺さったものだろうか。
「『強さ』でした。そして、はからずも殿下を守るために必要なもの、その解も、『強者』でした」
スッと優雅な1歩は、まるでダンスの誘いを受けたように黒装束との距離を詰め――容赦ない貫手でもって喉を突いた。
崩れ落ちた黒装束を目に留めることもなく、フラウは壊れた窓枠に手を触れる。聞こえた微かなささやきに、思わず目を剥いた。
「私は、結界は張れても窓枠を直せないのです……。すみません、殿下……フラウは淑女としてさらに努力すべきでした。以後、このようなことがないよう工匠として技術を学ぶ努力を――」
「いらないからね?!」
転がった賊のことも忘れ、思わず声を張り上げる。
フラウは、あっと口元に手を当て、みるみる萎れて俯いてしまった。
「も、申し訳ありません……。私は殿下に会えた嬉しさで、すっかり失念しておりました。私は、婚約破棄された身の上。まるで婚約者のような振る舞い、どうぞお許し下さい」
どの部分が婚約者のような振る舞いだったのかは、もういい。
俺は、あらんかぎりの力でフラウを抱きしめた。
「ちがう! フラウ、違う! 俺は、ただフラウが幸せになってほしくて……! フラウはもう17歳になるだろう、だから、だから手を離して幸せにできる最後のチャンスだと聞いて!」
フラウが、こんなにも俺のために頑張っていたことを知らなかった。
ここまで血の滲む、いや、きっと血の滴る努力を重ねていたことを知っていたら……。
たとえ、その努力があさっての方向を向いていたとしても。
たとえ、その感情が今は恋慕でなかったとしても。
「フラウ、俺はユグ・ルシルディー。まだ……まだこの通り10歳だけど、それでも、俺は君がいい。きっと、フラウが見惚れる大人の男になってみせる。きっと、君を守れる男になる」
跪いて手をとった俺を、潤んだ陽光の瞳が見つめた。
「だから……だから、俺が大きくなったら。フラウの望む男になったら――」
耳まで熱くなった顔は、きっと真っ赤だろう。カッコ悪いだろう。まさに、子どもだ。
だけど、婚約を破棄したのは俺だ。
破棄して彼女を傷つけたことを、それをなかったことに、なんて卑怯な真似はしたくなかった。
だから、もう一度最初から。いや、改めて1歩踏み出した願いを。
「その時、その時は。俺と――け、結婚、して下さい」
俺の、精一杯。これなら、きっとフラウを縛らない。
それまでに良縁があったなら、フラウが幸せになるのなら、きっと俺は……
「いいえ!!」
響いた声に、心臓が止まるかと思った。
いつもまろい声が、今ばかりは鋭く俺の胸をえぐる。
「…………そう、か」
震える唇を結んで、それだけ絞り出した。
真っ暗になる視界。
だけど、俺の瞳の奥には、あの燃える太陽がある。
そうだ、そうだった。
フラウに俺が必要なくなっても、俺に好意を寄せてくれなくなっても。
それでも、俺がフラウのために努力することを……諦める必要は、ない。
俺は、大きく口を引いて笑った。太陽を胸に、零れる涙を隠さずに笑った。
「そうか。……見てろよ、大人になった俺は、きっとフラウの好きな男だ」
だって、俺はフラウのために頑張るから。
だって俺は、俺とフラウを幸せにしなくてはいけないから。
ふたつを同時に叶えるには、目指す未来はひとつしかない。
見てろ、フラウ。
俺はフラウみたいに寄り道をしない。まっすぐ、君だけを狙って努力するからな。
あの時のフラウは、こうだったのだろうか。
涙を越えて、俺は笑う。
まっすぐに、オレンジの瞳を射貫いてこの光が焼き付くように。
* * * * *
私は、口にしようとした台詞を浮かべたまま、言葉を失っていた。
きっと誤解されて俯いた殿下を、いつものように抱きしめようとした時。その時ついと持ち上がった瞳が、私の動きを止めた。
甘い、あまい蜂蜜色の瞳は、燃える黄金となって私を見つめている。
違う、殿下は、殿下はこんな……
狼狽える私に気付くでもなく、殿下のまとう雰囲気が変わる。
透明な涙を零しながら、にっと浮かべた満面の笑みが私を震わせた。
どくり、と心の臓までも震わせた表情は、私の知る殿下のそれではない。
こんなの、これでは、話が違うではないか。
愛らしく可愛い殿下でなくては、私は。
徐々に熱を帯びる頬を押さえ、自らの考えに瞠目した。
可愛い殿下でなくては……何だというのか。
私は、殿下を好きだったはず。これほどまでに殿下のために頑張っていたのは、殿下が好きだからのはず。
そう、大好きな殿下のために。
殿下のために、あの方の代わりに、愛を注ぐ、ために……?
掘り返して出てきた思いに、呼吸が止まりそうになった。
そんなはずはない、私のこれは、殿下に恋するものだったはず。
だけど、それなら今の、この思いは一体なに?
こんな胸苦しさ、今までなかったのに。
胸を打つ早鐘は、なぜ?
黙り込んだ私を見つめ、殿下は不思議そうな顔をする。
私は、ついに諦めて柔らかな微笑みを浮かべた。
そうだったのか。
役目を押しつけていたのは、私だったのか。
だって殿下は、いつも私を1人の女性として扱っていた。
だけど私は、1人の女性として振る舞っていなかった。
だから、言おうと思っていた。
いいえ、待ちません、と。ずっとお側で、殿下の成長を見守りたかったから。
だから、婚約を結び直してほしいと。いつか、きっと破棄される婚約だとしても。
たとえ、私と同じ色をもつ、亡き母親の代わりだとしても。
ごめんなさい、殿下。
母親代わりを押しつけたのは、私。
勝手に役にはまり込んでいたのは、私。
「フラウ、どうしたんだ?」
俯いた私を覗き込む、強い瞳。金の炎は私を焦がさんばかりに、この胸を温めた。
嘘でしょう、こんな、落ち着かないなんて。
信じられない、こんな、気持ちが揺れるなんて。
だけど、私は淑女。
淑女たるもの、夫とする人を不安にさせたままにはできない。
ええ、私は決めました。
「殿下」
そっとかがみ込み、まださほど大きさの変わらない手を取る。
「フラウは、『その時』を待ちません」
殿下は、ほんのりと苦笑して、うんと頷いた。
「フラウは、殿下をお守り致します。ずっと、そばにおります。淑女として、殿下のお心も守ってしかるべきだと思います。で、ですから……」
すう、と深呼吸して震える唇を誤魔化した。
「ユグ・ルシルディー殿下。わ、私フラウ・フルメリアは……殿下へ、こ、こ、婚約を、申し込みます!!」
顔は、上げられなかった。
ばくばくと鳴る心の臓は、まるであの大きかった火竜のそれと取り替えたよう。
震えながら沙汰を待ったのは、何分? それとも何秒だったのだろうか。
そっと抱き込まれた胸からも火竜のそれが聞こえて、私はふわりと微笑んだのだった。
お読み頂きありがとうございました!
ストーリーとして必要な部分はこれで完結!
あとは、その後の諸々や、お話の中のあれこれを補足がてら追記できたら。
その後の2人とか、いります?
好き勝手に勢いで書いて、楽しかったです。
これ、恋愛に……なりましたか?!