銃士と剣士 p.5
昼食を終えたアゲハはメリッサ、彩乃、一馬に急用が出来たと言って一人だけ先に校舎の屋上から去り、体育館裏に向かっていた。
さきほど四楓院から『体育館裏に来い』と一言だけ携帯越しに伝えられたが、相当な怒りを籠めて送信されたに違いない。
嫌な予感を抱きながら、現状の生活費が四楓院からの援助によって支えられているアゲハとしては無視できない状況だった。
人気のない体育館裏に到着すると、四楓院が一人だけ立っていた。
「遅ぇんだよ。電話したら即行で来い」
不機嫌な四楓院はアゲハが到着するや舌打ちをして睨みつけてくる。
「ごめんなさい、友達とお昼を食べていて……」
相変わらず四楓院へ視線を合わせることが出来ず、アゲハは暗い表情を浮かべた。
「友達って、今朝割り込んできたあの金髪女か?」
四楓院はそう言いながらアゲハに詰め寄り、自然とアゲハもその圧に押されて数歩後ろに下がってしまう。
しかし、後ろに下がったところで背中が体育館の壁に触れ、逃がすまいと四楓院の腕がアゲハの顔面横を横切る。
「てめぇ、今朝のアレは何だ? 自分の立場が分かってねーのか?」
アゲハは震えながら肩をすくめ、四楓院から目を逸らして必死に襲い来る恐怖に耐えていた。
「ごめんなさい……でもあの子に会ったのは今朝が初めてで、助けを呼んだ訳ではないんです」
か細い声を上げるアゲハだが、逆にそれが四楓院の癇に障ったのか、四楓院は歯をむき出しにしてアゲハに迫る。
「だから私は悪くないんですってか? あの女に投げ飛ばされて殴られた後、あんな無様な姿をどれだけの生徒に見られたと思ってんだ、あ?」
声を荒げる四楓院に怖がり、アゲハはますます身を縮める。
その様子に楽しくなったのか、四楓院の表情は怒りに満ちてはいるものの、震えるアゲハを睨みながら口角が少しずつ吊り上がっていく。
「今朝の続きだ。こっちはどれだけ我慢したと思ってんだ」
そうすごんだ四楓院は唐突にアゲハの両腕を手で押さえつけると、アゲハの唇を奪う。
「――っ!」
突然の出来事にアゲハは驚き、目に涙を浮かべた。
だが、その反応すらも四楓院を楽しませ、四楓院は体をアゲハに押し付けてくる。
アゲハは唇を塞がれたまま、何かを叫ぼうとするも、四楓院に強引にねじ伏せられ、やがてアゲハの体から力が抜けていく。
アゲハが諦めたと判断した四楓院は彼女の太ももに手を伸ばす。
下賤な表情でアゲハを見下ろす四楓院。
アゲハは恐怖と諦めの境地の中、そっと瞼を閉じる。
その時、アゲハの脳裏にとある言葉が過る。
「――貴方の意志を教えて」
メリッサの何げない言葉。
だが、それは今この状況を打開するには十分過ぎる励ましになった。
アゲハは力のある限り腕を振ると簡単に四楓院を己の身から剥がし、四楓院はその勢いで地面へと突き飛ばされる。
「痛っ、てめぇ、何すんだ!」
地面に尻もちをついた四楓院はアゲハに向かって吠える。
だが、意を決したアゲハは今度は屈しなかった。
「ご、ごめんなさい。でも、私はこういうことは、もうしたくない!」
アゲハは目に涙を浮かべながら勇気を振り絞って四楓院にそう言うとその場を逃げるように走り去る。
「て、てめぇ、待ちやがれ!」
背後から四楓院の怒号が聞こえるが、アゲハは無視して走り続けた。
体育館の屋上にて、メリッサはアゲハが四楓院を突き飛ばし、去っていく様子を見ていた。
『今回は助けてやらないのかよメリッサ』
鞄に閉まったままのルーズが問いかける。
「別に。今朝助けたのはアゲハに近づく口実が出来たからよ」
体育館の屋上に誰もいないことを確認したメリッサは念話を使わず直接ルーズに答えた。
「それに、毎度あの子を助けに行ける訳でもないし、あの子自身で身を守る術を覚えないといつか必ず後悔することになるわ」
『おやおや、誰かさんの経験則かな? メリッサちゃんはお優しいねー』
「ルーズ、うるさい」
溜め息を吐き、気を取り直してメリッサは体育館裏を見下ろした。
泣きながら走り去るアゲハと怒り心頭の四楓院。
そろそろか。
メリッサはルーズが入った鞄を拾い上げる。
「ターゲットが動くなら、今日の放課後」
呟き、メリッサはその場から立ち去った。
放課後、アゲハは一人とぼとぼと下校していた。
いつもなら四楓院に呼び出されない限りは彩乃や一馬とお喋りしながら下校するのだが、今日は一人で帰りたい気分だった。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
アゲハはふと今の状況に至るまでの経緯を振り返る。
きっかけは父親が急に家を出るようになってしまい、元々経営難だった道場の運営がさらに追い込まれてしまったからだろう。
その後、あっという間に収入は減り、生活に追い込まれたアゲハは元々道場に通っていた四楓院から援助の話を提案された。
四楓院の父親は四楓院グループという貿易会社の社長を務め、その息子である四楓院明はいつか会社を継ぐ者として幼い頃から英才教育に加え、子供が扱うには膨大過ぎるお小遣いを与えられていた。
持って生まれた財産の使い方は早いうちから学ぶべきだ、と教えられた四楓院は金の力を使って好き放題に生き、アゲハを援助する代わりに彼女を良いように扱う、という歪んだ発想が生まれたのだろう。
そんな提案に乗ってしまった自分も悪い。
ふと、さきほど四楓院に唇を奪われたことがフラッシュバックし、アゲハは涙を浮かべながら制服の袖でゴシゴシと唇を拭く。
生活に困っていたとはいえ、極端なことをしたとアゲハは肩を落とす。
だが、その一方でアゲハに一つの疑問が浮かぶ。
メリッサの言葉に動かされ、四楓院の提案を文字通り突き放したとはいえ、問題の解決には至ってはいないではないか。
四楓院を退けたのは、本当に正解だったのだろうかと、アゲハは自分に問いかける。