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第三話「別れの豚」

 アメリカという国は広い。

 欧州諸国では考えられない大きさだ。もちろんロシアを除いて。

 都会の方は空気が汚れていて私好みではないが、少し田舎の方へ行くと一面が草原となっていて、牛やら豚やらが飼われている。空気もおいしい。

 この辺に来ると民家が少ない所為か、まず食事に困ってしまう。

『お前、[太陽の黒猫]だろ』

 荒れたでこぼこ道を歩いていた私に、後ろから声をかけてくる白い猫が一匹。

『私の通り名を知っているとは光栄だ。あなたは?』

 私は首だけ後ろに向けて、歩くのはやめずに白猫に猫の言葉で答えた。

『やっぱりそうか。そのエメラルドの目を見てそうじゃないかと思ったんだ。俺はジャン。この近くの牧場で飼われている猫さ』

 ジャンと名乗った白猫は説明口調で私に言う。

『私はサン。私を見て何も思わないのか?』

 私は歩くのをやめて、体ごとジャンの方へと向けてから訊く。

『サン・・・か。確かに[太陽の黒猫]といやぁ、猫の間では怖がられてるようだが、俺はそうは思わないだけさ。・・・サンは腹が減ってないか?よかったらご馳走するぜ?』

『・・・何故?』

『せっかく[太陽の黒猫]に逢えたんだから、もてなしくらいするさ』

 私は首を傾げたが、とりあえずジャンの言う通りにして彼の牧場についていくことにした。



 牧場は小さかった。それ以前にボロボロだった。

 この辺の大きくて綺麗な牧場に目がなれていた所為か、ひどくこの牧場が哀れに思えてくる。

『まぁ、見た目はボロボロだけど、ここの主人はとてもいい人なんだ。動物に優しくてさ』

 見渡すと、小さい囲いの中に豚が一匹とボロボロのぎりぎり雨が防げるくらいの鳥小屋に鶏が五羽いるだけ。牧場と本当に呼んでもいいのかと思うくらいの動物の少なさ、そして施設の規模の小ささだった。

『これは、一般人の趣味じゃないんだね?』

 念のために訊いておく。

『もちろん。ただ、ここの牧場は見ての通りとても貧乏なんだ。今いる豚もその内出荷されるだろうけど、主人が溺愛していてね。エサも不充分だし、なかなか出荷しないんだ』

 悪循環。ただそれだけを私は考えた。

『あ、あそこにいるのが俺の主人だ』

 ジャンの視線の先には太った穏やかな顔をした男が立っていた。ジャンの方を見ている。というか、一緒にいる私を見ているのかもしれない。

 ジャンの主人の足元まで来て止まる。

「ジャン、おかえりなさい。お友達かな?すぐにご飯をだしてあげよう」

 その優しい表情が印象的だった。本当に動物のことが好きなんだとすぐに私は認識できた。

 そしてジャンは「ご飯」という言葉だけを理解したのか、

『な?いい人だろ?』

 と言う。

『あの人はここの牧場長なんだけどさ、独り身でさ、たった一人でこの牧場を経営してるんだ』

 例え一人でも十分にやっていけそうなくらい寂しい施設だったが、

『それはすごいね』

 と表向きでは返した。

 すると、ジャンの主人がエサを持って歩いてきた。持っていたのは鶏肉だった。

『昨日までは六羽いたんだよ』

 ジャンの解説が入らなくても想像はついた。

「お食べ、ここの鶏肉はおいしいぞ」

 確かに脂がのっていておいしかった。私とジャンはペロリと鶏肉をたいらげる。

 牧場長が私の目を見つめて言う。

「綺麗なエメラルドの目だね。それに女の子か。ジャン、ガールフレンドを連れてきたのか?」

 ジャンは主人に誉められていると思ったのか、甘い声で鳴く。

『私は別にジャンのガールフレンドではないからな』

 私はつい口に出してしまった。突然の私の言葉にジャンは不思議そうな顔を私に向ける。

『・・・お前、人間の言葉がわかるのか?』

 私はジャンの顔を見ず、無言で頷く。

『そういえば[太陽の黒猫]は魔法使いだったもんな』

 どこで手に入れた知識かは知らないが、[太陽の黒猫]が世間ではどういう認識になっているのか少し疑問に感じた。

『そうだ、魔法使いならさ、この牧場を助けてくれよ』

 私は一瞬怪訝そうな顔をしたのかもしれない。

『・・・なんて、うまい話はないよな』

 私の返事を聞かずにジャンは頭を垂らして残念そうに言う。

『私はまだ何も言ってないだろう?』

 ジャンの頭が持ち上がり、私の目を見つめる。その目はどこか希望に溢れているようなキラキラとした目だった。

『頼む!俺は主人のことを助けたいんだ』

『考えておくよ』

 とだけ言って、私は一匹で周辺の散策に出かけることにした。

 汚染されていない澄んだ青の空と、それが1つの立派な色として確立した白い雲を眺めながらぷらぷらと歩いていた。



 随分長いこと歩いていた。

そしてそこに主人と豚がいるのを発見した。

「あぁ、なんて可愛いヘロン。君にもっとご飯をあげたいんだが、どうもうちの牧場にはお金がないんだ」

 主人がヘロンと呼ばれた豚の頭を撫でながら言う。

『ねぇねぇ、ご飯食べたいな』

 豚がブーブーと鳴く。

「よしよし、わかってくれたんだね。どうやったらお金が手に入るんだろうなぁヘロン?」

『今日のご飯は何なの?』

 当然ながら、主人とヘロンの会話はまるで噛み合っていなかった。

 私はその光景がえらくおもしろかったのだが、反面、気の毒でもあった。

 いっそ主人を出荷したほうが儲けられるのでは・・・なんて考えたが、冗談にならないので心の奥にしまうことにした。

 主人がヘロンの元を離れた時、入れ違いに私はヘロンの元へ歩いていった。

『やぁ、サンだね?ジャンから話は聞いてるよ。この牧場を助けてくれるんだってね?』

 ジャンの中ではすでにそう決まってしまったらしい。

『そうだな、君がもっと太っていて、もっと脂がのっていて、もっと見た目が良かったら、この牧場は再建できるかもしれないのにな』

 私は頭の悪そうなヘロンに嫌味口で言う。

『・・・そうなんだよ』

 急にヘロンの声のトーンが下がる。

『・・・僕がいけないんだ』

 私は悪いことを言ってしまったと思い、

『いや、君が悪いわけじゃないだろう?』

 と誤魔化すが、

『サンは魔法使いなんだよね?お願い。僕のことを太らせてよ。僕に脂をのせてよ。僕の見た目をよくしてよ!』

 私は黙っていた。

『僕はね、人間の言葉はよくわからないけど、ご主人が僕のことを愛してくれているのはすごくわかるんだ。だから、ご主人のためになるんだったらこそ、僕は出荷されるべきなんだ』

 ヘロンの本心の気持ちが私の心の奥に伝わってきた。

『ねぇ、僕に魔法を掛けてよ。お願いだよサン!』

 私は落ち着いてゆっくりと答えた。

『・・・駄目。私は君には魔法を掛けない』

 冷たくあしらう。

 しかし私の中に熱いものが込み上げてくるのがわかった。

 ふと空を見上げると、山陰に沈もうとしている太陽があるのがわかった。

 黄金の草原の中で、黙って私とヘロンはオレンジ色に染まっていた。



 黒くて艶のあるロングの髪の毛。ふっくらとした唇。抜群のスタイル。整った顔。エメラルドの瞳。そして白いブラウスに黒いスーツ、黒いヒールを履いたセールスレディ風の女が、小さなボロボロの牧場の小屋の前に立っている。

 私は、私自身を人間として変化することが出来る。もちろん魔法で。

 牧場の小屋で一晩過ごした私は考えた末、結局この牧場を助けることにした。

「なにか用ですか?お嬢さん」

 主人が出てくる。

「こちらの牧場は酷く傷んでいるようですが、経営の方は大丈夫なんですか?」

 私は一度髪の毛をサラリとなびかせて続ける。

「あなたがこの牧場の牧場長でいらっしゃいますね?」

 主人はキョトンとした顔をしている。私のエメラルドの目に魅入られているような表情だ。

「はぁ、そうですが・・・どちらさまですか?」

「私はソーラーガイダンス社のサン・ブラックと申します。我が社は動物の飼料を研究している会社です。最近、新しい飼料の開発に成功いたしました。こちらがその商品です」

 そう私が言って小さな袋を取り出す。

「こちらは試供品となっておりまして、我が社では現在そのモニターを募集しております」

 小さい袋を主人に渡す。

 主人は袋を眺めながら、

「これだけですか?」

 と私に聞く。

「はい、出荷する前日の晩御飯に、一つまみだけ普段使われている飼料に混ぜていただければ結構です」

「するとどうなるんだ?」

 主人は私の目を見つめてその話に食いついてくる。

「それは、使ってみてからのお楽しみです。もちろん損をさせるようなことはございません。それは、我が社のイメージにも繋がることなので」

 主人が再び袋に目を戻す。

「どうでしょうか?是非あなたのような動物をとても愛している方に使っていただきたいのですが」

 私がとどめの一言を言う。

 その後、少しの緊迫した間があった。

「・・・わ、わかりました。モニターの募集でしたね?その話受けさせていただきます」

 主人は少し考えつつも、モニターの話を快諾してくれた。

「ありがとうございます」

 私は営業スマイルと営業お辞儀をする。

「それでは、もう一度だけ確認させて頂きます。その袋の中身を、出荷前日の晩御飯に一つまみだけ入れていただければ結構です。一つまみ以上は絶対に使用しないでください。絶対にですよ」

 念を押す。

「三ヵ月後にもう一度訊ねさせていただくので、その時に効果のほどを教えてください」

 私はそう言って主人のでこぼこの手と握手をした。

 私は失礼しますと言って牧場を離れた。

 一度だけ振り向いてみると、主人の顔は未だにキョトンとしてこちらを眺めていた。



『さっき、すごく美人な女の人が主人に会いに来たんだぞ』

 ジャンが元の姿で戻ってきた私に知らせてくれる。そして私は訊ねる。

『それでどうしたんだ?』

『よくわからなかったんだけど、きっとご飯の話をしてたんだよ。なんか、小さい袋を受け取っていたし』

『小さい袋?ご飯の話なのに?』

 私は白々しくジャンに訊く。

『ああ。きっと魔法の粉みたいのが入ってるんじゃねぇかな』

 ジャンはワクワクしていた。

 私はそんなジャンにただ相槌を打って、ヘロンの元へ行った。

 そこには主人の姿もあった。

「なぁ、ヘロン。私はどうすればいいんだろうか」

 主人は悩んでいた。さっきもらった飼料を使うということはヘロンを出荷しなければならないということ。

「ヘロン・・・。お前が生まれたのはもう二年も前の話になるんだな。その時はまだ他の家畜もいたな。ヘロン・・・。もしお前が高く売れたなら他の家畜を新しく買える。しかし、ヘロンがいなくなる。私は、私は耐えられないよ。ヘロンがいるからこの牧場は明るいんだ。ヘロンがいるから私は独りでも笑っていられるんだ。ヘロン・・・」

 ヘロンも人間の言葉はわからなかったが、どうやら状況を飲み込んでいるらしい。

『ねぇねぇ、もっと笑ってよ。僕ね、ご主人のためなら出荷だって怖くないんだよ。ほら、笑ってよ』

 人間にはブーブー鳴いているだけに聞こえただろう。しかし、主人の目には涙が溢れていた。

「ヘロン・・・。私はヘロンと離れたくないんだ。私は・・・・・・」

 主人が泣き崩れる。

『ねぇねぇ、ご飯をちょうだい!僕、もっと太らないといけないんだ。ほら、泣いてないでご飯をちょうだいよ』

 ヘロンが鳴く。いや私には泣いているように見えた。

『ねぇ、ご主人?僕はご主人のことが大好きだよ。だから泣かないで。僕のために涙なんて流さないで・・・』

 主人はヘロンを強く抱きしめた。

「ヘロン・・・。明日・・・私と・・・お別れだ。それでも・・・・・・いいね?」

 涙目、鼻声でヘロンに訊く。

『僕は、ご主人のために・・・何でもいいから役に立ちたいよ!』

 ヘロンは一際大きく鳴いた。


 その夜、主人は袋を取り出して飼料に一つまみだけ粉を落とした。

 本当にこれだけで大丈夫なのかと思ったのか、もう一つまみ分だけ粉をつまむ。

「一つまみ以上は絶対に使用しないでください」

 主人の脳裏に私の言葉がよぎったのだろう。客観的に見ていてもわかった。

 指でつまんだ粉を再び袋の中に戻す。

 主人はそのご飯をヘロンにあげて、食べ終わるまで眺めていた。

 そしてその晩、主人はヘロンと同じ豚小屋で一夜を明かした。

 その日の星空は、いつになく切ない黒をかもしだしていた。



 主人が目を覚ますと隣にいたヘロンを見て驚いた。

 そして同時にヘロンも驚いた。


「『太ってる!!』」


 言葉は違えど声を揃えて叫んだ。

 ヘロンの姿は一日で変貌していた。

 ぷっくりと太った胴体に脂ののっていそうな肌の弾力。そしておいしそうな見た目になっていた。

「なんてことだ」

 主人は目を丸くしてヘロンを見ていた。

『やったやった!太ったぞ!ほら、ご主人!僕を見て!この太った姿を見て!』

 ヘロンは大はしゃぎに鳴きつづけた。

 私は主人に渡した魔法の粉の効果を確認して安心していた。あの粉にはもちろん私の魔法が掛かっている。単純に太る魔法ではなく、主人から家畜への愛情を条件に発動する魔法だ。

 昼過ぎに仲介屋、別名解体屋が牧場にトラックでヘロンを迎えに来た。

「ヘロン、お別れだな。今まで私に勇気をくれてありがとう」

 主人は一滴涙を流す。一度だけ強くヘロンを抱きしめた。

『お別れなんだ。迎えがきたんだ。ご主人、僕を大切にしてくれてどうもありがとう。こんな僕でもご主人の役に立てたかな?』

 ヘロンは状況を把握しているのか、その言葉を鳴いた後は静かにしていた。

 主人は離れ、ヘロンはトラックの荷台へと積まれた。

 ヘロンを乗せたトラックが出発するためにエンジンを掛ける。

 私はこっそりそのトラックに乗り込んだ。

 その様子をジャンだけが気付いていた。

『サン、行ってしまうんだな?ヘロンに魔法をかけてくれてありがとう。主人を助けてくれてありがとう。俺、サンのことを忘れないから』

『私は何もしてないよ。魔法を掛けたのは主人の愛なのだから』

『そうだサン。一ヶ月前に、サンに良く似た金色の瞳をした猫が来たんだ。そいつはサンのことを探しているような感じで・・・それから色々[太陽の黒猫]のことを聞いたんだ。知り合いなんだろ?』

『ん?金色?聞き覚えがないが、伝えてくれてありがとう。さようならジャン』

 私がそう言うと同時にトラックが動き始めた。

 エンジンの振動が私には不快なものだったが、移動には便利なのでヘロンと途中までご一緒させてもらうことにした。

 トラックの中で私は考えた。

 聞き覚えのない情報。金色の瞳。しかし、いっこうに答えが出なさそうだったので私は考えるのをすぐにやめた。

 そして私は、私の主人を探す旅を続けた。



「最高級の豚だな」

 そう言われると私はうれしくなった。

「そうだろう、当然さ」

 私は仲介屋からお金を受け取り、そのお金で新たな家畜を買った。そしてある程度育った時にこの魔法の粉を一つまみ与える。

 私は瞬く間にお金持ちになっていた。施設を綺麗にしたり、ジャンのご飯を豪華にしたり、新たな家畜を買ったり・・・。

 しかし、私は牧場を改築しようとは思わなかった。いい家畜を作るためには、全部の家畜を平等に、そして全力で愛することが大切だと思ったからだ。

 私には妻が出来た。そして子供が出来た。私は幸福を掴み取った。

 今でもずっと思う。全てはヘロンのおかげなのだと・・・。


 ある日、私は牧場経営仲間に「ソーラーガイダンス社」と「サン・ブラックという美人な女性」についてを訊ねてみた。すると、

「ん?なんだ?そんな会社も人も聞いたことねぇよ」

 どの牧場関係者もそう答えた。私は変に思い、その社名を調べてみた。

「そのような会社は元々存在いたしておりませんが」

 電話越しの女の人が綺麗な声で丁寧に説明してくれる。

 私は私の手の上にある小袋を眺めた。小さい袋には、まだたくさんの粉が入っていた。私は、きっとこれは魔法の粉なんだろうと思うことにした。

 ジャンの連れてきた黒猫の魔法。私があげた鶏肉のお礼。

 あのエメラルドの瞳が全てを物語っていた。

 私はそう思うことにした。

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