失墜の蝶 p.4
前後左右の感覚が一瞬だけ反転する錯覚に陥り、それはすぐに止まる。
この薄暗い場所では分かりづらいが、異界が展開されたのであろう。それも今回の範囲は先日四楓院が展開した規模の比ではなく、恐らく街全体を覆うほどの範囲だ。
メリッサは視線を玄寺から離さず、通信先の全スリンガーへ叫ぶ。
「侵入してきた契約者には一人で挑まず、班全員でとりかかりなさい! これまでの契約者と段違いの強さを有している!」
数名から「了解」と返事は来るが、既に戦闘を開始している者もいるらしく、銃撃と雄叫びが回線の向こうから流れてくる。
「ではこちらも、死合おうか」
玄寺は左手に持った鞘を中腰に構え、刀の柄に己の右手を添えて居合いの構えを見せる。
ピリピリと殺気が地下水路内に張り巡らされ、メリッサも両手で銃を構えて玄寺に向ける。
「参る!」
轟、と空気を威圧で押しながら走るかのように、玄寺が駆けると周りの空間が振動する。
メリッサは地形が直線上であることの有利性を活かして、真っすぐに突っ込んでくる玄寺に向けて発砲。
だが、玄寺に弾丸が当たる直前、玄寺の姿が一瞬にして消える。
蝶流剣術の特殊な歩法による高速移動。
メリッサは玄寺が消え去る一瞬の軌道を読み、銃口を上へと上げる。
同時に、水道の天井に足を着地させた玄寺がメリッサに向かって跳躍。
メリッサは瞬時に迎撃を止め、その場で身を屈めて前転。
突風のような速さで地上目掛けた玄寺の抜刀は、紙一重でメリッサを逃し、水面に直撃する。
轟音と水しぶきが舞う。
着地したばかりの玄寺を狙い、メリッサは体勢を立て直す玄寺に容赦なく銃弾を送り込む。
だが、玄寺は不安定な体勢にも関わらず再び両足を目にもとまらぬ早さで動かす。
特殊歩法が再起し、弾を避けつつ水道の奥にある曲がり角へ避難した。
『おい、なんだあのおっさん! 昨日の小僧の動きより段違いに早ぇ!』
叫ぶルーズを無視し、メリッサも同じく、玄寺とは反対方向の曲がり角に身を隠し、マガジンのリロードを行う。
「秋月玄寺! 今すぐこの事態を止めなさい。獣は人間を利用して自分達の世界を作り上げたいだけ。あいつらは決して契約者の願いを叶えてくれる存在ではない」
メリッサは玄寺から距離を置きつつ説得を試みる。すると、反対側の角で身を隠す玄寺から微かに鼻息一つ荒げる音がした。
「笑止。俺達全員がそれを百も承知で獣の祖、禍虚とやらと契約を交わしたまでよ」
「どうして……」
「蝶流剣術の完成、そしてその頂きに辿り着くためだ」
「は?」
玄寺の言動を理解できず、メリッサは苛立ちを覚えつつ聞き返す。
玄寺の様子を探るべく、メリッサは太もものナイフを抜き、鏡代わりにその側面を利用し、先ほどメリッサと玄寺が一合交えた道を見る。
道の先では、刀を構えて再び姿を現した玄寺が、ゆっくりとメリッサの方向に向かって歩いてくる様子が見えた。
「蝶流剣術はその絶技から最強の剣術と謡われていたが、その習得難易度が弊害となって現在に至るまで、衰退の一途を辿り続けてきた。だが、長年の追究と獣との契約により、ようやく完成への道筋が見えた」
そう言うと玄寺は豪快に道着の上着を脱ぐ。
筋骨隆々の上半身全てに、契約者の証しを示す契約印が、まるで蛸の触手のような形を成して刻まれていた。
「強靭な肉体と、洗練された蝶流剣術の技、この二つが必要不可欠。肉体は只人が鍛錬を積んで手に入る領域にはなく、邪術による身体能力の向上が必須となる」
玄寺は身体から闘気でも出ているのか、彼の周りが少しだけ湯気だってすら見える。
「蝶流の極地に至る方法は二つ。天賦の才を持つか、その者と死闘を経て得た糧が技を絶技へと昇華させるか。残念ながら、俺は後者だ!」
玄寺はメリッサが隠れた曲がり角から、少し見えていたメリッサのコート目掛けて一気に駆け、刀を振り下ろす。
だが、その場にあったのは脱ぎ捨てられたコートのみだった。
瞬間、上方から銃撃音が吠える。
玄寺は咄嗟に身を丸めて回避するが、銃弾が左腕をかすめた。
玄寺が接近する前にメリッサはコートを脱ぎ、ノースリーブのインナー姿を露わにすると、玄寺が曲がり角を曲がるタイミングにあわせて宙へと舞い上がり、銃撃を浴びせていたのだ。
だが、玄寺は負傷したにも関わらず即座に居合いの構えへと移行すると、メリッサが着地をする瞬間目掛けて接近。
空中で身動きが取れないメリッサは玄寺の接近を許すも、着地と同時にナイフを抜き取る。 ナイフと銃で玄寺の刃を防ぐ。
金属と金属がぶつかり、二人は鍔迫り合いにもつれ込んだ。
メリッサは己よりも大きい玄寺を臆することなく見上げる。
「剣術完成のために街中の人々を殺し尽くすなんて、くだらないわ。それに、その剣術の才能を持っていた貴方の妻、秋月アサギは既にいない」
そう言うと、玄寺はメリッサのナイフごと押しつぶすかのようにメリッサへ加重を与えつつ、静かに首を横に振る。
「いる。俺と、生前のアサギが手塩にかけて育て上げ、間違いなくアサギ以上の才に恵まれた剣士を、俺は一人知っている」
玄寺が言わんとする人物を、メリッサは一人思い浮かべた。
「まさか……実の娘を貴方は手に掛けるつもりだとでも言うの?」
メリッサは声量こそ平時と変わらないものの、語気に明らかな怒りが自然と込められる。
だが、玄寺は眉一つ動かさず、体重を更にメリッサへと乗せ、筋力の差で刀が無理やりメリッサへと押し込まれてくる。
「我が妻と娘も、蝶流剣術の糧になれるのなら、本望よ!」
ぎらりと目を見開き、玄寺は力任せに刀を振るうと、防御体制のメリッサを身体ごと投げ飛ばす。
何度か地面をバウンドし、下水道の壁に身体を打ち付けるメリッサ。
玄寺が間髪入れず、足元の床目掛けて刀を振るうと、凄まじい衝撃で床が飛び散り、散弾となったコンクリートの破片がメリッサを襲う。
メリッサは咄嗟に先ほど脱ぎ捨てたコートを拾うと、自分を覆いかぶせるように、それを纏ってしゃがみ込む。
獣の皮から剥ぎ取って作られたコートは、ある程度の衝撃を吸収し、襲い来る破片の雨からメリッサを守る。
玄寺は再び刀を鞘へと戻し、蝶流剣術の基本の構えに戻る。
メリッサも再びコートを装備し、戦闘は振り出しに戻った。




