結末 p.2
胸元の契約者の印が疼き、その熱が全身を駆け巡った。
瞬間、アゲハの意識だけがどこか遠くへ飛ばされた感覚に陥り、アゲハは思わず目を瞑った。
周りの音と生命の気配が失せ、アゲハはゆっくりと目を開く。
いつの間にか周りには白い靄に包まれた何もない空間が広がっており、アゲハはぽつんと一人佇んでいた。
「ここ、は?」
唐突な静寂と一人の空間に放り出されたアゲハは困惑する。
すると、目の前に人影が浮かび上がる。
いや、厳密に言うと人型の黒い影だった。
『やぁアゲハ』
人影は紳士的にお辞儀をし、アゲハに挨拶をしてくる。
「この声は、禍虚?」
『ご名答』
人影となった禍虚はどこか嬉しそうに答えた。
アゲハは再度辺りを見渡すが、先ほど戦っていた風景やメリッサも見当たらず、訝しむ。
「禍虚、ここは?」
『君の心の中だよ。おめでとうアゲハ、君は依り代となった』
禍虚はアゲハを祝福するように両手を広げる。
『君の肉体は私の物となり、君は今、自らの肉体の中から魂となって外の世界を見ているんだ』
そう言うと白い靄が晴れ、その先にイメージが浮かび上がってくる。
そこには先ほどまで戦っていた、道場の屋根での光景と、膝をついてこちらに向かって驚いた表情をしているメリッサが写っていた。
それを見て大体を察したアゲハは肩を落とす。
「そう、私の役目は、終わったんだ」
『あぁ、そうだよアゲハ。ありがとう、ここから先は私の役目だ。君はもう、休んでいなさい』
どこか優しい口調で言う禍虚に、アゲハは頷く。
あとは禍虚に全てを委ねるだけで良い。
だが、心残りがあるとすれば、最後に一馬の顔を一目見たかった。
そう想いながら、アゲハは現実世界で起こっている様子を眺め、己の意識が闇の中へ溶け始めるのを感じる。
「あああぁぁぁ!」
アゲハが天に向かって叫び、念力の邪術が発動して突風が吹き荒れる。
『やべぇ! これは!』
「っ!」
何かを察したルーズと、焦ったメリッサは無理やり腕を振るって銃撃をアゲハへ放つ。
だが、銃弾はアゲハが咄嗟にかかげた手の前でぴたりと止まり、屋根の上に転がる。
アゲハの長い髪が顔を隠して表情を伺えないが、彼女の異変にメリッサは気づく。
綺麗な黒い髪は雪のように白く染まっていき、露出している肌には蛇のように契約者の印が這いまわってアゲハの全身を包んでいく。
優しい笑顔を向けていた少女の姿は完全に消え失せ、全身を蝶の形を模した契約者印に包まれたアゲハは、真っ白な髪を揺らし、不適な笑みをメリッサに向ける。
メリッサは続けざまに銃弾を放つも、すべてが念力の邪術によって塞がれ、攻撃は無に帰す。
弾切れを起こし、メリッサの両腕から力が抜ける。
風が止み、長い髪をばさりと後ろに払うとアゲハの表情が露わとなる。
先ほどとは打って変わって穏やかな表情を浮かべ、メリッサに優しい笑みを向けてきた。
「儀式は最終段階に入った。詰みだ、スリンガー」
アゲハの声で語り掛けてくるが、その口調は明らかに別人だった。
「禍虚……」
声の主を言い当て、メリッサは目の前の獣へ憎悪を向ける。
「あぁ、やっと肉体を持てて嬉しい限りだよ。渦も私の本体から直接供給され始めている。あとは地下に眠っている私の本体が地上に顕現するのを待つだけだ。もう間もなく到着するよ」
禍虚がアゲハの肉体を得た時から、大地の震えが止まらなかった。
獣の祖の完全復活、その予兆。
絶望的な状況であるにもかかわらず、メリッサの身体は限界を迎えたのか、先ほどからピクリとも身体が動かない。
「君の奮闘は目を見張る物があったが、ここまでかな」
ひょい、と禍虚が片手を上げると、床に散らばっていた弾丸が浮かび、メリッサへ矛先を向ける。
「――っ!」
最後の力を振り絞ってメリッサは腕を十字に構えて防御を計るが、飛来してきた弾丸の前ではほとんど意味をなさなかった。
弾丸はメリッサの体中を貫き、筋力を増強させていた残り僅かの渦もみるみると削れていく。
握っていた銃とナイフも弾かれ、重い一撃が胸を貫いてメリッサは大の字に仰向けに倒れた。
『メリッサー!』
メリッサから弾かれたルーズが叫ぶが、メリッサは泥のような血を吐き出して答えない。
もはや禍虚を止める者が誰もいない中、絶望は続いた。
アゲハの家が建てられている小山のふもとが大きく割れ、中から黒い霧が噴き出る。
それと追随するかのように人型の大きな靄が這い出てきた。
それはメリッサ達がいる小山と同等の体躯を成しており、糸に吊られるかのように立ち上がるとちょうどその大きな頭が、道場の屋根と同じ位置に持ち上げられた。
すると、禍虚はアゲハの肉体で両手を広げて大きく笑う。
「あぁ、あぁ、この日を、どれだけ待っただろうか!」
禍虚の本体が道場の前で動きを止めると同時に突風が吹き荒れ、禍虚が取り憑いたアゲハの白い髪が大きくなびく。
『メリッサ起きてくれ! あいつの本体が出てきちまった! アレにアゲハの嬢ちゃんの身体が触れたら獣の祖が顕現しちまう!』
必死に叫ぶルーズだが、メリッサは肺に血が回ってしまい、呼吸もままならず、ただ命が尽きるのを待つ他ない状態にまで追い込まれていた。
禍虚は満面の笑みで歩き、メリッサを挟むように己の本体に対峙した。
「あぁ、我が肉体、この地を元あるべき姿へと戻そう」
そう言って禍虚は視線を落としてメリッサを眺める。
「君も苦しかろう。終わらせてあげよう、爆炎使いのスリンガー」
ぱちん、と禍虚が指を鳴らすと、再びメリッサが放った銃弾が浮遊し、メリッサの真上へ来ると、槍の雨のようにメリッサへと降りそそいだ。
『メリッサー!』
ルーズの叫びが響き、炎が上がる。
走馬灯とは本当に実在したのか。
降りそそぐ弾丸を眺め、メリッサの脳裏を過ぎるのは過去の思い出。
スリンガーとなってから分かれてきた仲間達との思い出。
初めて任務に就いた時に覚えた獣への恐怖。
目の前で家族が獣に燃やされ、後悔と懺悔の言葉を繰り返し、何度も叫んでいたあの頃が、メリッサの中でフラッシュバックする。
走馬灯は過去の記憶を遡っていき、とある場面で止まる。
いつかどこかで出会った誰かのセリフが鮮明に脳内で木霊する。
『ケハハハ! さぁ言いな嬢ちゃん、これは契約だ! お前の願いを教えろ、さすれば今日からテメェも契約者だ!』
消し去りたい過去に押され、メリッサは心の底に封印していた願いと共に目を覚ます。
「私は、大切な人を守りたい」
いつか交わした言葉と共に、メリッサは再び立ち上がる。




