銃士と剣士 p.3
通学路から少し離れただけで人の気配が失せ、二人だけの空間が簡単に出来上がる。
狭い路地裏には猫一匹おらず、少し遠くに通学路を歩く生徒達が見えるが、向こうからこちらへ気づく可能性は、偶然が起きない限り難しい。
四楓院はアゲハの腕を鷲掴みにし、通路の壁面へアゲハを叩きつける。
「きゃっ!」
小さい悲鳴を上げるアゲハに畳みかけるように、アゲハの顔の真横を四楓院の手が壁を叩く。
「お前な、今まで幾ら金を払ってやったと思ってるんだよ? 俺の奴隷になる代わりに金をくれてやってんだろ? な?」
片目をひくつかせ、アゲハに詰め寄る四楓院。
アゲハは鞄を抱き寄せ、ぷるぷると震えながら身を縮める。
「ひ、人の目がある所であぁ言うのは、辞めて欲しい、です」
アゲハの訴えに、四楓院は、「ハッ!」と笑い声一つ上げる。
「てことは、人目がなけりゃ何しても良いってことだよな?」
「――っ」
四楓院はアゲハの足へと手を伸ばし、スカートの裏に隠れたアゲハの太ももへ触れる。
アゲハは漏れ出そうな声を必死に押さえるべく、自分の口を手で塞ぐ。
興が乗った四楓院はニヤついた笑みをさらに広げ、アゲハの体を四楓院の手が這い回る。
この先に待っている仕打ちを想像したアゲハの目に涙が浮かんだ。
「そこ、邪魔なんだけど」
唐突に第三者の声が二人の間に割って入った。
驚いたアゲハと四楓院は同時に声の方向へ顔を向ける。
見慣れない女子生徒が立っていた。
アゲハと同じ黒い制服を着ていたが、学校では見かけない金色の髪を二本に結った、兎のような女子生徒だった。
雪のように白い肌と、秋の季節に合う赤く長いマフラーを巻いた女子生徒は鞄を肩に背負って二人の様子を呆れた顔で眺めていた。
邪魔が入ったからか四楓院は顔を赤らめ、乱暴にアゲハから手をどけると、ずかずかとその女子生徒へと歩いていく。
「てめぇ関係ねぇクセに邪魔してんじゃ――」
と、四楓院が言い終えることなく、女子生徒に近づいた四楓院の体がふわっと宙を舞う。
「「へ?」」
気の抜けた声が二つ。アゲハと四楓院だ。
いつの間にか四楓院の片腕を握っていた女子生徒が、軽々と四楓院を宙へと持ち上げ、そのまま地面へと叩きつけた。
腰から地面へと落とされた四楓院は口から空気を吐き出すが、女子生徒はためらうことなく四楓院の顔面へ、片手で持っていた鞄で殴打する。
狭い路地裏ということもあり、四楓院の頭はそのまま路地の壁にも叩きつけられ、四楓院の肩がくたりとたれる。
一瞬のうちに起きた出来事に、アゲハは壁に身を預けたまま呆けた。
すると、金髪の女子生徒は乱れたマフラーをひょいと巻きなおし、四楓院を踏んづけてアゲハに歩み寄る。
「あぁいうのとは関わっちゃ駄目よ」
「え、あ、あの……」
女子生徒は優しくアゲハの腰を取り、通学路へリードする。
アゲハは後方で意識を失っている四楓院と助けに入ってくれた女子生徒を交互に見、顔をしかめる。
通学路へと戻り、アゲハは戸惑いながらも女子生徒に頭を下げた。
「あ、その、すみません、変なところを見せてしまって」
自業自得とも言える経緯がある手前、アゲハは幾ばくかの罪悪感を抱えながら女子生徒に謝る。
金髪の女子生徒は涼しい顔をしてアゲハの腰から手を離すと、登校先は同じだというのにスタスタとアゲハを置いて歩き出す。
「べつに、気にしないで。それじゃ」
「え? あ、名前は? 同じ学校ですよね?」
アゲハは驚き、慌てて女子生徒を呼び止める。
女子生徒はアゲハに振り向き、しばらく思案した後口を開く。
「私は――」
「はい、転校生のメリッサ・キャンベルさんです。皆仲良くするように」
メリッサは組織の工作によって用意された架空の名で紹介される。
男性教師は風邪を引いているのかマスクを被っており、少しつらそうな表情をしながらもメリッサの紹介を続けた。
「メリッサさんは海外生活こそ長いが元々は日本の生まれで――」
前もって適当にでっちあげたメリッサの生い立ちを男性教師が丁寧に説明しているのを聞き流し、メリッサは教室の様子を観察する。
風邪が流行っているのか男性教師と同じようにマスクをしている者や顔色の悪い生徒がちらほら見受けられる。
メリッサの見た目が珍しいのか、生徒達からの視線が続々とメリッサへと集まる。
目だってしまってはいるものの、毎度のことながら組織は潜入捜査へのフォローが手厚いことに関心する。
学校へ潜入するために支給された学生服に身を包み、いつも愛用しているマフラーを首に巻き、パートナーの銃であるルーズは学校指定に乗っ取った鞄の中に忍びこませている。
すると、鞄のファスナーの隙間からほんの少しだけ淡い光が漏れる。
『うまく忍びこめたなぁ』
陽気なルーズの声がメリッサの頭の中に響いた。
鞄の中にしまっていたルーズがメリッサ以外に会話が聞かれないよう念話を送ってきていた。
メリッサはルーズへ送るメッセージを頭の中で反芻する。
『どうということはないわ。潜入捜査は初めてではないし』
どういう理屈なのか、誰にも聞かれることなく念話での会話をしながら、メリッサは教室内の生徒を見渡す。
『学校に向かっていた時も思ったけれど、獣に侵された人の数が報告より多いように思うわ』
『そうだな、転生が始まっていない奴ばっかだが、数が尋常じゃねぇ』
クラスにいる生徒一人一人を観察するメリッサは、近くに座っている生徒から順にクラスの奥の席へと視線を送る。
微熱を抱えたように見える生徒もいれば、意識がどこかに飛んでいるのか、虚空をただ見つめる生徒もいる。
問題なのはそんな異常事態に違和感を覚えない人間が多いことだ。
そう考えながら一番奥に座っている生徒の様子も見ようとした時、こほんと隣に立つ教師が咳払いをした。
「えー、それではメリッサさん、軽く自己紹介を」
教師の長い紹介をスルーしていたメリッサは教師へ軽く頭を下げる。
『おいおいメリッサちゃんよ、ちゃんと日本の生徒達に小粋な挨拶出来るのかよ』
教師の振りに奇天烈な銃が急にテンションを上げ、笑って茶化す。
しかし、メリッサはそれでも無表情を継続した。
『黙ってなさいルーズ。事前準備は既に済ませているわ。最初の挨拶も段取り済みよ』
ルーズの野次に真っ向から挑み、メリッサは一歩前に出る。
生徒たちの注意がさらに集まる中、メリッサは無表情のまま右手の小指と薬指だけを折り曲げ、残りの指を広げたまま己の瞳の前へ掲げる。
「メリッサ・キャンベルです。よろしく」
渾身の仏頂面ギャルピースが炸裂し、生徒達が一瞬だけどよめく。
生徒と教師、誰もが戸惑いを隠せない様子だった。
『おいメリッサ、スベってるぞ』
『静かにルーズ。平常心が崩れる』
炎のように込み上げてくる羞恥心を、クールな表情で必死に鎮火することに努め、メリッサは何事もなかったかのように手を下ろす。
「え、えー、それじゃあメリッサは秋月の隣に座ってもらおうかな」
困った様子の男性教師は教室の一番奥に空いている席を指さす。
メリッサは生徒達からの注目を逃れたい一心で足早に教師が指さした席へと向かった。
すると、メリッサの席の真横に座る女子生徒が両手で口を隠しながら驚いた様子でメリッサを見つめていた。
「メリッサさん?」
「……さっきぶり、アゲハ」
綺麗な長髪の女子高生アゲハに、メリッサはバツの悪そうに頬をかく。
ついさっきアゲハをかっこよく助けた手前、この再会は少しばかりしまりが悪かった。