08
庭でそよそよと緩やかな風に揺られるバラの花を眺めてお茶をする。
「バラ、好きなのか?」
同居人、というか下宿の子が不思議そうに声を掛けてくる。
その質問こそ不思議だとは思うけれど、会話の糸口としては細く柔らかな糸だ。
生活になんら必要でない問いかけもここでは尊い。
「私の生活を長閑にし、私の心を豊かにしてくれる、芸術の士だよ」
「?」
「草枕、知らない?」
気まずそうに頷かれても困る。
知らないからといって別に責めているわけでもないし知っているからって何かいいことがあるわけでもない。
「んーっ、じゃあ知らないついでに旅立つグロスへ冒頭の一節くらい贈ろうかな」
大きく伸びをしてこの洋風建築で縁側、と言っていいのかそこから外履きに履き替えて庭へと降り立つ。
ここへ来て数年、やっと落ち着いて暮らせるようになってきた。
実は私もまだまだ新参者で手探り状態だなんて、自分のことで精一杯なグロスは気付いていないだろう。
「―――山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹されば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
「…それがハナムケのコトバってやつ?暗くないっすか?」
「これが暗いか暗くないかはグロス次第じゃないの?まぁあっちでもこっちでも人の世なんてそんなもんよ」
住みにくい世界にため息を吐きたくなるか、その難易度に喜びを見出すかはそれぞれの主観で決まる。
智に働いて情に棹されて意地を通して生きても、その選択に確固たる信念があるならどんな困難でも立ち向かって楽しく生きていける。
これだという信念がなくても工夫して住みにくいなら住みにくいなりに程々で満足して耐えて生きればいい。
どちらが良いわけでも悪いわけでもない。これが正しいなんてお手本みたいな生き方はどこにも存在しないのだから。
どこで生まれてどう育っても選択肢はいつでも沢山ある。
グロスがグロスであることを選んだように。
「ああ、ペンタ帰ってきたわね」
遠吠えがかすかに聞こえる。
麓の村まで行って帰ってくるには随分と早い。
要領のいいあの子はきっと帰りの上り坂を馬に同乗させてもらってるんだろう。
「さぁグロス、総仕上げよ」