失墜の蝶 p.8
傷は治ったが倦怠感が残る身体をメリッサは無理やり動かす。
「無茶な治療をしてくれるわね」
悪態をつきつつ、メリッサは立ち上がった。
一呼吸置き、すぐに外へ出ようとしたとき、メリッサの腕を彩乃が掴んだ。
「メリッサ! 何がどうなっているのか分からないんだけど、メリッサはあの化け物達と戦っているの?」
必死に問う彩乃を誤魔化せないと判断し、「えぇ」と一言返事をする。
「お願い、アゲハと一馬先輩を助けて! ここに避難する時、一馬先輩がアゲハの様子が心配だからって一人でアゲハの所に向かって……」
メリッサは耳を疑い、彩乃に視線を向ける。
「たぶん、今頃アゲハの家の近くにいると思う。心配で携帯に連絡してみたんだけど、繋がらなくて……」
「分かった。すぐにアゲハの家に向かうわ。たぶん途中で一馬さんと合流できると思うから、その時は保護する」
彩乃は涙を浮かべながら頷くと、メリッサは足早に体育館を去った。
体育館を出ると、ジークが腕組みをしてメリッサを待ち構えていた。
「手間をかけさせたわね」
「まだ手間がかかってる最中だ」
苛立たしげに言うジークだが、いつもの彼の態度に今更不満はない。
「状況はどうなってやがる?」
「街の外から雪崩れ込んできた獣の数が尋常ではないわ。報告によるとまだ数が増してる」
メリッサは耳にかけた無線から流れてくる情報を拾いながらジークへ共有する。
ジークは舌打ちをし、体育館の先に広がる街を睨む。
「見たところ、獣の数が規定数に達するのは回避できそうにねぇな」
「えぇ、おそらく奥の手を使っても、私の殲滅力じゃ対処出来ない程度には増えてる」
淡々と説明するメリッサに対し、ジークの額に浮かぶ血管が震える。
「テメェ、最初から俺に獣の祖を仕留めさせる気なかっただろ」
「適材適所よ。一対多で有利を取れるのは貴方くらいしかいない」
不満を上げようとしたジークだが、メリッサを見て思いとどまる。
「なんだその吹っ切れた面は」
「そう? 誰かの雑な治療で悩みが消えたのかも」
ジークに睨まれるがメリッサはそれを無視する。
アゲハの肉親を討伐することに、どこか抵抗を感じていたのかもしれなかったが、玄寺との戦いぶりから、玄寺がもはや救える範疇を超えた領域にいることを先の戦闘で実感した。
まだ何か不満を言いたげなジークが口を開いた瞬間、近くで獣の咆哮が上がり、周りにいたスリンガー達が叫ぶ。
「獣接近! 押し返せ!」
銃撃があちらこちらで巻き起こり、周りはあっという間に戦場となる。
「ジーク、貴方は獣の数を減らして。少しでも獣の祖の力を弱めて復活を阻止する。私は直接契約者を叩くわ」
「チッ。お前の指示を聞くのは癪だが、去年の借りがある」
肩を鳴らしながら、ジークは校舎へと侵入してきている獣に向かって歩き出す。
「万一、獣の祖が復活しかけたら俺様に合図を出せ。隙は作ってやる」
ずかずかと歩いて行くジークの背中を眺め、メリッサは小さく微笑む。
「ありがとう、ジーク」
ぱん、と両手で頬を叩き、気を取り直したメリッサはアゲハの自宅に向かって走り出した。
紫色の不気味な空を睨み、一馬はアゲハの家へ向かって走る。
アゲハの家が街から少し遠いため、いつもならバスを使うのだが、街中に起こっている現状から、当然公共交通機関は止まっていた。
ようやくの思いでアゲハの家がある小山のふもとまで辿り着くと、一馬は膝に手を置いて息を吐く。
「あと少しだ」
小山の途中に建てられたアゲハの家を見て、一馬はもうひとっ走りと意気込んで駆ける。
その時、がくりと一馬の視界が横転し、気づくと道に倒れていた。
「……え?」
状況が把握できず、一馬はうつ伏せに倒れたまま後ろを振り向くと、己の右足が巨大な棘のような物に撃ち抜かれているのが見えた。
「っ! あ、あぁ!」
遅れてきた痛みに叫び、一馬は棘を抜こうとするがあまりの痛みに手に力が入らない。
激痛に耐えていると、後方からひたひたと水気を含んだ足音が鳴る。
一馬を跨ぐように立ったそれは、人間の形をしつつも、全身から歪な棘を生やしていた。
足を射抜いた棘の正体はおそらく、この身体から飛ばされたのだろう。
棘に毒が含まれていたのか、身体から力が抜けていくのを感じる。
一馬の前に現れた化け物は己の体からもう一本棘を抜き取り、それを一馬に向かって大きく振りかぶる。
「アゲハ――」
紫色の空と、振り下ろされる刃を眺め、一馬は少女の名を呟くが、その声が彼女に届くことはなかった。




