金魚すくい
反対を押し切って結婚し、6年も音信不通だった私が舞い戻ってきたのだ。
両親が良く思っていないのも当然だった。
道すがらタクシーの窓から見かけたコンビニにでも行ってみようと思い立ち、居心地の悪い実家から逃げるように娘を連れて外に出ると、湿った空気を太鼓の音が震わせていて、どうやら近くで夏祭りをしているようだった。
音のする方向へ歩みを進めると、昭和のころに田舎にポコンとできた住宅地の小さな公園で、町内会が提灯の電球を燈し、小さいなりに盛大にやっている。
娘は太鼓の音や人いきれに興奮したらしく、屋台を端から物色し始めた。
その後ろ姿をぼんやり眺めていて。
すぐ目の前。
タライを置いて座っている老人に首を傾げた。
「これ、なにをやってるんですか?」
「金魚すくい」
金魚どころか、水も張っていない。
「売り切れですか、大儲けでしたね」
作り笑顔を見抜かれたのだろうか?
老人はジロリと睨み眉をひそめた。
娘が首にぶら下がってきたので「暑い」と言うと、ノリの悪い私にがっかりした表情を浮かべてから、タライを覗き込み「キレー!」と歓声を上げた。
古びたタライ、そんなわけはない。
中は綺麗さっぱり、がらんどうだ。
しゃがみこんでタライに顔を近づけた娘の反応に老人は機嫌が良くなったらしく少し表情が緩んだ、ごそごそと脇のビニール袋からポイを1つ取り出すと、乾いたお椀に放り込んで娘に手渡した。
「1回サービス」
「え? ……ちょっと、なにしてるんですか!」
「だから。金魚すくいだよ」
「この子達、これで助けたらいいの?」
「そうだよ、お嬢さんにできるかな?」
「うちの子に変な遊びをさせないでください!」
この老人はなにを言ってるんだ、助けるもなにもカラッポのタライだ、そもそも金魚すくいは水の中を泳ぐ金魚を掬う遊び、救ってどうする。
私の剣幕に怯えている娘の手からポイを取り上げても抗議されることはなかったが、老人はひどく落胆したように長い溜息を吐き出して肩を落とした。
「田んぼだった、休耕田で金魚を増やして売ってた、今はこの地面の下にあるよ。強引なやりかただったから金魚はみぃんな死んじまった。こうしてタライを置くと寄ってくるんだ」
「なにがですか、なにが!」
「だからさ、金魚の魂だよ」
「なんですか、気色悪い!」
「でもな、この話。あんたにすんのは二度目だよ?」
「なにを! な、にっ……二度目?」
真新しいポイを受け取った娘が、からっぽのタライを慎重にひと掻きしていく。ぬらりと光る『なにか』を掬い上げてお椀に滑り込ませると、お椀の内側に沿って、くるり、くるりと緩慢に回り始めた。それを、満足気に眺めている。
直径12センチほどの空間に起きた異常な光景に絶句しているうちに、お椀を受け取った老人がソレを摘み上げ、ポケットから取り出した金具へ簡単な道具で器用に固定して、娘の手のひらへポンとのせた。
「さすがお母さん譲りのウデだ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
両親が、そのままにしていた、実家の子供部屋。
学習机の一番上の引き出しの鍵を開き、一番奥からでてきたお菓子の箱を開いてみると、小さな飴玉のような、おはじきのようなものが無数に入っていた。
いつしか忘れてしまっていた。
子供のころ友達と離れてここへ来て、寂しかった。
これは、あのころ夢中になって救った金魚の魂だ。
ご そ り
物音がして振り向くと、娘が立っていた。
「ママ……これ」
「なぁに、この金具。こんなの無かったじゃない」
あのジジイ、時代にあわせて進化しているのか。
なんだか腹立つなぁ~!
なんにしても、娘に八つ当たりすることじゃなかった。
ピリピリしてたのかなぁ。
「どしたら……」
「ほら、こっち来て? 耳につけてあげる」
「耳!」
「金魚のオバケってこれで最後? まだまだいるの?」
「たーっくさんいた」
「ふー、よし。これなら一緒にいられる、考えたわね」
たくさんいるのか。
明日もお祭りはやっているだろうか?
もし、やっていたとして。
また私もタライの中を浮遊する魂が見られるだろうか――?
なんにしても人手が必要になるだろう。
いつまでたっても子供っぽいひとになら、心当たりがある。
「下に父さんはいた?」
「じぃじ? いるけど」
「子連れで来て、6年前の続きかぁ。いつも順番があべこべ」
「……パパのこと?」
ぶきっちょすぎて、なにをやっても失敗続きなくせに、なんの役にも立たない、くだらないことをやらせたら、妙に小器用なところがあった。
こちらから折れるのは癪にさわるけど。
きっと、頼もしい助っ人になるだろう。
「じぃじとパパを仲良くできる?」
「やってみる!」
「任せるわ。 ……パパには私から説明するから」
ここはひとつ、彷徨える金魚たちを救うために。
背に腹はかえられぬ、ということにしておこう。