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Slinger - スリンガー -  作者: 速水ニキ
第一章 蝶ガ墜散ル刻
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失墜の蝶 p.13

 アゲハは道場の壁に背中を預けるように座り、動かなくなった玄寺をぼんやりと眺める。

 ふと玄寺から受けた斬り傷に視線を落とすと、傷は見えない糸で縫われるかのように、ゆっくりと塞がっていく。


「もう、私は人間じゃないんですね」


 アゲハは小さく禍虚に呟く。


『あぁ、今や君は契約者の能力として〝念力〟の邪術、身体能力の向上、再生能力を得た。だが、再生能力に過信は禁物だ。体内の渦が切れたら再生は止まるし、特定の攻撃から受けた傷の治りは遅い。当たりどころによっては死に至る』

「特定の攻撃……契約者からの攻撃と、スリンガーの銃撃、ですね」


 メリッサが見せた戦闘を思い出し、アゲハはあの銃口が今度は己に向けられるのかとふと思う。

 銃口を向けられるよりも、獣と契約者を前にした時のメリッサの眼光が、今度は自分に向けられることを想像すると、アゲハの胸中に悲しみが巡る。


 傷がようやく再生され、アゲハはゆっくりと立ち上がる。

 体力がまだ戻っておらず足元がおぼつかない。体力だけでなく渦もさきほどの大技と再生に大分取られた。


『さて、あと少しでこの街の眷属達の数が目標に達する。その後は君を依り代として私の魂を入れ、地中から引きずり出した私の体と一体化出来れば完了だ』

「間に合うか分からないけれど、最後に彩乃と一馬先輩にお別れしたいです」

『ふむ、スリンガーの討伐速度もあるからね。申し訳ないが時が来た時点ですぐにでも儀式を進めさせてもらう』


 遠慮なく告げる獣の祖にアゲハは「分かりました」と溜息交じりに答え、いそいそと道場を出る。

 道場の外には開けた敷地に四楓院正人の車が放置されたままとなっていた。

 そこでふとアゲハは敷地内によたよたと歩いてくる人影に気づく。


「……え?」


 腰から力が抜け、アゲハは地面にへたり込む。

 敷地内に入り込んできた人型の獣にアゲハは見覚えがあった。

 体中から棘を生やしたそれは、間違いなく変わり果てた一馬だった。


「嘘、嘘だよ、ど、どうして」


 不規則な歩調で歩いてくる一馬を、アゲハは大粒の涙を流して嘆く。


『既に巻き込まれてしまっていたか。残念ながら末端の獣まで、くまなく操るほど私の力はこの地上に及んでいないからね』

「話が違う!」


 アゲハは手元の刀に叫ぶが、獣の祖は一切態度を変えない。


『人間には戻せないが、君が依り代になれば私の力も増す。その時は彼に自我を持った獣として深化させ、丁重に扱うことを約束しよう』


 禍虚はどこ吹く風と現状を問題視していないようだった。

 アゲハは怒りと悲しみで刀をきつく握る。


「その言葉、違えないでください」


 怒気をはらんだ言葉に禍虚は『誓おう』と応じる。

 もうそれほど自分に時間がないことを感じたアゲハは、未だアゲハに向かってくる一馬を見つめる。


「一馬、お兄ちゃん……」


 未だ戻らない体力とショックから、アゲハは立ち上がれず、へたり込んだまま一馬に手を伸ばす。

 それに答えるかのように獣となった一馬も手を伸ばして歩む。


「ずっと、ずっと前から好きでした。子供の頃、近所の子にいじめられてた時に助けてくれた時から好きでした。道場で一生懸命稽古に励んでいるお兄ちゃんが、好きでした。いつも笑って話してくれる、貴方が好きでした」


 変わり果てた一馬はアゲハの前で立ち止まる。


「ァ……ァア、ゲ……ハ……」


 痙攣する口をどうにか動かし、一馬は言葉を紡ぐ。

 アゲハは止まらない涙を流し、一馬へ両手を伸ばす。


「私の分も、生きて……」


 瞬間、風が吹いた。

 同時に一馬の頭上から人影が降って背後に着地する。

 すると、一馬の両腕が斬り飛ばされ、一馬は叫んだ。


「あ、あぁ」


 一馬の返り血を浴びながら、アゲハは叫ぶ。

 銃撃音が二発なり、びくん、と一馬の身体が震えて仰向けに倒れた。


「アゲハ!」


 そこに現れたのは二丁の拳銃を構えたメリッサが立っていた。

 二丁の拳銃の先についた刃にはべっとりと血が付着しており、銃口から硝煙が上る。


「あ……あぁ……」


 視界は黒く染め上がっていき、アゲハの中にも黒い感情が噴き出す。



「アゲハ!」


 アゲハの目の前で攻撃態勢に入っていた獣を仕留めたメリッサはすぐにアゲハへと駆け寄ろうとする。


「あ……あぁ……」


 アゲハが両手で頭を抱えて呻き、メリッサは異変に気付いた。

 先ほど止めを刺した獣へ視線を落とし、メリッサは息を呑んだ。


「森杉、一馬……」

『おいおいマジかよ』


 事態を把握したメリッサは、目の前でアゲハの友人を殺めたことを激しく後悔する。

 だが、今はそれどころではない。

 赤の女王をホルスターに戻し、メリッサはアゲハの肩を掴む。


「アゲハ! 今は事情を話している場合じゃない。すぐにここから離れないと秋月玄寺がここに来る!」


 何度もアゲハの肩を揺するが、アゲハは倒れた一馬をぼんやりと眺め続けた。


「アゲハ、お願い立って――え?」


 ふと、着崩れたアゲハの制服から胸元が見えた。

 そこには歪な形をした模様が刺青のように刻まれていた。


「これってまさか……」

『嘘だろ、契約者の印だ』


 すると、アゲハが持っていた刀がぼんやりと光を放つ。


『一歩遅かったようだね、爆炎使いのスリンガー』


 聞き覚えのある声に、メリッサは己の毛が逆立つのを感じながら、ホルスターに戻していた銃を取り出し、アゲハから一歩引いて構える。


「禍虚!」

『毎度邪魔をしてくれるが、今回に限っては悪手だったかもしれないね』


 アゲハが握る刀から声が漏れ、メリッサは警戒する。


「アゲハに何をした」

『見ての通り、契約者となってもらったよ』

『どうなってやがる! 儀礼刀は全部契約者達に渡ったんだろ!?』

「まだ残された刀があった、ということね」


 調査不足から来る事態にメリッサはただ後悔するしかない。


『秋月玄寺は既にアゲハが始末し、残された契約者も彼女一人となった。これでアゲハが私の依り代になることが確定したよ。獣の数も時期、規定数に達する』


 勝ち誇った口調で言う禍虚を無視し、メリッサはアゲハへ叫ぶ。


「アゲハ、そいつの話に乗っては駄目よ、今ならまだ引き返せる」

「引き返すも何も……私にとって大事なものは彼しか残っていなかった、それだけは失いたくなかった。なのに……」


 気力全てを失ったかのようにアゲハはただ放心し続ける。

 すると、「コフッ」と小さくせき込む声が上がる。

 音の出どころへ振り向くと、僅かだが一馬が呼吸を再開していた。


『まだ生きてやがる』


 驚くルーズをよそに、メリッサはアゲハを警戒する。

 アゲハの虚ろだった瞳に徐々に生気が戻っていくが、同時に黒いモヤのような気配も漂いはじめる。


 アゲハはゆっくりと立ち上がると、持っていた刀を後ろ手に沿え、自重を地面へ落として居合いの構えへ移行する。

 じわじわと警戒から戦闘態勢へと切り替えるメリッサはゆっくりと二丁の銃をアゲハへ向ける。


「アゲハ、はやまらないで」


 諭そうと試みるも、アゲハは答えず、ゆっくりと顔を上げる。

 そこには悲痛と苦悶の表情と共に、大粒の涙を流すアゲハがいた。


『どうするんだいアゲハ? 私は君の願いを尊重したい』


 禍虚の問いにアゲハは震える手を刀の柄に沿える。


「もう、これ以上、私から大切なものを奪わないで」


 ぎゅっと柄を握ったアゲハが、メリッサに向かって駆けた。

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