失墜の蝶 p.10
制服へと着替え、アゲハは道場の縁側に立ち、そこから一望できる街を見渡していた。
いつもの光景であれば、刀の手入れをしながら美しい街を眺めことができる、最高の場所だった。
だが、今は紫色の光の下、街から叫び声が聞こえてくるほどの地獄絵図となっている。
様変わりした風景に気落ちしつつ、その風景がどこか自分の心情を描いているようにも見えた。
「いつから、私達の道場を見ていたんですか」
『初めからかな。蝶流剣術が創立される前から私は地上にいた。玉鋼触媒にし、刀として製鉄されてからは、色々な道場を巡ってここに辿り着いた』
「初めから……じゃあ私の母がまだ生きてた頃から?」
『そうだね。君の母、アサギは私が知る限り蝶流創始以来、至高の域に達するほどの実力を持っていた。だからこそ、唯一蝶流の本殿奥に眠っていた最後の玉鋼からアサギだけの刀を製鉄されることを許されたんだろうね』
禍虚は懐かしむように説明し、アゲハは今ので諸々の合点がついた。
メリッサ達スリンガーは蝶流の儀礼刀八本に禍虚が取り憑いていると想定していたが、実際にはまだ残っている玉鋼が保管されていたのだ。
それを、アサギが剣聖と認められた証に例外的に九本目を作ることになったが、その後すぐにアサギは亡くなり、九本目の儀礼刀が仕上がった頃には持ち主不在という扱いになり、正式な手続きが完了するまでは一旦アゲハの道場預かりとなっていた。
そんな経緯があったからこそ、メリッサ達スリンガーもそこまで調べ尽くすに至らなかったのだろう。
「これから何が起こるんですか?」
『君も知っての通り、私の目的は肉体の完全復活だ。獣の数も、スリンガー達の討伐スピードを上回っている。まもなく契約者を依り代に格上げする程度には私の力が及ぶさ』
「地上に戻って、何をする気ですか?」
『地上での生活を取り戻す。元々この惑星は我々が先に見つけて住み始めたからね』
「それじゃあ、人間はどうするつもりですか?」
『追い出したりはしないさ。混乱は多いだろうが、少なくとも私と私の眷属は人間と歩み寄る方法を模索するよ。人類との共存が最終目標さ』
知りたい事を聞けたアゲハは、脳裏に一馬と彩乃を思い浮かべる。
もう自分が守りたい存在はあの二人くらいしかないが、二人の安全を確保する手立ては限られる。
現状起こっているこの事態、スリンガーか獣、どちらが勝利を収めるかは不透明だ。
だが、元々スリンガー側に保護対象とされている一馬と彩乃に対し、獣側からも二人の安全を確保出来れば生存率は格段に上がるはずだ。
『私からも確認だ。知っての通り、契約者というのはその身を依り代として私達始祖に捧げ、魂は永遠の眠りにつくことになる。つまりは自分を犠牲にして願いを叶える儀式だ。この調子なら君は今日中に依り代になる可能性がある。その覚悟はあるかい?』
どうでも良い。
アゲハの心の中に、もはや自己防衛の概念など存在していなかった。
今は命を賭して一馬と彩乃を守ることしか考えていない。
「私を依り代にしてください。もう、私はどうなってしまっても良い。私の願いは聞いてください」
『聞こう。交換条件として願いを叶えるのも我らの基本だ』
「私の友達を、一馬先輩と彩乃は見逃して」
『良いだろう。その願い聞き届けた。だが一つだけ問題があるのだよ』
「問題?」
『君の願いを今叶えても、他の者がそれを阻む可能性がある』
「どういうこと?」
すると、アゲハの背後から道場の扉が開く音がする。
アゲハは肩越しに扉へ振り向くと、そこに一人の男が立っていた。
厳つい身体に道着で身を包んだ剣士が、アゲハをまっすぐ睨む。
「お父さん」
アゲハは縁側から道場に入り、玄寺も道場へ入室し、二人は対峙する。
『時は来たようだ』
アゲハと玄寺が持つ刀から、禍虚の声が発せられた。
『依り代になれるのは一人、願いを叶えるのも一人だ。私としては依り代になるべき者は強者であるほど良いが、どうする?』
唐突に振られた問いかけに、アゲハは静かに玄寺を見据え、玄寺もまた持っていた刀の鞘を強く握った。
空間に殺気が満ちていく。




