第一話「独りの女」
プロローグ
私は、代々昔から由緒正しきイギリス魔女に代々仕えているカレイド・サン・クルジャー家の末裔。エメラルドの目、尖った爪、真っ黒のショートヘア、そして自慢のピンと張った尻尾――――――――――何か変かね?
何も変な所はないはずだが。なぜなら私はどこまでも猫らしくない猫なのだから。
何故猫らしくないかと言えば、まず魔法を使う事ができる。これはこの家代々の特殊能力、血統書付きとも言えよう。そして私は人の言葉を知っている猫だ。もちろん喋ることなんて容易い。
普通の人から見れば私はかなり万能に近い存在だろう。そう、姿形以外は。
それが『太陽の黒猫』と恐れられている私なのだから・・・。
私の名はサン。
私の主人は当然魔女である。
彼女は突然私の日常から消え去ってしまった。
「ちょっと出かけてくるね」
その軽い一言が最後に聞いた言葉だったと記憶している。
彼女は一体どこへ行ったのか。
私も旅に出ようと考えた。
主人を探す旅。
生憎世界は広い。
ただの人間を探すならまだしも、魔女は世界中を飛び回る。
イギリスの屋敷でジッと待っていた方が得策かもしれない。
しかしそれでは私が退屈してしまう。
結局私は私の暇つぶしのために旅に出ることにした。
第1話「独りの女」
太陽の光が心地よい。
今日が休日だというのに人の通りが少ないこの道の塀の上は、遮るものがなくて静かで好きだ。
最近は日本の初夏の蒸し暑さが嫌になるが、今日にかぎっては風があるからか嫌にならない。
しかし、黒い毛皮というのはどうもいけない。太陽の光を吸収しすぎる。
確かに10分くらいは心地良いのだが、それを超えると暑く感じる。
「君は、捨て猫かな?」
突然の言葉に塀の下を覗くと水色のワンピースを着た女が一人、こっちを見上げて立っていた。
どうやら私に話し掛けてきたらしい。
私はすぐに視線をかえた。彼女に興味が湧かなかったからである。そもそもちょっと休憩をしていただけで、私は早く主人を探さなければならない。
「捨て猫なんでしょ?首輪してないし」
彼女は勝手に話を進めている。
「私の家においでよ。ご飯あげるから」
立ち上がろうとしていた私を、背伸びして塀の上へと手を伸ばし、簡単に抱き上げる。
「熱いね。なんでこんなに暑いのに日陰で寝てないのよ?」
抱き上げた私を見つめて彼女は言う。
だからもう移動しようとしていたというのに。
しかし私は抱き上げられても抵抗しなかった。ご飯を食べさせてくれるというのだから、行かない手はない。野良の世界でご飯を手に入れるのは面倒くさいから。
私はそのままおとなしく彼女に従って、彼女の家まで連れて行かれた。
彼女の部屋は古びた『ペット禁止』と書かれたアパートの二階だった。
部屋の扉の横の表札には「吉田」と書かれているのを私は見た。
そそくさと誰にも気付かれないように自分の部屋へと逃げ込む。
ガチャリ
彼女が部屋の鍵を閉めて安心している姿を私は腕の中から覗き込んだ。
「ふぅ、これで大丈夫だね。あ、そうだそうだ、ご飯だったね。今準備するから待ってて」
そう言うと彼女は私を降ろして、台所へと駆け込む。
日本の家屋というのは変わっている。玄関で靴を脱いでから中に入るシステムというのは欧米では考えられない。靴を脱ぐのなんてベッドの上くらいなものだ。私だって主人からベッドの上だけは乗っちゃいけないと言われていた。
私はその辺に落ちていたタオルで足を丁寧に拭いてから彼女の部屋を見渡した。
お世辞にも綺麗な部屋ではなかった。そして広くもなかった。こういう部屋の構造を1DKと言っただろうか。
とりあえず部屋中に服やら本やら下着やらが散乱していて、一見、人間なら足をつくスペースすらないほどだ。
一体どこに身を置けばいいのか迷ってしまう。
「あ、その辺に適当に座ってて」
まるで人間を相手にしているような言葉。
私はちょうど私の大きさ分だけ何もない所を見つけて、そこに腰を降ろした。
「ほら、商店街のくじ引きで当たった高級な猫缶だよ」
そう言いながら私の前に置かれたご飯は確かにおいしそうな匂いである。しかし私はすぐには食べない。やはり礼儀というか、彼女の承諾を得るまでは食べてはいけないと感じたのだ。
私の口の中はもうすでに唾液が充満し、大洪水寸前の状態だ。
「ん?食べないの?召し上がれ。おいしいよ、たぶん・・・」
召し上がれの言葉を待っていましたと言わんばかりに私はご飯に食べついた。
「わぁ、お腹すいてたんだね」
彼女は目を丸くして私を見つめている。
やはり人間とは違い、一度ご飯を食べ始めてしまうと周りが見えなくなってしまうのが猫というものだ。
一瞬の内に食べ終えた私は、再び部屋を見渡して気付いたことがあった。
まず、彼女は学生であるということ。ベッドの脇のハンガーに最近この辺で見たことのある制服が掛かっていたからである。
次に、彼女は間違いなく一人暮しということ。狭く散らかった部屋からは彼女以外の匂いを感じなかった。
そんなことを考えていると、彼女が私の横に座る。そして私を私の顔と彼女の顔が向かい合うように抱き上げて腕を伸ばし、ある一定の場所を凝視していた。
「あ、女の子だったんだぁ」
その行為に関して、私は別に何も感じなかった。前にもやられた経験はある。その時に思ったのは、なんて人間は無礼な生き物なのだろうということだけ。
「君の名前を考えたんだけどさ、ビターでどう?ずっと男の子だと思ってたから帰り道にこれがいいやって思ってたんだけど、女の子でも全然普通の名前だよね?」
彼女は私をビターと呼んだ。
私にはちゃんとした名前があったが、それを言う必要もなかったので何も言わなかった。
「なんでビターかって言うと、今日初めて抱き上げた時にまるで溶けそうなくらい熱かったイメージが強くてね、だからなんかチョコみたいだなぁって思ったの。それで黒いしビターがいいって思ったんだよ」
彼女は私に力説してくれたが、人間というのは哀れだ。もし私以外の猫ならば、全く理解できない話をしていることになるのだから。
しかし、彼女はえらくその名前が気に入ったようで、私にむかってビターと連呼している。私は彼女の顔を見ていたが、飽きてきたので窓の外を見ることにした。
緑の少ないコンクリートジャングルの広がる景色。
さっきまで出ていた太陽はすっかりドス黒い雲に隠されてしまっていた。
蒸し暑い空気が世界を支配する。しばらくすると夕立が降ってきた。
私は激しく降り注ぐ雨を見ながら、ご飯をご馳走になるという自分の選択が正解だったと確信した。
そして彼女の部屋の隅の方で静かに眠りにおちた。
彼女は急いでいた。恐らく学校なのだろう。制服を身にまとい、青い学生鞄を持って、茶色いローファーを履いて家を出ようとしている。
「大人しくしててね。学校終わったらすぐに帰ってくるから」
そう言ってドアを閉めてしまった。もちろん鍵も。
私はもう一度部屋を見渡した。
倒れたゴミ箱が偶然目についた。
[死ね死ね死ね死ね死ね死ね―――――――――]
そう書かれた手紙がグシャグシャにされて無造作に入っていたからである。なんて安易で低能な手紙だろう。
彼女はイジメにあっているのかもしれないと咄嗟に思った。
どうせ退屈だった私はそのことに若干の興味があったので、家を出て学校に行くことに決めた。
ドアの前に立ち、ドアを私のエメラルドの瞳が見つめる。
ガチャリ
ガチャ
鍵とドアがまるで自動ドアのごとく開く。このくらいの魔法なら寝ていても出来る、などと自信を持って言える。
私は家を出て鍵を同じ容量で閉めてから学校へと向かった。
外に出て感じたことは、昨日の雨はやはり夕立だったということ。都会のくせに空は澄んでいて、私を飲み込んでしまいそうなほどの青だった。
学校の場所はすぐにわかった。彼女が出て行ってから間もなかったので、彼女の学校の学生が登校しているのをすぐに見つけたのだ。その学生を塀の上から追った。
学校は割と近くにあり、学校名を見てふと思い出す。
一昨日くらいだろうか、この学校の評判を耳にしたことを。
「あそこの高校は毎年T大合格者を何人も輩出する有名進学校なのよ。なんかね、地方からも、こっちの方に出てきて一人暮らしとかしてまで通う人がいるらしいわよ。すごいわよねぇ」
小太りのおばさんが世間話をしているのを耳にはさんだだけだったが、彼女もおそらくそういった事情の生徒の一人なのだろう。
学校内に入ると、校舎内が見えそうな適当な木を見つけて登った。
そしてようやく彼女を見つける。彼女は教室の真ん中辺りの席で、つまらなさそうに険しい顔をして授業を受けていた。
数分後に私は確かに見た。彼女の後ろの方から彼女に向かって紙くずを投げる茶髪の女の姿を。
彼女はつまらなさそうにしていたのではなく、嫌がっていたのだ。
周りの生徒は何も言わない。先生は授業に熱中していて気付いていない。いや、気付いていても見ないようにしているようだ。
人間とはなんとも哀れな生き物か、と私は思う。
興味があったとはいえ、見たくもない人間の愚かさと、あの手紙の事実を垣間見て私は気分が悪くなった。
そして私は学校の全ての授業が終わる前に帰った。彼女の部屋に。
彼女が部屋に帰ってきたのは、もう青と黒の世界が赤の世界を飲み込もうとしている時だった。学校が終わったらすぐ帰ると言っていたわりには遅すぎる帰宅。
「ただいま・・・」
言葉に今朝ほどの元気がみえない。
私は彼女の足元の変化に気付いた。学校の上履きを履いている。茶色いローファーはどうしたのか。例の茶髪の女に隠されでもしたのか。
彼女は私の横に重い腰をゆっくりと降ろした。衣服が下敷きになっていたが、気にしている様子はない。
「私ね・・・学校が楽しくないの」
おもむろに猫に向かって話し出した。もうすでに泣きそうな顔である。
「私ね、ある女の子のグループからイジメを受けてるの。今日もね、授業中に紙くずを投げられたり、休み時間、私がトイレに行ってる間に机に悪口が書かれてたりしたの・・・」
それは知っていた。私が目撃した出来事である。
「でもね、そんなのはまだいいの。今日、ビターに会いたいから早く帰ろうと思ったら・・・」
彼女の瞳には溢れんばかりの涙が滲んでいた。
「私の靴がなくてね、手紙が入ってたの・・・。手紙には何か地図みたいのが書いてあって、それでその通りに行ってみたら、また手紙が落ちてたの」
その話のオチが私には見えていた。上履きで帰ってきた彼女がここにいるから。
「何回目の手紙だったかは覚えてないけど、その手紙にはただ『バカだね』って書いてあるだけだった。そこで私はやっと気付いたの。隠された靴は帰って来ないんだって」
鼻声が散らかった部屋に響く。
「私ね、田舎から勉強したくてこっちに出てきたばっかりで、まだ友達もいないし、先生に言ったらもっと酷い事するって脅されたの。だから、誰に相談すればいいのかわかんなくて、親にも心配掛けられないし・・・」
彼女はそれから泣いているだけだった。私はそれを見ていることしか出来なかった。いや、正確には見ているという選択肢を選んだ。今は、ただ見ているだけ・・・と。
彼女が私を拾ったのは、独りぼっちという寂しさを紛らわすためだったのかもしれない、と私は静かに思った。
翌朝、彼女は笑顔で私に言った。
「今日こそは早く帰ってくるからね」
そう言って家を飛び出す。
その顔は確かに笑顔だったけど、頬がまだ赤く、目も充血しているように私には見えた。
私は再び学校へと向かった。そして再び同じ木の上から彼女を眺めた。
気づいたことは、彼女の隣の席の女がたまに彼女を心配そうな目で見ている、ということ。
ちょっと体育会系っぽいショートヘアの女は、クラスでも中心人物らしく、クラスをまとめ上げていた。
私はそのショートヘアの女を利用することを考えついた。見た目は喧嘩も強そうだし、ちょうどいい。
そして、そのショートヘアの女が昼休みに渡り廊下を歩いているのを見計らってその女の目の前に飛び出た。
「ん?猫?どうしたのさ、ここはお前が来るとこじゃないよ」
しゃがんで私に目線を合わせてから優しい声で話し掛けてくる。
私は女の目を見た。私のエメラルドの目が女の目を見つめる。そして、女に魔法を掛ける。
『今すぐ下駄箱に行きなさい。そしてあなたがすべきことをしなさい』
私はショートヘアの女の脳に直接この声を響かせた。
女は焦点が合わないままの表情で、下駄箱へ向かって走り出した。
魔法を掛け精神に干渉した時あの女の心理を読み取ったが、ずっと彼女のことを助けたかったようだ。しかし、そのきっかけがなかった。そして勇気がなかった。
だから私がその欠けていたきっかけと勇気を女に与えたわけだ。
私はショートヘアの女の後を追って下駄箱へ向かった。
人気のない下駄箱では茶髪の女とその部下たちがちょうど彼女を取り囲んで楽しんでいる最中だった。
彼女はただ怯えた顔で縮こまっている。その瞳には涙すら滲んでいる。
そこにショートヘアの女が自慢の脚力を生かして走ってきた。
「あんたたち!吉田さんになにしてんの?!」
ビシッと指をさして仁王立ちをする。
私は物陰からその様子を見ていた。
「げっ、橘かよ。ぉ、お前こそどうしたんだよ。別に私たちは何もしてないけど?」
茶髪の女が他の女子に同意を求めながら言う。
「もう先生にも言ったんだからね!多分もうすぐ来るよ」
「あんたチクッたわけ?」
「そうよ、当然でしょ。なんでこんなことするのよ?」
「なんでって、別にあんただって今まで何も言わなかったじゃない。大体、ちょっと成績がいいからって調子に乗ってる吉田が悪いのよ」
茶髪の女自身が意味わからないといった困惑した表情で訴えている。筋が通っていないのを自分でもわかっているようだ。
つまり、それは誰でもいいからとりあえず誰かに自分の不満を形としてぶつけたいがための言い訳であって、その相手としてたまたま友達のいない彼女が狙われたわけだ。
「意味わかんないでしょ!ほら、早くどっか行きなさいよ!先生来ちゃうわよ!」
ショートヘアの女、もとい橘が茶髪の女たちを威嚇する。
「覚えてなさいよ吉田!かならず仕返ししてやるんだから!!」
茶髪の女のグループは彼女にそう言い放つとどこかへ走って行ってしまった。
「大丈夫?」
橘が怯えている彼女の肩に手を乗せる。
「あ、ありがとう」
彼女は未だ状況がよく飲み込めていないようだった。
「ちなみに先生にチクッたってのは嘘だから。でも、これからでもいいから先生に相談したほうがいいと思うよ」
「あ、あの、どうして助けてくれたの?」
彼女は恐る恐る橘の目を見て訊く。
「本当は、私もなんでここに来たのかよくわかんないんだけど・・・。でも、今までずっと黙って見ててゴメンね。勇気がなかったんだ、私」
「ううん、本当にありがとう。私、どうしたらいいかずっとわかんなくて、友達もいなかったし・・・。だから、すっごい嬉しいの」
彼女が学校で涙を浮かべながらだけど、ちゃんと笑っている顔を私は、いや橘も初めて見ただろう。
「あんただってそういう顔できんじゃん。それに、私がもう友達だよ」
私はその言葉を聞いて、ようやく安心していた。もう大丈夫だろう。
私はただ彼女にはお世話になったからお礼をしただけ。そう、ただの礼儀だ。
ふと私は自分自身の目的を思い出した。
そういえば主人を探さなければいけない。
私はその場で一声「ニャー」とだけ鳴いてその場を後にした。
その日は特に暑かった。
私にとってセミの鳴き声も耳には慣れた音となっていた。
あの日以来、私の前からビターは姿を消した。
最後にあの場で聞こえた猫の鳴き声はきっとビターの声だったのだと私は思う。
「あのね実はあの時、下駄箱に向かう前にね、黒い猫に逢ったの」
冷房の効いた教室で、橘さんの声に私は反応する。
「その猫を見た瞬間になんか嫌な予感がしてね、それで下駄箱に走ったのよ」
橘さんはオーバーなアクションで私に説明してくれる。
「それで私を助けてくれたんだ」
私が返す。
「そーゆーこと!あの黒猫はきっと運命だったんだね」
自身満々の顔で橘さんは言う。
「うん、私もそう思う!きっと幸運の猫だったんだよ」
あの出来事以来、私には友達ができた。橘さんはもちろん、橘さんの友達も私と話をしてくれるようになったし、遊びにも誘ってもらえるようになった。
一方、私をイジメていた茶髪の北村さんはもう茶髪ではなくなった。
元々先生に茶髪ということで目を付けられていたのだけれど、私の件でついに呼び出しをくらったのだ。そして、黒髪にして学校に来た時はクラス中がビックリしていた。
「・・・ごめんね」
黒髪に染めてクラスに入ってきた北村さんは、まず私にそう言った。私は頷いただけだったけど、きっともう北村さんからイジメられることはないだろうなって思った。
今では一番の友達がなんと北村さんだったりする。
そして私は時々思う。
ビターはきっと魔法使いで、ご飯のお礼に私を助けてくれたのだ、と。
そして今もビターは世界のどこかで誰かを助けているんだろうな、と。