銃士と剣士 p.2
道場に隣接している自宅へ移動したアゲハは自室へと入る。
女子高生にしては飾り気のない、必要最低限の家具が並んでいるだけだが、衣装箪笥の隣に刀を収める刀箪笥が置かれていた。
アゲハは刀を刀袋に入れたまま、そっと刀箪笥へ納める。
「またお手入れするね、お母さん」
まるでガラスを扱うかのようにアゲハはゆっくりと箪笥をしまうと、立ち上がってパンと己の両頬を軽く叩く。
「よし、あとは――」
次なる日課へ向かおうとした途端、下の階から扉が開いた音が鳴る。
「今の……」
音に心当たりがあるのか、アゲハは急いで部屋を飛び出た。
「お父さん!」
家の入り口へ急いだアゲハの視界に飛び込んできたのは、厳ついがたいを青の道着で身を包んだ男だった。
アゲハの父、秋月玄寺は刀を納めた袋を玄関に立てかけ、家に入る。
「服としばらく食べる物を取りに来た」
眉に深いしわを寄せ、しかめっ面を下げたまま玄関を上がる玄寺。
玄寺はアゲハへ目もくれず、ずかすかと家の奥へ入っていく。
通り過ぎる父をアゲハは両手で掴み、無理やり引き止める。
「三か月も何も言わずに家を出て言うことがそれ? 一体何をしていたの? 道場の門下生もほとんど辞めちゃったし、貯金もほとんどなくなっちゃったんだよ!」
悲痛な声を上げながら、アゲハは玄寺へ必死に訴えるも、玄寺はアゲハへ一切目線も向けない。
「全ては蝶流の極致に辿り着くためだ」
そう一蹴すると玄寺は無理やりアゲハを腕から振りほどく。
その勢いにアゲハは壁に体を打ち付けてしまうも、玄寺はそれでもアゲハを気にかけることなく家の奥へと向かっていく。
「お父さん!」
アゲハは目に涙を浮かべ、父を呼ぶが、玄寺は止まらなかった。
そして追い打ちをかけるかのように、懐にしまっていた携帯がまたしても振動し、着信を告げる。
話を一切受け付けない父と、無視を決め込んでいた着信が止まないのもあいまって、アゲハは肩を鳴らして家を後にする。
アゲハが住む家は、アゲハの父が所有する道場と隣接しており、町から少しだけ外れた小山の山頂付近に建てられている。
そのせいもあって登校するために小山を降りて町へ向かう必要があり、少しばかり時間がかかってしまう。
小山を降り、バスに乗り、バス停で下車すると、バス停近くに一人の男が立っていた。
アゲハが通う学校の男子校生指定のブレザーを着ており、黒い長髪の奥に潜む瞳がアゲハを睨んでいた。
「お、おはようございます、四楓院先輩」
おずおずとアゲハは四楓院と呼ばれた男子生徒に挨拶をする。
四楓院は顔立こそ美形なのだが、雰囲気からどこか刺々しさを醸し出しており、食いしばった歯を剥き出しにしてアゲハに近づく。
パン、と乾いた音が響いた。
四楓院は言葉一つ交わすことなくアゲハの左頬を平手で叩いた。
少しよろめいたアゲハは、はたかれた頬を抑えるも、唇を噛んで声を上げないよう我慢した。
四楓院が合流するために指定したバス停の周りには人通りが少なく、四楓院にとっては手を上げるのに都合の良い状況だ。
通学路から少し外れた場所を待ち合わせに指定するあたり、四楓院の抜け目のなさがにじみ出る。
痛がるアゲハをよそに、四楓院は舌打ちしながら己の鞄を持ち直す。
「彼氏が電話したらすぐに応じるのが常識だろ? 何シカトしてんだよ」
額に血管を浮かばせる四楓院を直視出来ないアゲハは、顔を俯かせる。
「ごめんなさい。朝の支度に手間取ってしまって……」
小声で答えると、四楓院は「ふん」と鼻息一つで返す。
「とっとと行くぞ」
顎で通学路を示す四楓院だが、アゲハは冷や汗をかいて顔を上げた。
「あ、あの」
言いづらそうに口を開くアゲハは屈辱に耐えて顔を歪ませる。
何だよ? とでも言いたげに四楓院はアゲハへ振り向く。
「今月も厳しくて……その……」
言わんとしていることを察した四楓院はにやりと薄ら笑いを作る。
「は、意地汚さだけは立派だな。ほらよ」
持っていた鞄の中から茶色い封筒をアゲハの足元へと投げる。
茶封筒の封の隙間から少しだけ見える紙幣を確認したアゲハは、無言で屈み、封筒を拾ってそれを自分の鞄へと納めた。
自分がしていることへの嫌悪感と罪悪感が入り乱れ、アゲハは封筒を入れた鞄を強く握った。
四楓院と合流したアゲハは肩を並べて学校へ向かう。
他の生徒たちが利用する通学路へ差し掛かると、ちらほらとアゲハや四楓院と同じ制服を着た生徒達が見えてきた。
心なしか顔色の悪い生徒が多く、ふらついて歩いたり、ぶつぶつと呟いて虚空を眺める生徒が多い。
そんな中、四楓院は己の腕をアゲハに押し付ける。
「腕、組めよ」
ぼそりと四楓院に命令され、アゲハは一瞬だけ顔を歪ませるが、奥歯を噛んでぐっとこらえ、ゆっくりと四楓院の腕へ自分の腕を絡ませる。
二人を追い越す生徒達がチラチラとアゲハと四楓院へ視線を投げる。
前髪で顔を隠せないかと顔を俯かせるも、無駄な抵抗だった。
四楓院の要求は止まらず、アゲハの耳元に四楓院の顔が近づく。
「もっと胸を押し付けろ」
ねっとりとした言葉に身の毛がよだつ。
しかし、その反応が四楓院を楽しませているのか、四楓院のニヤついた口元がさらに広がる。
アゲハは目をぎゅっと瞑り、絡めていた四楓院の腕を手繰り寄せた。
制服越しに、アゲハの柔肌が四楓院の腕に密着し、アゲハの背筋に気持ちの悪い汗が流れる。
その様子を見ていた近くの生徒から「クソ、何であいつなんかと」「真面目な子だと思ったんだけど」などと風に流れて聞こえてくる。
笑い声を堪える四楓院は周りの生徒達の反応を楽しんでいる。
あまりの不快感に、アゲハは唇を震わせる。
「あの、先輩……あまりこういうことは人前でするのは、ちょっと」
恐る恐るそう言って四楓院をチラリと除くと、さきほどの表情から打って変わって四楓院は両眼を大きく見開く。
「あ? ちょっとこっち来いよ」
誰にも聞かれない声量で四楓院はそう言うと、アゲハを連れて通学路から外れた曲がり角へと進む。