第五話「エメラルドの瞳の魔女」
砂というのは目に入ってくるから嫌いだ。
寒いのは嫌いだが、暑すぎるのも考えものである。
この街は枯れている。
ちょっとした風で飛んでいってしまいそうなほど枯渇している。
水に飢えた街には、あまり人が住んでいなかった。
大通りの活気のなさは、歩いていて悲しくなってくる。
「あら、綺麗な瞳ね。あなたが『太陽の黒猫』かしら?」
私をそう呼ぶ品のある女性が前方に一人。金髪でサラサラな長い髪の毛、全てが下僕とでも言いたそうな野心に満ちる赤い瞳。三十台半ばあたりの肌の張り、首の皺。暑い、いや灼熱の太陽が照っているというのに黒いローブを身に纏っている。こういう所では普通白が定番なのだが。おそらく魔女なのだろう。そういう気配は消されているが、私には感じる所がある。
「私の家へいらっしゃい。あなたにおもしろいお話を聞かせてあげるわ」
女性はそれだけを言うと、私の返事は待たずに身を翻して歩き出していた。
私は見に覚えのない女性に疑問を感じたが、私を知るという女性に興味を惹かれ、用があるという女性に従って、ついていくことにした。
女性の家の外見は例外なく他と変わらず砂に支配された風貌だ。
しかし、内装は違っていた。別世界へ来たような豪華な部屋の数々。というか、あの外見からこの広い内装は想像がつかない。
「そこに座りなさい。今お茶を持ってくるわ」
女性は豪華なソファーに深々と座り、そう言った。
隣の部屋から魂の抜けたような目の女が入ってきた。
お茶を持って来たのはその女だった。
私の前に無言で紅茶が置かれる。
「お砂糖はいくつ?それともレモン、いやミルクかしら?」
女性の質問に対して私は首を振る。
「あら、ストレートがお好みなのね」
女性は女性自身の紅茶に砂糖をドバドバと入れてカップを持ち、一口飲む。
「さて、自己紹介がまだだったわね」
紅茶のカップを置いて、私の目を見る。
「私の名前はチャイム・リドル・グラゼセン。リドルと呼びなさい。この横にいる女は私の下僕の一人、レアンというの」
レアンは一度だけ軽い会釈をした。
「私はカレイド・サン・クルジャー。ご丁寧にどうも。私に話したいこととは?」
人間の言葉で私は端的に挨拶をした。
「二十年ほど昔の話よ。あなたと同じ、エメラルドの瞳を持つ魔女のお話。聞きたいかしら?」
リドルは意地悪そうに私を見下す。
「ぜひ」
私はそれだけを言って、彼女の赤い瞳を見上げた。
彼女の名前はブルーム・レイン・クレセント。
この世には魔法使いを育てるための学校があるのは知ってるわね?もちろん世の中には公になっていないけど。
その学園のクラスメイトで私のライバルだった人の話よ。
彼女の瞳はエメラルドに輝いていて、いつもいつも私よりも一つ先を歩いていたわ。
テストでも実技でも正式に彼女に勝ったことは一度もなかった。
でも、私だって諦めないでコツコツと努力を重ねたわ。
「次の実技、あなたには負けないから!」
実技のテストの日、私は彼女にそう言ったの。
「うん、私も全力でお相手するわ」
彼女は優しい微笑みで私にそう言ったわ。何も嫌味のこもってない声で。
結局、私は彼女に負けてしまった。
「こ、今回は私の負けよ、次は負けないんだから」
「うん。また一緒に頑張りましょうね」
全く相手にされていない様子。私は毎回、暖簾に腕押し状態だった。それが悔しかったの。だから認めさせたかった。私という存在を。
でも、それは私の一方的な勘違いだった。
ある日のテストを彼女は体調不良で休んだの。そして彼女は次の日に私が何かいう前にこう言ったわ。
「今回は私の負け。体調管理も出来ないなんて話にならないわよね」
私は今回のテストを勝負にするなんて一言も言ってなかったの。でも彼女は私という存在を認識していた。その言葉にはまるで魔法がかかっているかのように私の奥深くに突き刺さって、私はどこか安心していた。
彼女はとても優しい人だった。嫌味に聞こえてもおかしくない言葉を発しても、全くそう感じさせないのは彼女の性格からだと思うわ。
喜怒哀楽が激しいけれど、友達が多く、成績も良かった。
そんな彼女にも好きな人がいた。
その人は一つ年上で、学園でもトップクラスの魔法使いだったわ。
私も彼のことが好きだった。でも・・・それは叶わなかった。
彼は彼女のことが好きだったの。相思相愛ってやつね。
私は彼女に負けっぱなしだった。
学園を卒業してからも彼女から一ヶ月に一度届く手紙が正直憎らしかったわ。私の事を認識してくれているのは嬉しかった。でも、彼女は卒業してからも様々な功績をあげていて、一方私はいつまでも「少し腕の良いだけの魔女」。その手紙を彼女が嫌味で送っていない、むしろ好意で送ってくれているのはわかっていたけれど、やっぱり悔しかったの。
でも、ある日を堺に彼女からの手紙が届かなくなった。憎らしかった手紙も、来なくなると寂しくなるものなのね。
そして、どういうわけか、私以外の人達は彼女が最初から存在していなかったかのように、
「レイン?誰だったかしら?」
なんて言うの。それは彼女の愛した彼にしても同じだったわ。
そしてしばらく経つと旋風が吹き抜けていくように「太陽の黒猫」の噂を聞くようになった。エメラルドの瞳の猫。
私は待っていたわ。あなたがここに来るのを。
ずっと楽しみにしていた・・・。
リドルが私の顔を再度、真剣な面持ちで見直す。
「あなたがレインね?」
私は何を言っているのかさっぱりわからなかった。
「私はサンだ。レインではない」
しかし、リドルは疑いのない赤い目で言う。
「いいえ、あなたはレインよ。あなたはただ呪いを掛けられているだけ。あなたを恨んでいる人が誰だかわからないけど、絶対そうに決まっているわ」
私はこの戯言を言ってくる魔女に呆れた。
「だから、違うと言っている。私はただ主人を探して旅をしているだけだ」
リドルはレアンに紅茶のおかわりを持ってきてもらい、再びドバドバと砂糖を入れていた。
「・・・主人?それは誰のことかしら?」
私は間をあけず、主人の名前を思い出す。
「ラフィス。私は彼女のことをそう呼んでいた」
途端にリドルが険しい顔をする。
「ラフィス?それって・・・」
リドルはレアンを手招きし、耳打ちをする。
「ラフィスって、伝説の魔女のことじゃない」
そしてレアンがどこからか分厚い本を持って来た。その本を机に広げる。
「見なさい、ラフィス。西暦1984年、彼女は今も伝説となっている禁術を完成させてしまった」
私は机に乗り、本を覗き込む。
「空間転移の魔法。異空間を移動することで、一瞬で他の場所へ移動することができる魔法。この魔法は危険だったわ。魔法という存在を世界にバラしてしまうことに繋がりかねない未完の魔法だったから」
私はリドルの言葉を真剣に聞いていた。
「自分の認識している座標の場所にしか移動出来ないとはいえ、移動先に人間がいるかもしれない、誰が見ているか予測がつかない。はたまた、久しぶりの場所へ移動しようとしたら、そこにはすでに建物が建っていて、移動しきれずに異空間で命を落としたモノまでもでた。ラフィスはその危険な魔法を開発してしまったために処刑された魔女よ。探す意味のない、もうこの世にはいない魔女なのよ」
一体このリドルという魔女は何を言っているのだろうか。
私はしばらく何も考えられなかった。私はしょっちゅう空間転移の魔法を使っていた。禁術とも知らないで。私が禁術を知らないなんて、おかしい・・・。
記憶を探ってみる。
記憶・・・。
靄の掛かった記憶がいくつもあった。
ラフィスの顔が思い出せなかった。おぼろげな・・・
『ちょっと出かけてくるね』
確かに彼女はそう言った・・・はずだ。
「サン、あなたは一体何者なの?」
私は何がなんだかわからなくなり、気付くとリドルの家を飛び出していた。
「ちょ、ちょっと・・・!!」
リドルが何か言っていたが聞こえなかった。
必死に走った。
どこへ向かっているのかなんてわからなかった。
そして枯れた街には私の存在を認識してくれる人間がほとんどいなかった。
空間転移。
私はイギリスの小さな町に帰ってこようとしていた。
全ての始まりの、ラフィスの屋敷で何かがわかる気がしていたからかもしれない。
薄暗い路地裏に光の輪が生まれたと思いきや、ふわっと私が現れる。
すると、私の目の前には黒い猫が座っていた。まるで、私がここに来ることを予測していたかのように、当然といった面持ちで私を見ている。
以前、牧場にいた猫に教えてもらった例の金色の瞳を持つ黒い猫であると、私は瞬時に感じ取った。
その猫は人間の言葉で私に話しかけてきた。
「よう、やっと戻ってきたのか」
金色の瞳を持つ黒猫は私のエメラルドの瞳を確かに捕らえていた。
ここから佳境に入っていくので次に続いてしまいます。