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第四話「思い出の炎」

 雪というのは春先にはまだ大分積もっているものだ。

 北国ならなおさらのこと、北風が道を駆け抜ければ、私はそれだけで毛が逆立ってくる。

 足の裏の感覚はもうすでにない。後ろを振り返れば、雪の上に着いた私の足跡が憎らしく感じる。

 ふと目の前を見ると、大きな屋敷が一つ、他の建物にプレッシャーを掛けながら建っている。門から玄関まで数十メートルはある。

 私はひとまずその屋敷に避難することにした。塀を登り、庭に降りる。

 そして玄関の扉の鍵を魔法で開け、扉を開く。中からの心地良い温風が私の体を包み込んだ。

 屋敷の中は綺麗な模様の絨毯が敷かれ、多くの扉があった。

 私は屋敷の中へ入るとまず、暖炉の在りかを探した。

 広い屋敷だったが、暖かいほうを探したら暖炉はすぐに見つかった。

 人の気配がしないのが多少気になったが、私は赤く燃える暖炉の前に座って体を暖めることにした。

 いつの間にか、私は眠りに落ちていた。しばらくして目を覚ましてみると、暖炉のそばの腰掛けに腰の曲がったお婆さんが腰を掛けて寝ぼけ眼の私を見ていた。

「起きたようだねぇ」

 お婆さんが私に話し掛ける。

「どうやって入ってきたのかは知らないけど、まあいいわ。ずいぶん綺麗なエメラルドの瞳をしているわね。せっかくなんだから、ご飯でも食べていきなさい」

 お婆さんは立ち上がると、杖をつきながら台所へと歩いていく。

 しばらくして持って来たのは湯気のたったラム肉のグリルだった。

「どうぞ、召し上がれ」

 私は遠慮なくラム肉を頬張った。が、猫舌の私は一度口から離し、冷めるのを待つことにした。その様子を見ていたお婆さんは微笑んでいた。

「あらあら、ごめんね。熱かったかしら」

 お婆さんは腰掛に座り、私のことを眺めていた。

「食べながらでいいから、聞いてもらえるかしら?」

 何かを話し始めようとしていた。

「私は昔、とても素敵なお爺さんと住んでいたのよ」

 そう言うと一息おいて私の目を見て、今度は暖炉の火を眺めていた。

 外はいつの間にか雪が降り始めていた。

 粒の小さい粉雪はこの屋敷に積もっていく。

 そして白い屋敷は、夕日に照らされて鮮やかなオレンジ色になっていた。



 北国っていうのは乾燥している。そして寒いから暖炉を使う。

 この街は昔から多くの火事があったのよ。

 私の最愛の人は消防士だった。消防隊の隊長を務めていたわ。

「おい、今日もいつ火事があるかわからない。俺は署の方に行っている。家を頼んだぞ」

 お爺さんはもう六十手前の老体だったけれど、まだまだ現役だったの。

 お爺さんは結婚してから、家にあまり帰ってこなかった。

 交際をしていた時は毎日の様に会って、愛を確かめたりしたのに。

 残念なことに、私は子供を産めない身体だったの。

 広い屋敷に私は独りぼっち。私は寂しかった。でも、お爺さんが家を出るときに必ず言う言葉があったの。


「この家を守るのはお前じゃないきゃ駄目だ。よろしく頼む」


 この言葉があったから、私は寂しさに耐えられた。どこかで彼と繋がっていられると思ったの。

 でも、事件が起きたわ。

 街に火事が起きるのは日常茶飯事だったけれど、相当規模の大きい火事が起きたの。

 お爺さんは現場へ行ったわ。そして、帰らない人となった・・・。

 後で消防士仲間の人に教えてもらった話だけれど、お爺さんは建物の中に残った女の子を救出するために自ら火の中へ飛び込んだの。そしてボロボロになりながらも女の子を見つけ出し、三階のベランダから女の子を抱えて飛び降りた。お爺さんが下敷きになって女の子は軽傷で済んだわ。でも、お爺さんはその老体に負荷がかかりすぎて動けなくなってしまったの。すぐに病院に搬送され、私も連絡を受けてすぐに病院に駆け込んだわ。

 病室で、お爺さんはすでに昏睡状態になっていたの。

 私は一晩中お爺さんの手を握っていたわ。

 朝になって、お爺さんが奇跡的に意識を取り戻したの。最期の言葉を残すために・・・。

「ぉ、女の子は・・・ぶ、無事か?」

 私は涙を流しながら頷いたわ。

「よかっ・・・った。・・・・・・、ウェイサ、愛し・・・ている・・・よ・・・」

 最期の言葉に私は泣き崩れたわ。私の名前を呼んで「愛してる」って。本当に嬉しかったわ。

 それから、私は女の子の病室へ行ったの。

「元気かしら?」

 女の子は暗い表情で無言のまま頷いたわ。

 女の子の家族は全員、この大火事で死んでしまったの。だから、私は一つの決心をしていた。

「名前は?」

「・・・・・・ミーア」

「そう、ミーアはこれからお婆ちゃんと住まない?」

 ミーアの目はまん丸くなって私のしわくちゃの顔を見ていたわ。

「え?お婆ちゃんと?」

 ミーアは初対面の私を見て何故だか安心した表情を見せてくれた。

「うん。私、お婆ちゃんと一緒に住む」

 それからこの屋敷には私とミーアの二人で住むようになったの。

 もう十年も前の話よ。



 ガチャ。


扉の開く音と共に美しい女性が暖炉のある部屋へと入ってきた。

「おかえりなさい、ミーア。寒かったでしょう?」

「そうね、雪も降っていたから・・・あら、その猫はどうしたの?」

 ミーアはすでにラム肉を食べ終えていた私を見て首を傾げる。

「昔話を聞いてくれたお友達よ」

 お婆さんが優しい声で私を見ながら言う。

「そう、いらっしゃい黒猫さん」

 ミーアは私の頭を一度だけ撫でるとお婆さんの方を向いた。

「そうだわ、明日の結婚式、この子も連れてきてよ」

「あらあら、気に入ったのね。わかったわ。私が連れて行くから。それより、明日の準備はもう大丈夫なの?」

「大丈夫よ。あとは火事が起きないことを祈るだけ。フラムったら結婚式よりも火事の方が大事だって言うのよ。どっかの誰かさんみたいよね」

 二人でフフフと笑う。

 どうやら明日、ミーアの結婚式があるようだ。そして、私もその結婚式に参加することがここで決まった。

「もう、冗談ばかり言ってないで早く寝なさい」

 お婆さんが部屋からミーアを送り出し、私を見る。

「今夜は寒いから、この毛布の中で寝なさい」

 厚手の毛布が私に渡される。私はお婆さんの言葉に甘え、その毛布に包まって眠ろうと思った。

 外の雪はもう止んでいた。

 白銀の煌く世界に赤は似合わないと私は思った。



 次の日、教会に足を踏み入れた私は、各所からの視線を浴びていた。

「あら、迷い猫かしら?」

「結婚式に黒猫なんて縁起が悪いわ」

「なんでもお婆様が連れてきたらしいわよ」

 などと大変失礼なことを言われたが、私は特に気にしなかった。

 私が気にしたことといえば、ミーアの相手のフラムという男が未だ教会に到着していないという事だった。

「大変だ!町外れの民家で火事だ!」

 背の高い男が教会に飛び込んできた。

「そんな・・・。あ、フラムは大丈夫なの?」

 ミーアの顔が真っ青になる。

「どうやら、中の人を助けるために火の中へ飛び込んだらしい!」

 ミーアはその場にしゃがみ込んでガタガタと体を震わせていた。自分の記憶に対しての恐怖なのだろうか、それとも愛するフラムの危険を感じたのだろうか。その様子を見ていたお婆さんがミーアに駆け寄る。

「・・・フラムを信じましょう」

 お婆さんはミーアを抱きしめながらそう言った。

 気付いたら私は走り出し、教会を飛び出していた。

 町外れの家はすぐにわかった。遠くからも黒い煙が出ているのがわかったからである。

 家は炎に包まれていた。

 私は迷わず家に飛び込んだ。

「おい、なんだあの猫!あぶねぇぞ!」

 消化中の消防士が叫んだが、私は気にも留めなかった。

 家の中はむせ返るほどの熱気に帯びていた。人間では助からないんじゃないかと私は思う。私は人の気配を探りながら家の中を進んで行った。

 二階の奥の部屋に二人の人間がいた。

 一人は消防士、一人は家の人だろうか。片方がフラムだということはすぐにわかった。

 未だ二人は生きていた。が、家の人は足を怪我しており、歩くことが出来ないでいる。

「な、なんだ?猫?」

 フラムが私を見る。息をするのも辛そうな表情である。

 私は仕方なく魔法を使うことにした。

 エメラルドの瞳が光り、部屋中を覆う。

 すると、家を覆っていた炎は全て実体ではなくなり、部屋の温度は急激に低下していった。

「ん?苦しくない。熱くもないぞ?」

 未だ炎は燃え盛っていたが、それはあくまで虚像であり、いずれ自然に消えていく魔法だなんてことを私以外誰も知らない。

 フラムは、これはチャンスと思ったのか、家の人を担ぎ玄関へと急いだ。

 私はその様子を確認してから、ゆっくりと家の外に出る。

 奇跡的に二人共軽傷ですみ、フラムは現場から教会までそのままの格好で直接むかった。

 ちょうど雪が降ってきて、それと同時に家の炎は静かに消えていった。



 結婚式は意外とスムーズに執り行われた。

 教会に飛び込んできた新郎は、早急に着替えを済ませ、息を切らせながら新婦の横に立っていた。

 私はひっそりと教会に忍び込み、その光景を見ていたが、ミーアは満面の笑みで、とても美しかった。白いドレスはまるで雪のように優しく、ミーアの顔は炎の様に紅潮している。

 お婆さんも嬉しそうに笑っていたが、その目には涙を浮かべていた。昔の自分でも見ているかのような眼差しである。

 ここに、二人の若人は浅い口づけを交わし、結ばれることとなった。

 式の後、お婆さんが私の姿を探していたのはわかったが、私は一声鳴いただけで教会を後にした。

「ありがとう・・・」

 最後にお婆さんの声を確かに聞いて、私はまんざらでもなかった。

 白銀の煌く世界に赤は似合わない。

 私は再びそう思って、主人を探す旅を続けた。



「あの時、確かにエメラルドの瞳をした黒猫が立っていたんだ」

 フラムは私に強調して言った。

「きっとあの子に間違いないわ。あの子があなたを助けてくれたのよ」

 私は優しい声でフラムに言う。

「俺もそう思うよ、義母さん。あの猫の瞳が光ったと思ったら、炎が熱くなくなったんだ」

「もう、フラムったらそればっかりね」

 ミーアが隣の部屋からお茶を持ってやってきた。

「大事なことよ。フラムの話が本当なら、あの子のおかげで、あなたたちは無事に結婚できたのだから」

 両者はお互いを見つめて頷きあう。

 私は二人に昔あった出来事を一つだけ話し始めた。


 私はあの黒猫の瞳を以前どこかで見た覚えがあるの。

 お爺さんがまだ生きていた頃、街で私が歩いているところに一人の少女が道端で泣いていたの。

「どうしたの?迷子かしら?」

 私が優しく少女の頭を撫でると、少女は私の顔を見てこう言ったわ。

「おうちにかえれなくなっちゃったの。すこしやすめばへいきだとおもうけど、さむいし、おなかすいたし、さみしいし・・・」

 少女は鼻声で私にそう言った。

 少女の瞳はエメラルドに輝いていて、とても美しかった。本当に印象的な目だったわ。

「じゃあ、私とどこかでお茶でも飲んで休みましょ?」

 私がそう言うと少女は黙って頷いたわ。

 私達は近くの喫茶店でお茶を飲むことにしたの。

「おいしい?」

 私が聞くと、

「・・・うん」

 少女は私の目を見て頷いたわ。

 しばらくすると、少女がおもむろに立ち上がったの。

「もうだいじょうぶ。わたし、かえらないといけないから」

 そう言うと喫茶店のドアの所まで歩いていって、

「ありがとう」

 の言葉だけを残してどこかへ行ってしまった。

 あの少女のエメラルドの瞳と、あの黒猫のエメラルドの瞳の印象がとても似ていたから思い出しちゃったわ。

 あの子、元気かしら・・・。


「きっと、その少女があの黒猫だったのかもしれないね」

 ミーアが笑顔で言う。

「それはロマンチックな話ね、まるで魔法の世界だわ」

 フフフと三人で笑う。

 あの黒猫、元気かしら・・・。

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